『エレナの惑い』

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上原輝樹

これがあの共産主義革命が起きた国の現在の風景だろうか?まるで今の日本を見ているようだ。富める老人と貧しく無力な大人たち、そして荒みゆく子どもたち、3世代に渡って荒廃していく家族の肖像を、秀逸なカメラワークと色彩設計、音響、現代映画の粋を集めた確かな映像表現力でスクリーンに描き切っている。

瀟酒なマンションの窓を木立越えに捉えた、朝の光が徐々にスクリーンに行き渡って行くファーストカットから映画に引き込まれる。次のカットでキャメラは、マンションの一室でベットに横たわる女性の姿を捉えている。それが、この映画の主人公エレナ(ナジェジダ・マルキナ)だ。エレナは目覚まし時計が鳴る直前に目を覚まし、嫌らしい電子音を聞くことなく朝を迎えることだろう。起き上がったエレナは、ベッドに隣接する鏡台に腰掛け、起きがけの自分の顔と対面する。暫くして立ち上がった彼女は、肉感的な身体つきをスクリーンに晒しながら、隣りの部屋に歩いて行き、カーテンを明けて朝の光を部屋に取り入れ、寝ている夫のウラジミル(アンドレイ・スミルノフ)に声を掛ける。

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冒頭のこの数分間のシーンを見るだけで、エレナは毎日こうして、目覚まし時計に頼らずとも朝になると目を覚まし、夫を起こし、一日の家事を始めていたのだろうと思わせる、対象とキャメラの距離感が絶妙に気持ち良い、盤石の日常風景の描写に、人は安心して身を委ね始めるだろう。ズビャギンツェフ監督の長編デヴュー作品『父、帰る』(03)以降、最新作『Leviafan』(14)まで、絵画的な構図の美しさのみならず、映画ならではの魅惑の"時間"と"空間"を滑らかに構築していく、ミハイル・クリチマンの撮影と、流麗な撮影を実現すべくセットを作り上げたズビャギンツェフ組の美術が素晴らしい。

表層的に見るものを惹き付けずにいない映像美の背後では、不吉な予兆を掻き立てるフィリップ・グラスのスコアが、崩壊の物語を先導していく。10年前、病を患って入院した病院で患者と看護婦として出会ったエレナとウラジミルは、2年前に結婚をした。二人にはそれぞれ、以前のパートナーとの間に子供がいる。エレナの息子セルゲイ(アレクセイ・ロズイン)は碌に働かず、幼い子供をまともに養っていくことも出来ず、裕福な継父に経済的援助を期待しているが、ウラジミルはその事を快く思っていない。一方、ウラジミルの甘やかされ放題に育った一人娘カテリナ(エレナ・リャドワ)が、父親を軽んじているように見えるのは何の因果応報だろうか。現代ロシアの都市において描かれる"家族の肖像"は、富があろうがなかろうが、若い世代が親を疎む、荒涼とした人々の心象風景だ。

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同じく"夫婦の危機"を、卓越した時間感覚とアンドリュー・ワイエスを参考にしたという秀逸な構図、魅惑のロケーション、重厚な俳優陣の演技で描いた、前作『ヴェラの祈り』(07)は、水の流れだけを長回しで追うような野心的なショットに唸らせられる秀作だったが、ウィリアム・サロヤンの原作に引きずられたのか、終盤がややもすると文学的で、驚愕の展開にはある種の作為性すら感じてしまったのだが、本作『エレナの惑い』(11)は、一切の贅肉を削ぎ落とし、ズビャギンツェフ監督の"時間そのもの"を描く感覚が表現の極北まで研ぎ澄まされている。現代モスクワの日常に巣食う絶望。この"絶望"をリアリズムで描き切ることの出来るの器の大きさに、ロシア映画の重厚な伝統が豊かに強かに息づいている。


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『エレナの惑い』
英題:Elena

12月20日(土)よりロードショー
 
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ
脚本:アンドレイ・ズビャギンツェフ、オレグ・ネギン
撮影:ミハイル・クリチマン
編集:アンナ・マス
音楽:フィリップ・グラス
音響監督:アンドレイ・デルガチョフ
出演:ナジェジダ・マルキナ、アンドレイ・スミルノフ、アレクセイ・ロズィン、エレナ・リャドワ

© NON-STOP PRODUCTIONS-IMP . LEVILLAIN RCS CRETEIL B 332 482 710

2011年/ロシア/109分/カラー/スコープサイズ/5.1ch/DCP
配給:アイ・ヴィー・シー

『エレナの惑い』
オフィシャルサイト
http://www.ivc-tokyo.co.jp/
elenavera/
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