『ブンミおじさん』@カンヌ映画国際映画祭2010

クラウディア
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タイ映画としてはもちろん、東南アジア映画としても初のパルム・ドール(最優秀賞)である。受賞直後にアピチャポン・ウィーラセタクン監督(以下、アピチャポン監督)が発したのは「タイの幽霊・精霊たちに感謝したい」というチャーミングな一声だった。

タイの山間に住む初老のブンミおじさんのもとに亡くなった妻の霊や、かなり昔に行方不明になった息子が猿の姿をした聖霊になって現れる。そして彼らは肝臓ガンに侵され死期の迫っているブンミおじさんを迎えに来たかのように、おじさんと共に再び姿を消す・・。受賞作『ブンミおじさん』は自身の短篇作品『ブンミおじさんへの手紙』をもとに、ファンタジーで、人間、幽霊、精霊や動物との共存、輪廻思想や自身が生まれ育ったタイ北東部の歴史問題(共産主義化をめぐる争い;イデオロギー対立)への暗喩を盛り込んだ詩情豊かな作品である。

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本作は映画祭終盤に上映、プレス試写で即座に絶賛を受け、最高賞候補に躍り出た。同国の映画産業に与える影響は計り知れないものがある。困難な状況の中、低予算で制作されたインディペンデント作品が受賞したことの意義は大きい。審査員のこの'英断'にはジャーナリストたちは賛辞を送った。カンヌ映画祭は映画製作状況の整っていない国の独立系・アート系作家を支援する姿勢を強く打ち出している。また評価の定まった作家と新進気鋭の作家であったら、作家の今後の活動に大きな後押しとなることから後者を選択するのが志のある審査員というもの。この作品のタイでの上映は未定とのことである。制作はもちろん、タイではインディペンデント映画の公開に至るまでの困難さは想像を超える苦労を伴うという(*前作の『Syndromes and a Century』はタイの検閲機関に数シーンのカットを要求された。タイのジャーナリストによると本作では僧侶の描き方に異議が唱えられる可能性があるとも)。またアピチャポン監督は目下政治的にも混迷の只中にあるタイに向かって「この受賞が騒乱を鎮める一助となってほしい」とコメントしている。

咀嚼が容易な作品ではない。軽快なテンポで物語が展開する、あるいはスペクタルな映像と音響でぐいぐい引き付ける、そんなタイプの作品にのみ親しんでいる向きにはこの作品を最後まで鑑賞するのは「忍耐」かもしれない。実際、カンヌでの上映(プレス試写ではない)において、本作独特のゆったりした流れに乗ることができずに途中退席する観客もかなりいた。しかし作品全体にたゆたうゆるやかで優しい流れに身をゆだね、深遠で厳粛なテーマの中に浸ることができる観客には至福の時間が約束されている。また映像作家・ビジュアルアーティストとしても一流の監督の、えもいわれぬ神秘的な映像は幻想の世界へと誘(いざな)ってくれる。同監督は2004年にもカンヌ映画祭で『トロピカル・マラディ』で審査員賞を受賞し、実力はすでに評価を得ていた。同監督の作品は日本では映画祭で数作品が上映され高評価を受けているが、商業公開は皆無である。本作はアピチャポン作品の中では最も'観客フレンドリー'であり、しかもパルム・ドール受賞作。日本での劇場公開も実現してもらいたいものである。

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審査委員長ティム・バートン監督はまた「見たこともない手法で作られたファンタジー」と本作を讃えた。が、突飛なストーリーには一瞬呆気に取られたものの、「遠い昔にみたことがあるようなファンタジー」に映ったのは仏教が生活のそこかしこに息づいている国、日本の人間というバックボーンゆえだろうか。普通に仏壇がある家に育ち、その前で朝夕手を合わせる祖母の姿を毎日目にし、お彼岸その他でお墓参りもし、またお盆にはご先祖様が帰ってくる、との意識がどこまでのリアリティをもっているかは定かではないながらも確かにあり、死後の世界に畏怖の念を抱きつつ思いを馳せていた幼い頃が思い出された。ひとしきり学校その他で科学的な知識をそれなりに身につけた後もその思いは消えはせず、むしろ'共存'していたといえる。私見であるがそんな東洋人は多いのではないだろうか。アピチャポン監督によると多くのタイ人は亡霊、精霊、輪廻を正面から信じているそうだ。


それにしても西洋人からみた東洋の思想、特に「死生観」はとても新鮮に映るらしい。2007年カンヌ映画祭グランプリを受賞した河瀬直美監督の『殯(もがり)の森』にあっては、森は死者を悼み、あの世へ送るその象徴としての深い自然として描かれていた。『ブンミおじさん』においても森は来し方行く末を見つめる場所として重要な位置を占めている。どちらも死と森(自然)が現実と幻想の間を行き来しつつ、荘厳に描かれる。2009年のアカデミー外国語賞が記憶に新しい『おくりびと』。こちらで描かれているのも死を静かに、あくまでも肯定的に受容する日本の死生観である。病は何としても克服(征服)すべきものとして西洋医学は治療・延命への道をひたすらに突き進んできた。ある意味戦いを挑み続けているとも言える。が、本作ではブンミおじさんは迫り来る死に静かに穏やかに向かい合う。自然に抱きとられていくようにどこまでも穏やかに。そんな穏やかさの中で死の先、生の前までを描いた本作が西洋的合理主義的思考で生きてきた人々には新鮮で、救いと癒しを感じさせたのは想像に難くない。ティム・バートンは「映画祭では自分と異なった物の見方、価値観が存在することを知ることが出来る」とも語った。この作品に向けられた言葉だったのかもしれない。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2016.05.22

キネカ大森のアピチャポーン・ウイーラセクタン監督特集で本編と(世紀の光)を見ました。実験映画の現代アーチストでもある同監督の両作は、ジャン・コクトーやマヤ・デレンの詩のよう夢のようなタッチであり、ジョナス・メカスのような日記風のエッセイなのかも知れない…。先に観た邦画・黒沢清監督作品(岸辺の旅)等も本編にある一種の仏教的jな輪廻思想を孕んでいるといえる。アピチャポーン監督作品の生と死との狭間を垣間見る映像の実験と映像自体をパロデイにしてしまう映画作りの虚構性への挑戦には瞠目させられる。アンデイ・ウオーホルやビル・ビオラのビデオ・インスタレーション等の流れも感じながらも、同時にマイブリッジやルミエール兄弟等映画史の原点に回帰させられた!開かれたアジア映画の豊穣感に浸りながら夢見るように微睡みつつ、秘められた現実の政治性がいつの間にか浮上した…。

『ブンミおじさん』
原題:LUNG BOONMEE RALUEK CHAT

監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン

2010年/イギリス、タイ、フランス、ドイツ、スペイン/113分/カラー
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