『戦場でワルツを』

上原輝樹
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1982年6月、イスラエル軍はレバノンに侵攻、当時のイスラエル国防相アリエル・シャロンの意図は、首都ベイルートまで侵攻し、親イスラエルのキリスト教マロン派民兵勢力ファランへ党の若き指導者バシール・ジュマイエルを大統領に据え、レバンノンに親イスラエル政権を樹立することにあった。しかし、9月にファランへ党本部ビルが爆破され、バシールが死亡する事件が起きると、ファランへ党は、バシールの死をパレスチナ武装勢力の犯行と断定し、大勢力をベイルートへ派遣、武装勢力を匿っているとして、サブラとシャティーラのパレスチナ難民キャンプに侵入した。周囲をイスラエル軍によって包囲された難民キャンプ内では、3日間に渡って銃声が鳴り響き、女子供を含む3000人以上ともいわれる無防備な人々が一方的に虐殺された。この惨劇は世界中に衝撃を与え、イスラエル国内でも軍や政府への批判は高まった。その結果、事態を傍観したシャロン国防相は辞任に追い込まれる。しかし、周知の通り、その後シャロン氏は2001年(〜2006年)には首相にまで上り詰め、以降幾度にも渡る国際社会の介入による和平交渉も不発に終わる。今日に至るまでイスラエルは増々右傾化し、"中東問題"は混迷の色を深めている。本作『戦場でワルツを』は、そのような現状にあって、イスラエル内部から当時の戦争の不条理を告発する映画であることを最初に伝えておきたい。

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本作の主人公であり監督でもあるアリ・フォルマンは、2006年冬の夜、旧友に呼び出され、毎夜悩まされる悪夢のことを打ち明けられる。映画は、この悪夢のシーンから始まる。獰猛な26頭の犬が牙を剥いて襲いかかってくるこの冒頭のシークエンスは、戦争という熾烈なテーマをアニメーションで描くことができるのか?という正当な疑念を一気に吹き飛ばすのに充分なインパクトを持っている。陰翳に富んだグラフィカルでノワールな筆致のアニメーションが、生き物のように画面一面に躍動し、秀逸なサウンドトッラクを手掛けたマックス・リヒターのエレクトロが脳をダイレクトに刺激し、見るものを覚醒させる。この悪夢を打ち明けられたアリは、この夢は自分達が19歳の青年時代に従軍した24年前のレバノン戦争の後遺症だろうか、と訝りながらも奇妙な感覚に襲われる。それは「自分には当時の記憶が全くない」というものだった。

アリは、失われた過去の記憶を求めて世界中に散らばる戦友達を訪ねる旅に出る。核物理学者になると思われていた幼なじみで知性派のカルミは、現在は、ビジネスに成功し、オランダの広大な土地に暮らしている。アリに問われ、カルミは戦争の記憶を語り出す。兵士を乗せた船が戦場へと進んでいた。船上の兵士の多くは、自ら蛮勇を鼓舞するためか、パーティーを開いて盛り上がっている。そんな一群に馴染まないカルミは一人船の甲板で横になり、フェリーニの映画に出て来そうな巨大な全裸の女性に抱かれる自分の姿を夢想しながら寝入ってしまう。やがて上陸したカルミを含む兵士の一団は、たまたまそこに通りかかったベンツに向かって銃を乱射し、載っていた家族を全員殺害してしまったのだった。アリにはその記憶もなかった。

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マーシャル・アーツの専門家、フレンケルは、戦場で自分の居場所が仲間にわかるようにとつけ始めた香りの強いパチョリ・オイルを今でもつけている。フレンケルの記憶は、イスラエル兵の一団が、たったひとりの少年兵に向かって銃を一斉射撃し、その少年を殺してしまうという衝撃的なものだった。そして、そこにはアリ、君もいたのだ、とフレンケルは証言する。その記憶も想い出せないアリは、PTSDの専門家の門を叩いた。その博士によると、アリの記憶喪失は、自分の心が耐えることができない経験の記憶を無意識の内に消し去って自己を守ろうとする、一種の自己防衛の本能なのだと言う。

幾人もの取材を経て、アリの記憶は少しずつ甦ってくる。レバノン大統領に選出されたばかりの若きバシールが暗殺された翌日のこと。アリを含むイスラエル兵の一団は、ベイルート市街で狙い撃ちにされていた。そんな中、飛び交う銃弾を意に介せずひとりの男が悠然と道の真ん中を歩み始める。それは、TVジャーナリストのロン・ベン=イシャイという人物だった。更にその銃弾の嵐の中へ、もう一人のイスラエル兵が踊るような軽やかな足取りで道の真ん中に歩み出し、弧を描く柔らかな動きで機関銃を連射し始めた。それがフランケルだった。その奇跡のような詩情豊かな光景は、心の奥で固まっていた過去の記憶を一気に解凍するかのように鮮やかにアリの脳裏に甦らせた。暗殺されたバシールの巨大なポスターを背景に、フランケルはワルツを踊るような優雅なカリオグラフィーで機関銃を撃ち続けた。マックス・リヒターの音楽と非現実的なノンフィクションがあり得ない交錯を演じてしまう奇跡的な美しい瞬間がスクリーンに再現される。このシーンは、そのまま原題『Waltz with Bashir(バシールと踊るワルツ)』となり、元兵士であったアリが正義なき戦場で経験した数々の不条理の記憶を蘇らせる旅のクライマックスを形成している。

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しかし、この後、私たちは、映画史上未曾有の後味の悪いエンディングを体験することになる。この映画があらゆる意味において芸術性が最高レベルに高い映画であることを確信しながらも、誰にでも簡単には薦めることが出来ないのは、「アラブ人/パレスチナ人とユダヤ人/イスラエル人の間にはっきりしたナラティブ(物語)の分断がある」(『イスラエル映画史』ラファエル・ナジャリ監督)現状において、イスラエルの元兵士の側から明確にレバノン戦争を批判する映画が出て来たことは賞賛に値することに違いないが、この映画ではアラブ人の視点が描かれることがなく、"分断された現実"に更に拍車をかけるのではないかと危惧するからだ。こうした批判に対して監督は、「アラブの視点の映画はアラブ人が撮るべきで、私は両者の視点を盛り込む欺瞞には与しない」と語っているが、果たして、この均衡を欠いた世界に於いて、「アラブの映画はアラブ人が撮ればよい」という発想で事態が好転し得るのか?(※)。

本作を巡ってこうした疑念が生じるのは当然の事に思えるが、話はそれだけでは終わらない。アリ・フォルマンはホロコーストを生き延びた両親の元に生まれた。だから、この映画の"記憶を辿る旅"は、映画で記憶を回復された1982年の「サブラ・シャティーラの虐殺」に遡るだけでは不十分で、1948年のイスラエル建国、更にはそれを決定付けたナチスによるホロコーストの記憶にまで遡らなければ、アリ・フォルマンの"記憶を辿る旅"の根っこに宿る感情の複雑さを想像し、本作は実は"分断するナラティブ"の溝の深さ、そのものについての映画に違いないと静かに呟くことすら出来ないのかもしれない。

これが、同じイスラエルの映画作家アモス・ギタイの『カルメラ(09)』(第10回東京フィルメックスで上映)になると、遥か彼方の紀元1世紀、ローマ帝国がエルサレムのユダヤ人を攻略したユダヤ戦争まで話は遡っており、我々の想像力の限界を遠く超える。だが、『カルメラ』は、そのように大上段に始まるものの、実際は、イスラエル建国当初からその国の歴史を生きて来たアモス・ギタイの実母カルメラと、その子アモスとの、国家に対する痛烈な批判とアイロニーが映画全編を通底してはいるものの、本質的には親密で幸福な家族の記憶を巡る、個人と家族と国家の歴史が奇跡的な融合を見せるエモーショナルなプライベートフィルムの傑作なのであって、同じ"記憶を辿る"映画という共通点はあるものの、『戦場でワルツを』にはそうした幸福は約束されていない。だから、本作の場合は、イスラエルの蛮行を内側から告発し、芸術的水準の高さで他の映画を圧倒することだけが映画の"成功"なのではなくて、本作を見るひとりひとりが想像力の羽を広げ、本作では描かれなかったイスラエル建国の歴史にまで思いを馳せ、問題の根深さに暗澹たる気分を味わわされてしまうことになった時点で初めて"成功"したと言えるはずの、極めて高いハードルが設定された稀に見る野心作だと言うべきだろう。

そして、均衡を欠いた世界が少しでも修正されるには、イスラエルの侵略によって生地を追われた自らの家族の記憶からパレスチナ史を浮かび上がらせる素晴らしい現代のクロニクル、エリア・スレイマンの『時の彼方へ(08)』(第22回TIFFで上映)が日本でもロードショー公開されるべきではないかと思う。  


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『戦場でワルツを』
原題:Waltz with Bashir

11月28日(土)、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

脚本・監督・製作:アリ・フォルマン
美術監督・イラストレーター:デイヴィッド・ポロンスキー
アニメーション監督:ヨニ・グッドマン
編集:ニリ・フェレー
視覚効果監修:ロイ・ニツァン
サウンドデザイン:アヴィヴ・アルデマ
音楽:マックス・リヒター
プロデューサー:セルジュ・ラルー、ヤエル・ナフリエリ、ゲルハルト・メイクスナー、ロマン・ポール
キャスト:ボアズ・レイン=バスキーラ、オーリ・シヴァン、ロニー・ダヤグ、カルミ・クナアン、シュムエル・フレンケル、ロン・ベン=イシャイ、ドロール・ハラジ、ソロモン博士

2008年/イスラエル・ドイツ・フランス・アメリカ合作、イスラエル映画/ドルビーデジタル/1:1.85/カラー/90分
配給:ツイン、博報堂DYメディアパートナーズ

(C) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

『戦場でワルツを』
オフィシャルサイト
http://www.waltz-wo.jp/






















































































































































































(※)そういう疑問を感じながら、周りを見回すと、同じイスラエルの映画作家にアヴィ・モグラビという人がいる。モグラビは、この"分断した現状"において、ユーモアを武器にその現実に監督自ら分け入ろうとする映画作家であり、その挙げ句、両方の板挟みになってしまって苦しむ、というようなドキュメンリーとフィクションの間を行き来する勇敢な両義性のある作品を世に問うている。先般の山形国際ドキュメンタリー映画祭で2度目の来日を果たした。『戦場でワルツを』でイスラエルの映画に興味を持った方は、ぜひ本サイトのモグラビ監督の対談にも目を通してほしい。

アヴィ・モグラビ監督特集
対談:アヴィ・モグラビ監督×
 村山匡一郎(映画評論家)
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