『闇のあとの光』

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最もテレパシーに近づいた映画、
もしくは、古代メキシコの知の体系に依拠した21世紀の映像言語
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

性器を露にしたピンク色に発光する、頭と尾が"悪魔"らしき形状のエネルギー体(あるいは、「輝くエネルギーの球体(luminous ball of energy)」(※)の21世紀的バリエーション)が、アパートメントを訪れる。このアパートメントは、監督が実際に暮らしたアパートメントであり、その"悪魔"めいたエネルギー体が手にしている道具箱は、監督の父親が彼が生まれる前から持っていたものであることを、2012年のカンヌ国際映画祭上映時に行われた記者会見でレイガダスは明かしている。

ピンク色に発光するエネルギー体を一家の長男が見つめている。一家の長男エレアサルと長女ルートゥを演じているのは監督の実子である。つまり、この映画は、監督の子どもが見た、と思っている"夢"の映像化であるのかもしれないし、時間軸を一世代前にずらして考えれば、監督自身が子どもの頃に見た"夢"、あるいは、"現実"の表象を映像化した作品であるのかもしれない。もちろん、その両者は交錯し、共鳴し合い、ひとつ、あるいは無数のプリズムを有機的に構成し、見るものによって、見る時と場所によって、無数の動的生成を遂げるに違いない。

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そこには、子どもにとって重要なものが全て写っている。美しい木々や草花、池、森、野原、犬や羊、牛たち、降り注ぐ雨、鳴り響く雷鳴、母親と父親、兄と妹。それらの表象は、子どもの視界から拡張して、親たちの日常へとシームレスに繋がっていく。夫は犬に暴力を振るい、妻はサウナで自らの性を解放する。全てが道徳的に美しいというわけではない。美しく獰猛な自然の中で、人間もまた野蛮さを兼ね備えている。むしろ、あらゆる動物の中でも、人間の暴力性は抜群に抜きん出ているというべきか。

レイガダスは、インディオを征服した白人の血塗られた歴史を垣間見せながら、いずれ因果が巡る、自然の残酷であると同時に優しい、深淵な円環を描き出し、極めて個人的な主観による、現実=パラレルワールドが織りなす3世代に亘る円環の哲学を、言葉に依拠しない映像言語で21世紀の私たちに語りかけている。『闇のあとの光』はもはや、アレクサンドル・ソクーロフに並んで、最もテレパシーに近づいた映画であると言うべきかもしれない。あるいは、そもそもレイガダスが依拠しているのは、古代メキシコのシャーマンたちが宇宙のエネルギーを感知することを、「見ること(seeing)」と呼んだ知の体系(※)なのであって、リュミエールを始祖とするシネマトグラフではなかったとしても何の不思議もない。

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『闇のあとの光』
原題:Post Tenebras Lux

5月31日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開
 
監督・製作・脚本:カルロス・レガダス
撮影:アレクシス・サベ
出演:アドルフォ・ヒメネス・カストロ、ナタリア・アセベド

© No Dream Cinema, Mantarraya Productions, Fondo para la producci'on Cinematogr'afica de Calidad (Foprocine-Nexico), Le Pacte, Arte France Cinema

2012年/メキシコ、フランス、ドイツ、オランダ/115分/カラー
配給:フルモテルモ、コピアポア・フィルム

『闇のあとの光』
オフィシャルサイト
http://www.yaminoato.com













































































(※)「時の輪」カルロス・カスタネダ 北山耕平訳 太田出版
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