『脳内ニューヨーク』
スパイク・ジョーンズの『マルコヴィッチの穴』(99)で、15分間だけジョン・マルコヴィッチの頭の中に入ることができる不思議な穴を発見し、『アダプテーション』(02)で、自分自身をモデルに悩める脚本家兄弟の現実と虚構が交錯するメタフィクションを開拓し、ミッシェル・ゴンドリーの『エターナル・サンシャイン』(04)では、脳内の記憶マップを視覚化して消したい記憶を除去するマッド・サイエンスを発明した天才脚本家チャーリー・カウフマンの初監督作品『脳内ニューヨーク』は、期待を遥かに上回る難解さで多くの観客を唖然とさせるだろう。
開巻早々インサートされる原題「Synecdoche, New York」の意味がさっぱりわからないことはさておき、映画は快調なテンポでスタートする。しわくちゃなシーツのベッドで目覚めの悪い朝を迎えたメタボ体型の劇作家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、細密なミニチュア絵画を描き続けるアーティストの妻アデル(キャサリン・キーナー)と最愛の娘4歳のオリーブ(セイディ・ゴールドスタイン)と共に、ニューヨーク郊外の町に暮らしている。フィリップ・シーモア・ホフマンの非モテ系キャラ(『ハピネス』、『マグノリア』)を見慣れている我々にしてみれば、メタボなケイデンの体調の悪さやイマイチぱっとしない劇作家として仕事ぶり、妻とのぎこちない空気、といったイケてない状況は、ニューヨーク郊外で知的なライフスタイルを営む夫婦の倦怠感に包まれた日常を心地良く刺激する、軽妙なブラックユーモア程度のものに感じられ、テンポ良く繰り出されるシュールなギャグに、そこかしこから控え目な苦笑が聞こえてくる。4歳のオリーブが、緑色のウンチが出た!と言って騒いだり、劇作家のハロルド・ピンターがノーベル賞を獲ったという速報を伝えるはずの女性アナウンサーが「ハロルド・ピンターが亡くなりました、、、いえ、間違いました、、、ハロルド・ピンターがノーベル賞を獲得しました!」というイギリスのニュース番組(Sky News)で実際に起きた放送事故をパロって、ケイデンにそのセリフを言わせているうちは、映画はカウフマンらしいスパイスの効いた知的なコメディに見えていた。
しかし、あたかもハロルド・ピンターの得意とする不条理劇をなぞるかのように、ケイデンを取り巻く状況は、加速度的な速さで深刻な方向に悪化して行く。ある日、ケイデンは妻と共に通うセラピーのセッションで妻の口から衝撃的な独白を聞くことになる。妻は「心の中で、あなたに死んでほしい、と思ったことがある」とセラピスト(ホープ・デイヴィス)に語るのだ。そして、妻は、恐るべき女友達のマリア(ジェニファー・ジェイソン・リー)と最愛の娘オリーブを連れて、ベルリンへと急遽立ち去ってしまう。これに衝撃を受けたケイデンは、いよいよ体調を崩していく。顔面の神経をコントロール出来なくなり、半開きになった口からはよだれが流れ、急に発作が起きて両足がバタバタと痙攣する、日常生活に支障をきたす事態に発展。症状は明らかに脳神経系の病状を呈しており、医者に診てもらうのだが、"どう治せばいいのか、わからない"と告げられてしまう、、、。
そんな絶不調の極みにあったケイデンに、思わぬ良い知らせが届く。ケイデンのこれまでの演劇家としての功績が突然認められ、マッカーサー・フェロー賞(別名:天才賞)が贈られることになったのだ。やることなすこと上手く行かなかったケイデンは、これで心機一転、その賞金の全てをつぎ込み自分の代表作になるような前代未聞の壮大なプロジェクトを実行することを決意する。それは、現実のニューヨークの中に、自分の頭の中にある"もうひとつのニューヨーク"を作り出すことだった。
"もうひとつのニューヨーク"は、空港のターミナルほどの大きさもある巨大な倉庫の中に建築され、ケイデンは、そこに何百人という俳優を配し、その中で人々のリアルな営みを構築し、再現しようと試みる。その中には、ケイデン本人役を演じるサミー(トム・ヌーナン)や妻に捨てられた後、ケイデンが愛するようになったヘイゼル(サマンサ・モートン)役を演じるタミー(エミリー・ワトソン)ら、ケイデンの現実を模した役柄がどんどん加えられていき、『アダプテーション』よろしく劇作家の自己言及的な要素がどんどん強まっていく。劇中劇のケイデン=サミーの頭の中でも、ケイデンの頭の中でも、恐らくは、カウフマンの頭の中でも、現実と虚構が交錯するようになり、事態は現在進行形で膨張する誇大妄想的カオスの様相を呈していく。終わりが見えない壮大なカオスと化しつつある"ライフワーク"に埋没する一方、ケイデンの私生活は悪化の一途を辿るのだった。もちろん、カウフマンの方は、映画そのものがリアルに進行するカオスの中でストーリーラインの辻褄が合わなくなっていく事態を大いに楽しんだに違いないと想像できるのだが、、、。
ところで、この"Synecdoche"という言葉は、辞書を引くと"提喩法"や"代喩"と訳され"ひとつの言葉が全体を表現する修辞法"と説明されているが、このニューヨークの中にもうひとつのニューヨークを作り、そこに人々の人生劇場を再現するという"提喩法"によって、ケイデンが抱え込んでしまう壮大な困難、つまりは、普通の人々が人生において経験する普遍的な人生の"落胆"や"哀しみ"が確かにリアルに立ち上がってくるのだが、そこにはカウフマンの"血"に関わる因果も全く関係していないとは思えない。有史以来、母国を持たずに世界中を流浪せざるを得なかったユダヤの民が、20世紀の中頃にイスラエル国家を樹立すると、今度は、そこに住んでいたパレスチナの民を支配し、ゲットーに閉じ込めるという人類の悲劇的な歴史を繰り返す当事者となり、かつての被害者が今では加害者になっている21世紀のユダヤ性とでもいうべき事態が本作にも暗い影を落としているように思う。だから、希望が見えにくい現実の暗いトーンを反映するかのように、本作で繰り返し描かれるのは、失望に終わった希望であり、悪化していくばかりの病気であり、最愛の者たちを何度も失う人の一生の"悲しみ"と"落胆"、そして"死"である。
しかし、だからといってこの映画がダークサイドのみで覆われているわけではない。あまりにも多くの素晴らしい機知に富んだ言葉の数々は、その量の多さ故に、一度見ただけではほとんどと言っていいほど記憶に残らないのだが、何十年間も燃え続ける家、最愛の娘の人生が記録された声が聞こえてくるマルチメディア日記、といったカウフマンらしい奇妙奇天烈な発明品も豊富に詰め込まれている。特筆すべきは、撮影前日にシナリオを書いて、即興で演じられたという本作のクライマックスと言っていいだろう"牧師のモノローグ"シーンには誰もが大きく感情を揺さぶられるに違いない。デヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』(06)の驚愕的に素晴らしいエンディングは、これを見るために本編全てが存在したかのような本末転倒な作品だったが、本作の場合、この名シーンに至るまでの道のりは長く険しいと同時に楽しくもあり、そして実り多い。
後年、誰もが名作と認めるようになるかもしれないアート作品の如き佇まいを持つ本作には、21世紀の今、映画というアートフォームが獲得するに至った"恐るべき未来"を畏怖しつつも、もう一度観たいという強烈な誘惑に駆られる。それにしても、このような挑戦的な作品を見るにつけ、"天才"と"頭脳明晰"とは如何に遠いところにあるものかと認識を新たにした。
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『脳内ニューヨーク』
原題:SYNECDOCHE, NEW YORK
11月14日(土)シネマライズほか全国ロードショー
監督・脚本・製作:チャーリー・カウフマン
製作:スパイク・ジョーンズ、アンソニー・ブレグマン、シドニー・キンメル
エクゼクティブ・プロデューサー:ウィリアム・ホーバーグ
撮影監督:ブルース・トール、レイ・アンジェリク、フレデリック・エルムズ
プロダクション・デザイン:マーク・フリードバーグ
編集:ロバート・フレイゼン
衣装デザイン:メリッサ・トス
視覚効果監修:マーク・ラッセル
音楽:ジョン・ブライオン
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、サマンサ・モートン、ミシェル・ウィリアムズ、キャサリン・キーナー、エミリー・ワトソン、ダイアン・ウィースト、ジェニファー・ジェイソン・リー、ホープ・デイヴィス、トム・ヌーナン、セイディ・ゴールドスタイン、ロビン・ワイガート
2008年/アメリカ/カラー/スコープサイズ/ドルビーデジタル/124分
配給:アスミック・エース
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『脳内ニューヨーク』
オフィシャルサイト
http://no-ny.asmik-ace.co.jp/
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