『東ベルリンから来た女』

上原輝樹
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1980年夏の東ドイツ、バルバラ(原題:BARBARA)という名の女医が、バルト海沿岸の小さな町の病院にやって来る。かつては東ベルリンの大病院に勤務していたが、西ドイツへの移住申請を政府に却下され、この地に左遷されてきたのだ。バスで定刻よりも早く到着したバルバラ(ニーナ・ホス)は、白いベンチに腰掛け、形の良い脚を組んで一服している。そんなバルバラの姿を窓から見ている男が言う。「早く着いても、ああやって時間を潰している。そんな女なのさ。」彼女を監視する秘密警察<シュタージ>の男、シュッツ(ライナー・ボック)の言葉だ。男の隣りでは、彼女の同僚となる医師アンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)がその言葉を聞いている。

アンドレは、バルバラと接するうちに、医師として、ひとりの男性として、バルバラに好意を抱いていくが、バルバラはなかなか心を開こうとしない。アンドレが示すさりげない優しさも<シュタージ>に密告するための営為ではないかと疑っているからだ。バルバラは、周囲の信頼を得る一方で、監視の目をかいくぐりながら、東ドイツからの脱出計画を着々と進めていた。孤独なバルバラの心の支えるのは、脱出計画を支援してくれている、西ベルリン在住の恋人ヨルク(マルク・ヴァシュケ)の存在だった。だが、ある一件を切っ掛けに、バルバラは、医師として、ひとりの女性として、究極の選択を迫られる事態に追いつめられてゆく。

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バルバラを演じるニーナ・ホスと5度目のタッグを組んだクリスティアン・ベッツォルト監督は、ベルリンの壁が崩壊する9年前の旧東ドイツを舞台に、ひとりの女性の魂の選択を、<シュタージ>監視下の女性が西側への脱出を企てるサスペンス映画として描くだけではなく、東側の誠実な医師と西側の自由を約束する恋人との間で揺れ動く恋愛映画として描くことで、映画に艶やかな味わい与えている。ここで特筆しておきたいのは、バルバラがやってきたバルト海沿岸の小さな町の自然とそこに住む人々の描写である。

バルバラが西側への脱出に必要な資金を隠すために自転車で駆け抜ける、大きな十字架の立つ、常に強風が吹きすさぶ "風の道"を抜けると、そこには『奇跡』(54)に出てきたような丘があり、その向こうにはバルト海がある。そして、"アメリカの夜/day for night"で撮影された海を渡ると、そこにはドライヤーを生んだ国デンマークがある。『東ベルリンから来た女』は、『阿賀に生きる』(92)で船頭が教えてくれた"風の道"を、画と音で捉えている。常に強風が吹きすさぶ"風の道"を抜けたその向こうには、西側の国々、すなわち"自由"がある。監視の目に晒され、問題行動は常に"報告"されるという住民同士の疑心暗鬼が支配した、旧東ドイツの町においても、使命感を持った人間性豊かな医師が日々の生活を営み、鳥がさえずる豊かな緑に溢れた自然が人々の心を癒していたことを、ベッツォルト監督は、"自由"へ到達する途上を吹きすさぶ激しい風の轟音とこの地に憩いをもたらす鳥の囀りの音響上のコントラストによって、繊細に表現している。

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その繊細な描写が逆説的に浮かび上がらせるのは、"自由への憧れ"に囚われて、猜疑心で心を閉ざすバルバラの心象風景であるかもしれない。ニーナ・ホスは、この役柄を演じるにあたって、クリストフ・ハインの「龍の血を浴びて」(※1)といった統一前のドイツ女性の心の有り様を描いた小説を読んで、バルバラという女性の背景にある物語を自分なりに創作したのだという。さらに、ベッツォルト監督と撮影のハンス・フロムが「この映画は、人々を"観察すること"についての映画だから、キャメラ自体は、"観察する"のではなくバルバラに寄り添っていなければならない。例えば、彼女がひとりでトイレにいるシーンでは、彼女が怯えているように見えてはいけないということ。覗き見的な見え方をしては絶対にいけない」という視点を持っていることを共有出来たことが役作りの上でとても有効だったと語り(※2)、ベッツォルト監督の共犯者的聡明さを印象づける。

クリスティアン・ベッツォルト監督は、ベルリンのエリート校DFFB(ドイツ映画テレビアカデミーベルリン)出身で、トーマス・アースランと共にベルリン派を代表する映画作家だが、同じくニーナ・ホスが主演した、ヒッチコック、シャブロル、デ・パルマといった偉大なる先達たちの作品を連想させながらも、そのスタイリッシュさが殺伐とした印象を与える2007年のパラレルワールド型サスペンス『イェラ』と比べると、主題の面白さ、人物造形とロケーション、ひとつひとつの些細なエピソードの描写に至るまで、あらゆる点においてシンプルかつ的確な表現力に磨きがかかっている。『東ベルリンから来た女』には、ホークスが図らずもボガートとバコールのリアルな恋愛をドキュメントすることになった『脱出』(44)においてローレン・バコールが体現した、"煙草を吸う女"のクールネスを引き継ぐニーナ・ホスの映画的な知性に加えて、地に足のついた人間の営みと自然の官能が豊かに息づいている。

レビュアーの評価:star.gifstar.gifstar.gifstar.gif


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.07.04

自由への到達という困難はヘルムート・コイトナー監督の(雨の夜の銃声)にも国境で引き裂かれた家族の悲劇として描かれていた。ハワード・ホークス監督の(脱出)のアーネスト・ヘミングウエイのレジスタンス劇的な要素も自転車、風の音、船、墓標といった本作でのエレメントと重なってくるのかも知れない。

『東ベルリンから来た女』
原題:Barbara

1月19日(土)より、Bunkamuraル・シネマ、川崎チネチッタ他にて全国順次ロードショー
 
監督・脚本:クリスティアン・ペッツォルト
製作:フロリアン・ケルナーフォン・グストルフ、ミヒャエル・ヴェーバー
撮影:ハンス・フロム
編集:ベッティナ・ベーラー
美術:K.D.グルーバー
衣装:アネッテ・グーター
音響:アンドレアス・ミューケ・ニエスカ
音楽:シュテファン・ヴィル
出演:ニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルト、ヤスナ・フリッツィー・バウアー、マルク・ヴァシュケ、ライナー・ボック、クリスティーナ・ヘッケ、ヤニク・シューマン、アリツィア・フォン・リットベルク

©SCHRAMM FILM / ZDF / ARTE 2012

2012年/ドイツ/ビスタサイズ/デジタル5.1ch/105分
配給:アルバトロス・フィルム

『東ベルリンから来た女』
オフィシャルサイト
http://www.barbara.jp




































































































【参考文献】

※1
COOL Bilingual Art Magazine
Why She is "Barbara"
http://www.cool-ny.com/
en/archives/1521


※2
Filmcomment
INTERVIEW: NINA HOSS
http://filmcomment.com/
entry/interview-nina-hoss
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