『ヒア アフター』

上原輝樹
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「もうこんな歳になって、同じことを何度も何度も繰り返すことに全く興味がなくなった。だから"西部劇"からは遠ざかったんだ。」とカリフォルニア州カーメルの自らが所有するミッション・ランチ・ホテルでLAタイムスの記者に語ったクリント・イーストウッドは、悪童どもの弾丸を受けて十字架の形で往生してみせたイーストウッド最後の"西部劇"=『グラン・トリノ』で自らのキャリアをリセットし、次作『インヴィクタス』では、あっけらかんとした軽快さで、アパルトヘイトの夜明けの希望に満ちた時代の空気とマンデラの<不屈>の精神を何の澱みもないクリアな映像で描いてみせた。

蓮實重彦・黒沢清・青山真治による<現代アメリカ映画談義>でも指摘されていたように、「スティーブン・スピルバーグが90年代にヤンヌ・カミンスキーを撮影監督に迎えスピルバーグ作品の画に"黒い影"をもたらし、"白いスピルバーグ"は"黒いスピルバーグ"へと変貌を遂げた」のとは正反対に、『インヴィクタス』では画面を占める"黒い影"は減退し、さながら"白いイースウッド"と仮に呼んでみたくなる透明感のある色彩設計がなされている。スピルバーグとイースウッドが初めてタッグを組んだのは2006年の『硫黄島』2部作だったが、とりわけ本作『ヒア アフター』に漂う透明感は、オードリー・ヘップバーンの遺作となり、"あの世"の人間が"この世"の人間に働きかけてくるスピルバーグ作品『オールウェィズ』(89)に漂う透明感をも想起させる。一方、"黒くなったスピルバーグ"は、イーストウッドなら絶対手を出さないだろうと思われるテーマを扱う『ミュンヘン』を撮り、ユダヤ、パレスチナ両陣営から不興を買うという事態を経験したものの、お互いに影響を及ぼし合うこの二人が21世紀のハリウッド映画を牽引しているという気配が濃厚に漂っていることは誰もが感じていることだろう。

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などと高をくくっているのは、私たち日本の映画好きだけなのかもしれない、という疑念もないわけではない。本作『ヒア アフター』についての米インターネットの2大映画サイト(IMDBとRotten Tomatoes)での評価は左程高いものとはいえず、より若いユーザが多いと思われるRotten Tomatoesのトマトメーターは46%(2011年2月20日現在)という数字を示し、rotten腐ってる!と思う人の数がfresh新鮮!と思っている人の数を上回っている。批評家の評価はというと、例えば、フィルム・コメント誌の星取り表を見ると、★★★★★(星5つ)満点の中で、★★★が3人、★★が3人、★が2人という有様(仏カイエ誌も大体同じ様な評価)で、オリバー・ストーンの『ウォール・ストリート』よりは断然マシな評価ながら、圧倒的に高評価の『ソーシャル・ネットワーク』は別にしても、ベン・アフレック『ザ・タウン』、アサイヤス『カルロス』、アレノフスキー『ブラック・スワン』ら、俊英の作品に大きく水を開けられた辛口の評価を受けている。もっともこうした数字で映画の質を語ることは出来ないので、一般的な世間の映画好きの評価として参照しているまでのことだが。

とはいえ、日本においても、一般観客レベルで考えれば充分にこうした事態が生じることは考えられる。もはや"ゴダール"という名前だけでは通用しない21世紀にあって"イーストウッド"という印籠も左程効力を発揮するものではない、その事を誰よりも自覚、というよりは感覚的に知っているに違いないイーストウッドだからこそ、『グラン・トリノ』でのリセットと『インヴィクタス』以降のポジティブな再出発の旅を驚くべき身軽さで始めることが出来たのだと思う。

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『ヒア アフター』は3つの舞台で構成されている。仏テレビ番組の人気アンカーウーマン、マリー(セシル・ド・フランス)は番組の取材でインドネシアの島に滞在中、巨大な津波に呑み込まれ、生死の狭間を彷徨う"臨死体験"を経験する。敢えて比較に出すまでもない映画だが、韓国映画の『TSUNAMI』という映画では、実際に津波が起こるまで約1時間以上を要するという説話上の倒錯に挑戦し見事に失敗するという大胆な試みもあったが、イーストウッドの場合は、"津波"が起こるまでを僅か5分程で描いてしまうという潔さ。以来、この"臨死体験"がフラッシュバックで蘇るようになったマリーは、テレビ番組での仕事をこなすことが出来なくなり、次第に自己の内面を追求する"スピリチュアル"な世界へと傾倒していく。

2つ目の舞台はロンドンの下町。麻薬中毒の母親と双子の息子ジェイソンとマーカス(フランキー&ジョージ・マクラレン)は、労働者階級向けの質素な団地で暮らしている。社会福祉局から麻薬依存を断てない母親をかばうのが日常茶飯事の双子兄弟は、12分早く生まれた兄ジェイソンがいつも弟のマーカスと母親の面倒をみているのだが、ある日、母親の薬を買いにいく途中で車にはねられて死んでしまう。頼りにしていた一卵性双生児の兄を失い、母親とも引き離されたマーカスは、亡き兄の姿を求め、インターネットで霊媒師や霊能者らを探し当てるが、会ってみると悉くインチキな山師ばかり。そんなある日、いつも身につけている兄の形見である"帽子"が、彼の危険を予知したかのように、突然の風で飛ばされ、それを追ったマーカスは命拾いをする。マーカスは、何か目に"見えないもの"の存在を確信する。

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3つ目の舞台、サンフランシスコのうらぶれたアパートメントでは、人との接触を避けるように本物の霊能力者ジョージ(マット・デイモン)が暮らしている。幼い頃の事故を契機に、人に触れることで"あちら側の世界の住人"と接続できる霊媒的能力を獲得してしまったジョージは、"死者"の言葉を残された生者に語り伝えるという"仕事"にほとほと嫌気がさし、こんな特殊な能力は封印したいと考えている。変わりたい、普通の人間になりたいという欲求からイタリア料理教室に通い始めたジョージは、そこでの官能的な"ブラインドデート"を通して関係を深めていったメラニー(ブライス・ダラス・ハワード)との、観客の誰もが応援したくなるような切ない恋愛未満の魂の交歓を行なうが、結局上手くいかない。失意のジョージは、日頃から敬愛し、"頭の中でいつも幽霊と一緒に過していた作家"として親近感を持っていたチャールズ・ディケンズのロンドンの生家を訪ねるツアーに参加すべく、自ら外に1歩踏み出すことを決意する。

映画は、ジョージがロンドンを訪ねるのと軌を一にして、3本の光の道筋が"幽霊譚"の本家本元ロンドンへとスムースに収束していく。亡くなった兄との再会を願うマーカスは、ついに本物の霊能力者ジョージを探し出すだろう。そして、自らの"臨死体験"を本に著し、ロンドンのブックフェアに参加したマリーは同じ経験を分かち合うことができるジョージと出会い、ジョージもまた彼女に見出されるだろう。このエンディングに関しては、脚本の段階から議論があったようだ。ハリウッドスタジオの常識的にはこのエンディングは有り得ないという危惧をスピルバーグは早い段階から抱いていて、別のエンディングを脚本家のピーター・モーガン(『クイーン』(06)、『フロスト/ニクソン』(08)、『The Damned United』(09/『英国王のスピーチ』のトム・フーパー監督作品))に書くよう指示を出し、もっと大円団なハリウッドエンディングも検討された。しかし、イーストウッドは初めから現在のエンディングに納得していたという。マット・デイモンが本作を"イーストウッド版フランス映画"と呼ぶ所以かもしれない。

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『スパニッシュ・アパートメント』(02)、『モンテーニュ通りのカフェ』(06)『ジャック・メスリーヌ』(08)で知られる、マリーを演じたセシル・ド・フランスは、彼女の出身地であるベルギーの60年代を舞台にした『シスタースマイル ドミニクの歌』(去年公開)で主演を務め来日も果たしている(その時のインタヴューはこちらに掲載、セシルの髪型が『ヒア アフター』撮影中のため、完全に"シスタースマイル"ではなく"マリー"の髪型になっている)。まさに今旬を迎えている彼女をイーストウッド監督作品で観ることができるという喜び。女優ということで言えば、シャマランの『ザ・ヴィレッジ』(04)『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06)で輝くような新鮮な存在感を発揮した、メラニーを演じるブライス・ダラス・ハワードの起用も見事に功を奏している。ブライスの父親があのロン・ハワードであることは良く知られる話だが、現在脚本を執筆中で監督デビューも予定されているという、今後の彼女の活躍にも大いに注目したい。本作の2人の女優は、イーストウッド映画の女優としては『マジソン群の橋』(95)のメリル・ストリープ以来の大当たりではないかと思う。70年代アメリカ映画の名作『ボビー・ディアフィールド』や『ブラック・サンデー』のマルト・ケラーまで登場する"女優の映画"に仕上がったイーストウッド作品の艶やかさ!

それにしても、ロンドンまでロケに行きディケンズを引っ張り出し、"来世"とか"あの世"とか"彼岸"についての物語だという誤解を敢えて与えて観客をミスリードするという、老練な監督(スコリモフスキ監督然り)がしばしば使う高等戦術を涼しい顔をして使ってみせたイーストウッド監督にしてみれば、 『ヒア アフター』というタイトルだけを見れば、"hereafter"="here + after"、つまり、「今、ここ」と「その後」を足せば、単純に「これから」とか「今後」という意味なのだから、正にジョージとマリーの「これから」を予兆する情感溢れる出会いの物語のタイトルとしては何の衒いもない、とサラリと言うのかもしれない。そんな映画的洗練と同時に、それぞれの孤独を抱える者たちが、自らの殻から一歩外へ歩みだすことで見出すことができる新しい世界、そんな<生を肯定>する瑞々しい感覚が、自らも新しい世界へと挑戦する80歳の映画監督から伝わって来る。その感動を享受しうるものに一際沁み入る、イーストウッドのシンプルなピアノの旋律、そこには、スピルバーグが居ようが居まいが一向に関係なさそうな、ジャズ・ミュージシャン、クリント・イーストウッドの瀟酒な官能性が息づいている。


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『ヒア アフター』
原題:HEREAFTER

2月19日(土)より丸の内ピカデリーほか全国ロードショー
 
監督・製作・音楽:クリント・イーストウッド
製作:キャスリーン・ケネディ、ロバート・ロレンツ
脚本・製作総指揮:ピーター・モーガン
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、フランク・マーシャル、ティム・ムーア
撮影:トム・スターン、AFC、ASC
美術:ジェイムズ・J・ムラカミ
編集:ジョエル・コックス、A.C.E、ゲイリー・D・ローチ
衣装:デボラ・ホッパー
出演:マット・デイモン、セシル・ドゥ・フランス、ジェイ・モーア、ブライス・ダラス・ハワード、ジョージ&フランキー・マクラレン、ティエリー・ヌーヴィック、マルト・ケラー

© 2010 WARNER BROS.ENTERTAINMENT INC.

2010年/アメリカ/カラー/129分
配給:ワーナー・ブラザース映画

『ヒア アフター』
オフィシャルサイト
http://www.hereafter.jp























































































































































































































































セシル・ド・フランス『シスタースマイル ドミニクの歌』インタヴュー
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