『トゥルー・グリット』

上原輝樹
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海外の『トゥルー・グリット』評に「親しみやすくて、シンプルで、神話的、その上美しい」というものがあったが、「神話的」とは、ストローブ=ユイレやペドロ・コスタの映画を形容する時に使われるべき言葉であるとすれば、本作が「神話的」であるかどうかは疑わしい。むしろ、西部劇であることで、いつものコーエン兄弟の寓話性は見えにくくなり、「漫画的」ともいうべき親しみやすさに満ちた演出は、ジョン・フォードの西部劇にかつて存在した「神話性」や「霊性」から遠く離れたところにある作品であることを証明しているようでもある。だからといって『トゥルー・グリット』がつまらないかというと、決してそんな事はないのだが。

映画は、"頼れるのは神の慈悲のみ"という言葉と共に始まる。今まで、神の慈悲など存在しない、という映画を散々作ってきたコーエン兄弟の作品なのだから、つまりこの引用は、やはり今回もまた、逆説的に"頼れるものは何もない"というニヒリズムから出発した"神なき世界"の物語の始まりを告げていることにコーエン兄弟の作品を見慣れた観客は気付くだろう。その"神なき世界"で主人公を務めるのが、父を殺されて、その仇打ちをしようという14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)。見事なリズムで捲し立てる話術と負けん気の強さで、このワイルド・ウエストに鮮やかに登場した彼女は、女性だからという理由で特別待遇を受けることも左程なく、これから待ち受ける幾多の試練に立ち向かっていくことになる。彼女が敵討ちの為に雇ったルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジス)は、太り過ぎた片目のアル中男で、妥当性を主張してはいるものの多くの者をその銃で血祭りに挙げてきた典型的な"グッド・バッドマン"キャラクターである。別の事件の捜査から、マティの父の仇と同じチェイニー(ジョシュ・ブローリン)を追い道中を共にすることになったテキサス・レンジャー、ラビーフ(マット・デイモン)は彼女を子供扱いするが、彼自身のレンジャー隊員であることに対する並外れた誇りはもはやユーモラスといえる領域に達している。マティは、そんな心強そうでもあり、不安を掻き立てるようでもある二人とワイルド・ウエストの無法地帯で過酷な時間を共に過す。普通であれば、三人は次第に絆を強めていき、という話になるが、紆余曲折があって、簡単には彼らの間に生じた溝は埋まらない。そんな不揃いな彼らに、いよいよ本当の試練の時、チェイニーと向き合う瞬間が訪れる、、、。

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単にキャスティングが成功しているからなのかもしれないが、チェイニー(ジョシュ・ブローリン)にしても、指名手配犯のネッド(バリー・ペッパー)にしても全く人間味のない人物として描かれているわけではない本作は、ふと、『天国の日々』(78)のラストでアビー(ブルック・アダムス)が死んだ恋人ビル(リチャード・ギア)を回想して呟く、「人間に良い人間、悪い人間などというものはない。一人の人間に良い面と悪い面があるだけだ」という名台詞を想起させ、トゥルー・グリット="本当の勇者"とは何かを考えさせながら、"本当の悪人"などというものはいないのではないかと、人の心に持つべき"寛容"の感覚を呼び覚ます。もっとも、ジョージ・ブッシュが"悪の枢軸"と一部の国家に命名して以来、容易に"悪"のレッテル貼りが横行し寛容さを欠いた空気を生んだことに対する、アメリカ人の忸怩たる思いも本作には見て取れる。コーエン兄弟は、ポスト・ブッシュ政権のトラウマが今尚消え去っていないその地で、人間存在の複雑と野蛮とユーモアをチャールズ・ポーティスの原作に見出し、彼ら一流の倒錯的な現代性で少女が果敢に"神なき世界"に挑戦する冒険譚を描いている。そして案の定、その冒険譚が単純なハッピーエンドで終わることはないのだが、大の大人よりも、しばしばティーンエイジャーの少女が"真の勇気"を示すという事は、震災後の日本でも目についた風景であり、このテーマの普遍性を物語っている。

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とはいえ、馬上のマティが"勇気"を見せて川を渡る、本作の中でも屈指の名場面として絶賛されている名シーン直後のショットで、マティの髪の毛も衣服も全く水に濡れていないというコンティニュイティ上の明らかなミスには、一瞬我が目を疑うし、映画終盤、マティを救うべく老体に鞭打って走る"本当の勇者"コクバーンの背景を彩る満天の星空のコーエン兄弟らしからぬ人工的な空には動揺させられる。どう見てもスピルバーグ的としか言いようのない、この満天の星空の作り込みは、『ミュンヘン』のラストシーン、ニューヨークの街並が背景に写るシーンに、2005年撮影時点ではなくなっているはずのツインタワーが、1970年代のニューヨークではそこにあったからという理由でCGで描きた足されていた時のことを想起させる。そこにツインタワーがないニューヨークのスカイラインを幻視させることこそが映画の力なのではないかとその当時の私は違和感を覚えたが、そこに無いものをわざわざCGで作りこむ、その労力を惜しまず映画につぎ込むということの方が、マイナスのデザインの意図を後でコンセプチュアルにPRするよりも明らかにアメリカの映画作家的な振る舞いであると言えるのかも知れない。そこに満天の星の絵がなければ、19世紀の夜空はこんな満天の星に溢れていたのだろうという感慨を呼び起こす契機もなく、観客は馬の疾走を捉える撮影技術の高さとコグバーンの勇姿ばかりに目を奪われたのかもしれない。コーエン兄弟のホラ話は、こうした完璧さを目指すテクノロジーとはほど遠いところにあると思っていたのもまた事実だが、そんな人工的な夜空の輝きに動揺しながらも、この馬の疾走にはやはり感動を禁じ得ない。

だからといって、単純に"感動作"と言い切れず、はたまた、コーエン兄弟らしいホラ話として、ブラックな笑いを噛み締めることができる程突き抜けた作品でもない本作が彼らの現時点での最大のヒット作になっているという事実は、いかにも、傑作『シリアスマン』の映画作家が自ら招きかねない複雑怪奇な事態であるというほかない。


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『トゥルー・グリット』
原題:TRUE GRIT

3月18日(金)より全国ロードショー
 
監督・脚色・製作:ジョエル&イーサン・コーエン
製作:スコット・ルーディン
撮影監督:ロジャー・ディーキンスASC、BSC
プロダクション・デザイナー:ジェス・ゴンコール
衣装:メアリー・ゾフレス
音楽:カーター・バーウェル
出演:ジェフ・ブリッジス、マット・デイモン、ヘイリー・スタインフェルド、ジョシュ・ブローリン、バリー・ペッパー、ブルース・グリーン、マイク・ワトソン

© 2010 PARAMOUNT PICTURES. All Rights Reserved.

2010年/アメリカ/110分/カラー
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン

『トゥルー・グリット』
オフィシャルサイト
http://www.truegritmovie.com/
intl/jp/
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