『鉄くず拾いの物語』

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21世紀における、"超人"像
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

ボスニア・ヘルツェゴビナの雪に覆われた寒村に慎ましく暮らす夫婦、ナジフとセナダには二人の愛らしい娘がいて、セナダは第三子を身籠っていた。時には妻の目を盗んでバーで一杯を引っ掛ける程度のことはあるが、夫のナジフは、鉄くず拾いをして一家の生計を支えている。しかしある日、貧しいけれども平穏に見えた一家が不穏な事態に見舞われる。妊娠しているセナダが、洗濯の最中にお腹が痛いと言って、大きな体をソファに横たえ、動かなくなってしまったのだ。暫く様子を見るが、一向に症状は改善せず、明くる日、夫婦は、車で行った病院で、お腹の胎児が最早息をしていないことを知らされる。手術をすればセナダは快方に向かうはずだが、保険証がない場合、手術には980マルク(500ユーロ/約7万円)の費用が掛ると言う。保険証も持たず、お金を払う事が出来ない夫婦は、お腹に痛みを抱えたまま、家へ帰って行く。それから、妻に手術を受けさせて彼女の命を救いたい一心で行動する、ナジフの苦闘の時が始まる。

"それから"というのは語弊があるかもしれない、それまでもナジフの人生は苦闘の連続であったことが、何気ない会話の中で示されて行くことになるのだから。ボスニア・ヘルツェゴビナにおいて"ロマ"であるということ、そして、従軍し国のために戦ったにも関わらず、国家からは何の見返りも与えられないという現実、それでも、屈強な身体つきをしたこの男は、その力を自暴自棄に任せて爆発させるのではなく、妻を救うために、ただひたすら頭と身体を働かせるだろう。ゴミの山の中で売れそうな鉄くずを拾い上げるナジフの姿が、『ツァラトゥストラはかく語りき』の"超人"のシルエットと重なって見えてくる。

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何も、実話に基づいたこの物語を、実際に演じているのが当の本人たちであるということばかりが、この映画を特別なものにしているわけではない。実際のロケーションで撮影されているということも、同等に重要であるには違いない。しかし、それらのことは、監督がこの物語を、一刻でも早く世に問いたいがために、小規模、低予算でスピーディーに撮り上げねばならなかった、そのミッションを遂行するための方便であったに過ぎない。そうして、世界に向けて語られることになったこの物語が孕む神話的ともいう言うべき簡潔さ、人間が暮らすことの過酷さ、その"ヒューマン・コンディション"(ハンナ・アーレント)を規定する物語のアーキタイプが見事な簡潔さで示されていること自体に、本作の類い稀なる美しさがある。

そして、この神話的なアーキタイプを孕んだ実話が可視化され、実際にナジフとセナダには保険証も与えられたという後日談が図らずも明かしているのは、一神教的な"神"がもはや不在な世界で、不運に見舞われながらも怒りを爆発させずに慎ましく生きる者たちの存在を知らしめるには、その事実を知って怒りを滾らせた一人の映画作家の存在を必要としていたということだ。世界は、もっともっと沢山の、滾る怒りを物語に昇華することのできる映画作家の存在を必要としている。

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『鉄くず拾いの物語』
原題:An Episode in the Life of an Iron Picker

1月11日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
 
監督:ダニス・タノヴィッチ
製作:アムラ・バクシッチ・チャモ、チェドミール・コラール
脚本:ダニス・タノヴィッチ
撮影:エロール・ズブチェヴィッチ
出演:セナダ・アリマノヴィッチ、ナジフ・ムジチ

2013年/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、フランス、スロヴェニア/74分/カラー/ビスタサイズ
配給:ビターズ・エンド

『鉄くず拾いの物語』
オフィシャルサイト
http://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/
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