ボスニア・ヘルツェゴビナの雪に覆われた寒村に慎ましく暮らす夫婦、ナジフとセナダには二人の愛らしい娘がいて、セナダは第三子を身籠っていた。時には妻の目を盗んでバーで一杯を引っ掛ける程度のことはあるが、夫のナジフは、鉄くず拾いをして一家の生計を支えている。しかしある日、貧しいけれども平穏に見えた一家が不穏な事態に見舞われる。妊娠しているセナダが、洗濯の最中にお腹が痛いと言って、大きな体をソファに横たえ、動かなくなってしまったのだ。暫く様子を見るが、一向に症状は改善せず、明くる日、夫婦は、車で行った病院で、お腹の胎児が最早息をしていないことを知らされる。手術をすればセナダは快方に向かうはずだが、保険証がない場合、手術には980マルク(500ユーロ/約7万円)の費用が掛ると言う。保険証も持たず、お金を払う事が出来ない夫婦は、お腹に痛みを抱えたまま、家へ帰って行く。それから、妻に手術を受けさせて彼女の命を救いたい一心で行動する、ナジフの苦闘の時が始まる。
"それから"というのは語弊があるかもしれない、それまでもナジフの人生は苦闘の連続であったことが、何気ない会話の中で示されて行くことになるのだから。ボスニア・ヘルツェゴビナにおいて"ロマ"であるということ、そして、従軍し国のために戦ったにも関わらず、国家からは何の見返りも与えられないという現実、それでも、屈強な身体つきをしたこの男は、その力を自暴自棄に任せて爆発させるのではなく、妻を救うために、ただひたすら頭と身体を働かせるだろう。ゴミの山の中で売れそうな鉄くずを拾い上げるナジフの姿が、『ツァラトゥストラはかく語りき』の"超人"のシルエットと重なって見えてくる。
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