『ロルナの祈り』

江口研一
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吐息。というより、息を吐く音。急かされるように歩き、自分が生きているという証である音が漏れる。私にとって、ダルデンヌ兄弟の映画を象徴するのは、そんな息だった。弱者である子供たちが漏らし、自分がここに生きていることを静かに知らせる息だ。

新作『ロルナの祈り』の最初のシーンは、340ユーロの札束のやりとりから始まる。その預金をするのはアルメニアからやってきて、クリーニング店で働きながら、ベルギー人の男と結婚した主人公のロルナ。だが彼女が電話をかけ、愛情を向けるのは故郷にいる恋人のようだ。同じ部屋に暮らす夫クローディーは麻薬中毒者で、彼女が国籍を得るための偽装結婚だと分かる。彼女は彼に冷たい。それでも彼は彼女のために麻薬から手を切ろうともがいていた。

だが彼女の心は急激な変化を遂げていく。麻薬を断とうと入院までするクローディーに同情の気持ちが芽生え、そこから罪悪感が頭をもたげ始める。

これまで、幼く悲しげな主人公たちの心を映しとるように、動きのある手持ちカメラに拘ってきた(『ロゼッタ』『ある子供』など)ダルデンヌ兄弟は、この映画では35ミリカメラをほぼ固定して撮影したという。そうしてそのフレーム内で動くロルナの心の変化を捉えた。

経済格差がある中で生まれる恋愛が純粋かどうかは当人たちにしか分からないが、そこに何らかの計算や先入観がないとは言えないだろう。相手が金を持っている対象から、その人そのものになるのに壁が存在することも多い。だが相手を金ずると見なさない変化が現れた時、相手を利用しようという目的も弱まっていく。彼女はすでに多くの人の思惑に囲まれていた。もう後には引けない状態にあった。

だが感情を交わした2人の間に、無視しがたい"生命"が生まれた時、彼女は心の変化を行動に移すしかなくなる...。

これはダルデンヌ兄弟が新しい段階に至ったと言われる映画であり、彼らの作品で初めて音楽(ベートーベンのピアノ・ソナタ第32番)を使ったものだ。2度のパルムドール受賞を含め、傑作を生み続ける兄弟監督の想いは続く。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.06.02

ダルデンヌ兄弟監督作品は息遣いのような現実音が 、ドキュメンタリー・タッチの印象を強めている。慎重さ、音にセンサテイブだから、この作品のクライマックスで流れるベートーベンの曲ほど感動を呼んだ映画はない!その後、映画(少年と自転車)、(サンドラの週末)でも音楽は限定的にかつ、より効果的に用いられている。後者ではマリオン・コテイヤール主演の映画(君と歩く世界)での 芯の強さが再現される。絶望の中の希望の灯という点でダルデンヌ兄弟は黒澤明監督作品(生きる)やケン・ローチ監督作品(ジミー、野を駆ける伝説)みたいに見終わった観客自身に変化をもたらす…。人生は生きるに価することを、決して一人ではないことを。

『ロルナの祈り』

2009年1月下旬公開
恵比寿ガーデンシネマ他全国順次公開

監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
出演:アルタ・ドブロシ、ジェレミー・レニエ、ファブリッツィオ・ロンジェーネ
エンディング曲:ベートーベン ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111第2楽章アリエッタ

『ロルナの祈り』
オフィシャルサイト
http://lorna.jp/
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