『ザ・ムーン』

上原輝樹
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 「太陽は過去であり、地球は現在であり、月は未来である」
  ポール・オースター『ムーンパレス』

1969年7月20日、あの月面を歩く飛行士の映像を見せつけられた世界中の人々は、ついに"月"にまで人類がついにたどり着いてしまったのかという文学的な想像力による溜息混じりの驚きよりも、アメリカ合衆国がアポロ計画を遂行して、人類史上初めて月面に宇宙船を着陸させた、その技術力と人智を結集した行いに、世界中から最大級の賛辞が贈られたのは至極当然のことだったろう。

本作中でも語られている通り、"人類史上初の月面着陸"は、アメリカ人の宇宙飛行士がこれを成し遂げた、ということよりも、我々人類がこの偉業を達成したということがより重要なのだということが、このニュースを伝える世界各国のアーカイブ映像によって強調されている。その偉業は確かに人類共通のレガシーとして素直に喜ぶべきことに違いないが、それでもやはり、この"月面着陸"を成し遂げたのは、未知の世界をどこまでも求めて行く「アメリカ的渇望」(柴田元幸)の究極の対象として"月"があり、その渇望の未来にアポロ計画が実現したことは間違いない。そしてその渇望はやがて、今まさに世界中でその光と影を交錯させている、グローバリズムという世界規模の地殻変動を生み出すことになる。

1960年代のアメリカといえば、対外的には米ソ冷戦構造の中、ベトナム戦争、キューバ危機を経験し、国内では公民権運動の嵐が吹き荒れ、アポロ計画の生みの親ケネディ大統領、公民権運動の指導者マーティー・ルーサー・キング、マルコムXといった民衆に希望を与えた要人が次々に暗殺される、暗澹たる時代の潮流に呑み込まれている印象が強い。しかし、本作のドキュメンタリー映像では、アポロ計画の関係者やロケット発射を見守る、アメリカ人の明るく希望に満ちた表情が生々しく捉えられている。そのような時代にあって、アポロ計画はアメリカ人の未来への希望が託された唯一の勝ち目がある国家的なプロジェクトだったことが映像から伝わってくる。

ついに月面に着陸した人類は、この貴重な瞬間を映像に収めていた。当時のNASAの上層部は、この映像の重要性を認識していて、現在でも10,000本もの16ミリ・フィルムが大切に保管されているという。本作では、その中から厳選されたNASAの蔵出し映像がふんだんに使われている。10人の宇宙飛行士の貴重なインタヴューもさることながら、本作をまぎれもない"映画"として成立させているのは、宇宙空間に降り立った宇宙飛行士や技師達が撮影した"人類初の月面歩行映像"の数々であることは疑いの余地がない。月の上では重力が地球の1/6だというから、月面を歩く宇宙飛行士の姿が、スキップをしながら楽しげに歩行しているかのように見えるのだが、周知の通り実際の月は人類には過酷すぎる環境だ。昼が約14日間、夜が約14日間続き、表面の温度が夜は−約150度、昼は+約110度になるという。こうした月の環境や真空の宇宙空間で人類が活動するのに欠かせない宇宙服は、数百度にもなる温度変化から身を守り、呼吸のための酸素を供給し、二酸化炭素を除去する「ミニ地球」の働きをする。そんな過酷な環境下にもかかわらず、月面で撮影された映像には、今から110年以上前に撮影されたリュミエールの『水を撒かれた水撒く人』(1895)が纏っていた"遊びの感覚"と同じ感覚が宿っているように見える。中でも月面車(ルナ・ローバー)を乗り回す宇宙飛行士は本当に楽しげだ。

19世紀後半に人類史上初のSF小説とされる『月世界旅行』を発表したジュール・ヴェルヌの「何ものもアメリカ人を驚かせることはできない」という言葉ほど、"月"にまで到達してその映像を撮って帰ってきたアメリカ人の渇望を上手く言い表している言葉はないように思えるものの、それでも、"月"は、依然として手垢にまみれず、我々人類の未来の象徴として不可知のものであり続けているという印象は、本作を観た後でも変わらない。むしろ、気付かされるのは、我々が住む地球という惑星の小ささだ。その感覚は、グローバリゼーションの進行、環境問題や地球温暖化といった関心事の増大に伴って、ここ数年でより一層加速した印象もある。それはすなわち、縮みゆく地球の中で、現代の我々の国境を超えた社会全体がひとつの争いの絶えない"内"="現在"を形成してしまい、もはや地球の"外部"="未来"に打って出なければそれ自体やっていけない段階まで人類の文明がやって来てしまった、その起源が<アポロ計画>が発案された1950年代のアメリカにあったと言えるのかもしれない。


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『ザ・ムーン』
In the Shadow of the Moon

2009年1月16日(金)よりTOHOシネマズ六本木ヒルズ他全国ロードショー

Presented byロン・ハワード『アポロ13』
監督:デイヴィッド・シントン
製作:ダンカン・コップ
共同製作・助監督:クリストファー・ライリー
撮影監督:クライヴ・ノース
編集:デイヴィッド・フェアヘッド
作曲:フィリップ・シェパード
出演:アポロ計画の宇宙飛行士達
バズ・オルドリン(11号)、マイク・コリンズ(11号)、デイヴ・スコット(9号/15号)、ジーン・サーナン(10号/17号)、ジム・ロヴェル(8号/13号)、ジョン・ヤング(10号/16号)、エドガー・ミッチェル(14号) 他

2007年/イギリス、アメリカ/109分/DOLBY DIGITAL/1:1.85/カラー、白黒
製作:ディスカバリー・フィルムズ、DOXプロダクション、フィルム4、パッション・ピクチャーズ 
© Dox Productions Limited 2007. All rights reserved
配給:アスミック・エース

『ザ・ムーン』
オフィシャルサイト
http://themoon.asmik-ace.co.jp/
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