『ペーパーバード 幸せは翼にのって』

鍛冶紀子

戦争体験のない私たちに戦争がいかに残酷なものであるかを教えてくれるのは、戦場における残忍な行為だけではない。家族との暮らしが突然消失する絶望や、思想や言語が統制されジワリジワリと尊厳を奪われてゆくその様に、より身近な恐怖を覚える。

『ペーパーバード 幸せは翼にのって』は1936年に始まったスペイン内戦を背景に、爆撃によって家族を失った喜劇役者と両親を失った少年の出会いを描いている。スペインでは内戦後もフランコ独裁政権のもと思想・言論統制が行われ、旧共和派支持者には厳しい弾圧が行われた。政権側は疑わしい人物をリスト化し、監視していたという。市民の間でも密告が横行し、多くの人が投獄された。つくづく恐ろしいことだ。

妻と子どもと三人、貧しいながらも幸せに暮らしていた喜劇役者のホルヘ。その暮らしはある日突然終わりを告げる。爆撃によって自宅はがれきと化し、最愛の妻と子どもの命は失われる。失意のあまり街を離れるホルヘ。オープニングの穏やかなトーンが爆撃によって一変するその様は、実際にそうであったろう幾多の家族を想わせて胸が痛む。一年後、街に戻ってきたホルヘは相方のエンリケとエンリケが引き取った孤児のミゲルと三人で暮らしはじめる。行方不明だった一年間、一体ホルヘはどうしていたのか?詳しくは語られないが、どうも反フランコ分子として活動していたらしいことが伺える。

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当初、失った子どもを思い出させることからミゲルに辛くあたるホルヘだが、突き放しても突き放しても向かってくるミゲルに少しずつ心を開き、喜劇役者としての芸を教えはじめる。やがて二人の間には確かな絆が生まれ、ホルヘはミゲルの父親となっていく。ホルヘを父とするならば、エンリケはまさに母。明らかにゲイであるエンリケは、ホルヘを相方として以上に愛している。エンリケが女性でなく男性であることはこの作品のひとつの特徴で、男女にありがちな恋愛ネタが排され、本作の主題である「絆」に全てが収斂されていく。その様がなんとも切ない。また、劇中エンリケが軍人たちに連れ去られ翌朝ケガをして戻ってくるシーンが描かれているのだが、いつの世も戦争と性の問題は切り離せないことを物語っている。エンリケ同様、性的に踏みにじられる少女の姿も描かれていて、監督が戦争の酷さのひとつにこうした行為が挙げられることを強く意識している節が伺える。

ホルヘたちが所属する劇団にはさまざまな芸人がいて、彼らの芸も本作の見所のひとつとなっている。中でもカルメン・マチ演ずるロシオの歌と踊りが印象深い。クプレティスタと呼ばれるスペイン版シャンソン・ポピュレールを、時にお色気たっぷりに、時に朗々と歌い上げる。今では見る機会も少ないであろうスペインの大衆芸を堪能できるワンシーンだ。ホルヘとエンリケとミゲルの舞台も愛嬌たっぷりで微笑ましい。それぞれの芸をきちんと見せているところに、この時代を生き抜いた芸人たちに対する監督のリスペクトを感じる。

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物語はやがてサスペンスの様相を呈しはじめる。ホルヘが軍人に監視されていることが明らかになり、三人は少しずつ追いつめられて行く。エンリケは海外への逃亡を提案する(実際フランコ政権時代には多くの人が海外逃亡している)が、ホルヘは聞き入れない。聞き入れないどころか、「フランコとは暮らせない」という過激な歌を歌う!この反骨精神!

この歌はラストシーンでも再び登場するのだが、この一連のシーンがすばらしい。老人となったミゲルを監督の父であり、国民的サーカスアーティストであるミリキ・アラゴンが演じている。そもそもこの物語はミリキ・アラゴンの体験が下地となって生まれたものだという。舞台の上で当時を振り返り語るミゲルの言葉は、もはやミゲルを越えてミリキ・アラゴン本人の言葉として胸に迫る。事実フランコ政権下でコメディアンとして生きた男の言葉は、たった今ホルヘやエンリケの人生を観てきた私たちには映画のワンシーンであることを越えた感動をもたらす。

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スペイン内戦下を描いた作品といえば『誰が為に鐘は鳴る』(43)だが、記憶に新しい作品としては『蝶の舌』(99)や『パンズ・ラビリンス』(06)が挙げられる。今回の『ペーパーバード 幸せは翼にのって』同様、いずれもキャストの中心に子どもを配しているのが特徴だ。スペイン内戦は1936年〜1939年。開戦当時10歳だったとして現在75歳。当時の子供が今老人であるということ。当時から現代まで、まだ誰かの人生が続いているという事実は、物語によりリアリティをもたらす。そして何より、子どもを配することによって"受け継ぐ"ことの重要性を知らしめてくれる。ミゲルがホルヘたちから受け継いだのは芸だけでなくその精神でもある。そして老境に入ったミゲルがステージから観客へ、さらにはスクリーンを通して本作を観る者へ伝えようとするのは、ホルヘたちから受け継いだ芸であり精神である。

過去を声高に非難するのではなく、スペイン内戦があったという事実を、その時代を生きた同業者たちへの賛辞を込めながら描いたやさしい作品。そしてスペイン内戦、引いてはあらゆる戦争によって生まれた無数の悲しみを受け継ぐために作られた意義深い一本と言えるだろう。


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『ペーパーバード 幸せは翼にのって』
英題:PAJAROS DE PAPEL

8月13日(土)、銀座テアトルシネマ他にてロードショー
 
監督:エミリオ・アラゴン
出演:イマノル・アリアス、ロジェール・プリンセプ、ルイス・オマール、カルメン・マチ

© 2010 Vers til Cinema, Globomedia & Antena 3 Films.

2010年/スペイン/カラー/シネマスコープ/ドルビーデジタル/123分
配給:アルシネテラン

『ペーパーバード 幸せは翼にのって』
オフィシャルサイト
http://www.alcine-terran.com/paperbird/
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