『マラドーナ』

浅井 学
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プラティニ、クライフ、ジーコ、ジダン...。サッカー界のスパースターは数多くいれど、"神の子"とまであがめられ、現在でも、よきにつけ悪しきにつけ、世界を熱狂させうるカリスマ性を持ちつづけているのはこの男だけだろう。ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。

1986年のワールドカップ・メキシコ大会での「神の手」ゴールや「5人抜きドリブル」など神がかった伝説のスーパープレーと、マフィアとの関係やクスリなどのダーティーでスキャンダラスなイメージの強烈な二面性こそがカリスマたる由縁かもしれない。このドキュメンタリー映画では、ブエノスアイレス、ナポリ、ベオグラード、彼が訪れた地では人々が叫び歌い踊る熱狂が沸きおこり伝搬する様が映し出されていく。(まるで御神体を奪いあう祭りのようだ!)

世界三大映画祭で監督賞に輝いた名匠エミール・クストリッツァは、サッカー界のカリスマとしてよりも反逆のアイコンとしてその人間性を時にユーモアたっぷりに描き出していく。同じアルゼンチン人でもゲバラのようなストイックで洗練された趣の理想高き革命家ではなく、クスリにも女にも溺れ、暴飲暴食で死線をさまようほどに激太りもする意固地で孤独な不満分子だ。インタビュー中、その口から止めどもなく発せられるのは、サッカーへの情熱ではなく、反米英、反資本主義、反FIFA(国際サッカー連盟)!!清く正しく美しいスポーツドキュメンタリーの趣は期待しないほうがいいだろう。

執拗な権力批判のメッセージは、撮影当時に世界をコントロールしていたブッシュ大統領やネオコンへの批判のみならず、その後の、オバマに象徴されるようなあたかも思いやりにあふれた平等で未来志向な"チェンジした世界観"にすら異議を唱えているようにも思えてくる。結局のところ、忘れさられた場所で爆撃や自爆はつづき、富める者は富み、窮するものはいよいよ窮する。ムスリムの両親の元に生まれ、戦場となったサラエヴォを故郷に持つエミール・クストリッツァ監督の絶望や怒りの感情が相まって映り込んでいるのは間違いないことのように思える。

アルゼンチンのサッカー代表監督となって南米予選ではぎりぎりのまさに"神がかった"結果として予選突破を果たした。もちろん、勝利者インタビューではこ れまで自分をコケにしてきたメディアへの罵詈雑言も忘れなかった。このマラドーナの熱狂は、なにやら不穏な空気を抱え込みながら、2010年南アフリカへ、そして世界へ伝搬するのだろう。


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『マラドーナ』
原題:MARADONA BY KUSTURICA

2009年12月12日(土)より、シアターN渋谷ほか全国にて順次公開

監督・脚本:エミール・クストリッツァ
製作:ホセ・イバニェス
撮影:ロドリーゴ・プルペイロ・ベガ
音楽:ストリボル・クストリッツァ
出演:ディエゴ・アルマンド・マラドーナ、エミール・クストリッツァ、マラドーナ・ファミリー、カストロ将軍、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、マヌ・チャオ 他
後援:在日アルゼンチン共和国大使館、在日セルビア共和国大使館

2008年/スペイン・仏合作映画/カラー/95分
配給:キングレコード/日本出版販売

(C)2008-PENTAGRAMA FILMS-TELECINCO CINEMA-WILD BUNCH-FIDELITE FILMS.

『マラドーナ』
オフィシャルサイト
http://www.maradonafilm.com/
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