『ディオールと私』

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矢野華子

2012年、パリを代表するメゾン、クリスチャン・ディオールのアーティスティック・ディレクターにラフ・シモンズが任命された。本作は、ディオールに着任したラフがスタッフたちと共にオートクチュール初コレクションを発表するまでの8週間に密着したドキュメンタリーである。あのディオールのオートクチュールのアトリエに、初めてカメラが潜入した!あのラフが、長期取材に応じた!公開前から話題沸騰のこの作品、ファッションには疎いという方にもきっと楽しんでいただける。

ラフの就任は、たとえば天下のベルリン・フィルに、業界内ではともかく、一般的な知名度というならまだ低い指揮者が常任指揮者として抜擢されたような「事件」だった。百戦錬磨のコンサートマスターを筆頭に世界最高峰の技術を持つ団員たち、抜群の組織力、豊富な資金力、歴史と風格と圧倒的な知名度。楽団に例えるならそんな環境のメゾンにほとんど身ひとつで乗り込むラフの重圧たるや、並大抵のものではない。しかも8週間という準備期間は、通常よりかなり短い。彼を迎えるスタッフたちも戦々恐々である。なにしろラフにはオートクチュールの経験がない。ベルギー生まれの彼はフランス語も拙く、スタッフとのコミュニケーションが円滑に進まない。さらに知的で繊細ではにかみ屋というラフの人柄は、PRという立場から評すれば、華がないとしか言いようがない。そして当然ながら、失敗は断じて許されない。両者の間には緊張が高まっていく。

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本作には過剰な演出もなければ、片寄った視線も感じられない。アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた『ヴァレンティノ:ザ・ラスト・エンペラー』(08)や『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ』(11)など、ファッション界の大立物を描くドキュメンタリー映画の制作に携わってきたフレデリック・チェン監督は、ディオールという超ビッグネームの前でも極めて冷静だったらしい。極限状態のなかでのラフとスタッフの対立も、ひとつの目標に向かって切磋琢磨しつつ恊働する様も、中立的な立場から粛々と、端然と記録している。当然本作は、ディオールの全面的な協力のもとに制作された。綺麗な面だけを強調するのが人の性で、ファッション業界の姿勢はその典型と認識していたが、ディオールのような老舗メゾンがこれほどのリアリズムを受け入れたとは驚きである。虚飾を嫌うことで有名なラフを納得させるには、こうしたニュートラルなドキュメンタリーしか方法がなかったのかもしれない。あるいはこれは、21世紀の今、ラフを得て自らのアップデートを決意したディオールのマニフェストかもしれない。

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ラフ・シモンズ(1968ー)は93年からファッション界に入り、95年に自らのブランドでメンズ・コレクションを発表した。学生時代はインダストリアル・デザインを専攻し、現代アートにも深い造詣を持つ彼は、2000年代、ミニマルな作風で高い評価を獲得する。05年、高い品質とモダンなデザインで知られるドイツのブランド、ジル・サンダーのクリエイティブ・デイレクターに就任し、レディスのデザインも手がけ始めた。なかでもその2011年春夏コレクションを、私は忘れることができない。代表的なルックは、白いTシャツにシンプルなロング・スカートのセット。ただしスカートの色は眩しいオレンジで、腰にはふっくらと立体的で優雅なペプラムが配されていた。ラフは装飾性を色とペプラムに凝縮してみせたのである。現代的なバランス感覚のもと、ミニマルなデザインに融合させたクチュール的なテクニック。このコレクションは彼の卓越した技量を強く印象づけるものだった。だから約1年後、ディオールがラフを抜擢したというニュースが流れたとき、業界内には疑問視する声もあったようだが、私はすぐに頷いた。さすがディオール、と。

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ディオールの歴史は1946年に始まった。フランス生まれのクリスチャン・ディオール(1905−57)は、パリのモンテーニュ通り30番地に自らの名を冠したオートクチュール・メゾンを開店した。47年、彼が発表した初コレクションは「ニュー・ルック」と呼ばれて世界にセンセーションを巻き起こし、以来このメゾンは女性の憧れの存在であり続けている。本作のタイトルは、ディオール本人が急逝の前年に発表した書籍の題名そのままである。本書には彼がどのようにメゾンを築き、仕事と向き合ったかが描かれている。本作にナレーションで挿入された彼の言葉は、ほとんどそのまま現代のオートクチュールを創造するラフの葛藤と重なっていく。

オートクチュールは仏語で、訳せば高級注文服である。19世紀に基礎が築かれたこの服作りのシステムを守るパリ・クチュール協会の加盟店と、そこで制作される服だけがオートクチュールという名称を使うことができる。現在、オートクチュール・メゾンには年に2度のコレクションショーの開催が義務づけられている。客はここで発表された新作から好みの服を選ぶ。メゾンは彼らのサイズに合わせてそれらを補正するので、世界にただ一着の服が生まれる。私たちが日頃目にするのは、パリの高級メゾン製といってもほとんどがプレタポルテ、つまり既製服である。(ちなみにディオールは、オートクチュールもプレタも手がける現在では希なメゾンである。)プレタでも一般庶民には高価なのだが、オートクチュールの価格はデイ・ドレスで数百万、豪奢なイヴニング・ドレスともなれば一千万円を超す。「ばかばかしい!」とおっしゃる貴方にこそ、本作をご覧いただきたい。最高級の素材、長時間の手仕事、高いリスクを伴う実験的な試み。さらには顧客の要望とあらば、コレクション準備の真っ最中=猫の手でも借りたい時期であっても、お直しのためにスタッフをNYにまで派遣する(!)、究極のアフターサービス。それらの対価がこの価格だということが納得いただけると思う。

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「それにしてもこんな大変な思いをして、なんでこんな変わった服を作るんだか?実際に売れる服の大半は無難なデザインでしょ?」という声も聞こえてきそうである。いやいや。無難な服を売るために、華麗な、斬新な、挑戦的な服の果たす役割は大きい。それらに目をみはり、魅せられ、夢中になるという課程が、消費者が無難な服の購買に至る前の重要な行為である。代金の半分は、味気ない現実から夢の世界に私たちを誘ってくれたメゾンへの御礼。財力が十分ではない女性たちは、せめてそのメゾンの香水や口紅を買うことで謝意を示す。そしてこんな女性たちがいればこそ、メゾンはクチュールの伝統的な、今にも途絶えそうな職人技を次世代に伝えることができる。

ファストファッション、リアルクローズ全盛の現状にも、言い訳しない。老舗の挟持を保ちつつも変革は恐れず、サヴァイブに挑む。本作に描かれたメゾン・ディオールの姿はなんとも逞しく美しい。ファッションに関心がない方でも、彼らの姿には共感するだろう。もちろんファッション好きの私は感動しました。ディオールさん、久しぶりに一票投じたいんだけど、夏のボーナスまで待ってくださるかしら? 


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.06.07

シンプルでミニマルなラフがデイオールで女性服にチャレンジする時に伝統的なデイオールのスタイルが亡霊のように重荷に!コンテンポラリーのアブストラクトな絵画をヒントにその色彩を服装に再現しようとする時に、その困難はピークに達した。バルザックの(知られざる傑作)に挑む狂気の画家のように取りつかれた一人のデザイナーの孤立した姿があったー。オーソン・ウエルズ監督の(市民ケーン)のローズ・バッド(薔薇の蕾)ではないけれども、ラフは邸を花で埋め尽くして、自作の発表に向かう…。
ラストシーンでデザイナーの両親の姿や駆けつけたマリオン・コテイヤールの姿がある。ラフの眼に光ものがあった!華やかなファッション業界に密着した好ドキュメンタリー♪

『ディオールと私』
原題:Dior and I

3月14日(土)、Bunkamuraル・シネマ他全国順次ロードショー
 
監督・製作:フレデリック・チェン
編集:フリオ・C・ペレス4世 フレデリック・チェン
撮影監督:ジル・ピカール フレデリック・チェン
録音:ヴィルジール・ヴァン・ジヌカン
音楽:ハヤン・キム
ヴォイス:オマル・ベラダ
製作:ギヨーム・ド・ロックモーレル
音楽監督:マイケル・ガルベ
原曲&編曲 チェロ&ピアノ:ハヤン・キム
出演:ラフ・シモンズ、Diorアトリエ・スタッフ他

© CIM Productions

2014年/フランス/DCP/ビスタサイズ/90分/仏語・英語
配給:アルシネテラン、オープンセサミ

『ディオールと私』
オフィシャルサイト
http://dior-and-i.com
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