OUTSIDE IN TOKYO
FILM REVIEW

『MONSOON/モンスーン』


ホン・カウ監督が見せた”ある切実さ”が胸をうつ、
自らのアイデンティティを探究したロードムービー
上原輝樹

本作『モンスーン』は、ベン・ウィショーを主演に迎え、日常の風景の中に生者と亡者が共生する映画ならではの甘美な空間を立ち上げてみせた長編処女作『追憶と、踊りながら』(2014)で、作家性を見事に開花してみせたホン・カウ監督の長編二作目にあたる新作である。映画は、ベトナム戦争の戦火を逃れ、子供の頃に両親に連れられて英国に亡命した主人公キットが、両親の遺灰を納めるために30年振りに帰国する場面から始まる。

道路を行き交う車両の交通量は夥しく、バイクから発せられる騒音がひどく耳に響くが、サイゴンの街並の映像は、戦後に経済復興を遂げた都市の活況を、彩り豊かに映し出している。この映像美こそが、ホン・カウ監督作品の特徴を成すもので、今作でも『追憶と、踊りながら』同様、絹のように滑らかな感触の映像を味わうことが出来る(本作の撮影を手掛けたのは、『ヤング・プロミシング・ウーマン』の撮影で知られる英国の俊英ベンジャミン・クランカン)。

30年振りにサイゴンに帰郷した主人公のキットは、故郷の変貌を簡単に受け入れることが出来ない。子供の頃の記憶とうって変わって見知らぬ街と化した故郷の現実を前に途方に暮れるキットの寄る方なきさまを、ヘンリー・ゴールディング(『クレイジー・リッチ!』2018、『シンプル・フェイバー』2019)が、抑制の効いた”視線の演技”で表現している。キットは、あまりの変化に茫然としながらも、微かな記憶とかつての隣人リーを頼りに失われた”風景”を求めて彷徨う中で、次第に気疲れを感じていく。その精神的な疲れを癒してくれるのが、マッチングアプリで出会ったアメリカ人青年ルイスの存在だった。



ルイスはサイゴンでグラフィック・デザイナーとして活躍している若者だが、世代的に言えば、スパイク・リーの『ザ・ファイブ・ブラッズ』(2020)に登場したベトナム帰還兵たちの丁度子供の世代にあたる。ルイスの口からは、父親がベトナム戦争従軍後に経験したアメリカ社会での理不尽な仕打ちの記憶が語られる一方で、今、ベトナムの都市を行き交う若者たちに戦争の記憶があるはずもなく、自らの身を立てることに一生懸命だという冷静な認識も同時に示されていくことになる。時の経過が癒す”傷”と失われていく過去の”記憶”、そして、想い出の”場所”の喪失、30年という時の経過が齎すものは、いつ、どこにおいても両儀的である。

ルイスに加えて、もう一人、キットの戸惑いを受け止めるのが、ハノイで”戦争と現代アート”という主題でアートツアーを行っているリンだ。リンは、その地の伝統に根付いた高級茶”蓮花茶"の生産に勤しむ両親と共に暮らしているが、”善き伝統”も自由世界に羽ばたくことを夢見ているリンにとっては足枷と感じている。しかし、ハノイにはかつてキットが暮らした頃の古き良きベトナムの風景が残っており、キットには癒しをもたらしてくれる。こうした植物に纏わる描写は、ホン・カウ監督作品においては固有の位置を占めており、前作『追憶と、踊りながら』においては、“紫陽花”が英国における新旧世代の橋渡し役を務めたのと同様に、本作では、”蓮花"がベトナムにおける新旧世代交流の一役を担っている。



ところで、この映画で最初にキットが訪れたのが、幼馴染リーの家だった。リーとは確かに幼馴染だが、彼らの人生には大きな隔たりがある。それは、社会的階層の違いに起因するもので、キットの家が国外脱出出来る程度に裕福だったのに対して、リーの家にはそのような余裕がなかった。リーは、かつてキットの母親が貸してくれたお金を元手に小さな携帯電話ショップを営む個人商店主であり、キットは英国で十分な教育を受け、クリエイティブな仕事に従事する人間に育ち、親の遺灰を納める旅に出るために今の仕事を辞める程度には余裕のある人生を送っている。かつて、難民として”ボート”で海を渡ってこの国を脱出したキットは、今や、飛行機でこの国に降り立ったのだ。

このキットの人生における高低差は、幾つかの場面のキャメラワークで周到に表現されている。映画の冒頭で、サイゴンの街路を真上から俯瞰で捉えたショットがある。キャメラは徐々に引いていき、信号のない雑然とした街路を行き交う激しい交通の流れにも、カオティックではあるけれども、生物学的とも言うべき有機的フローがあることが、細胞の動きを顕微鏡で捉えることで明示するかのような超越的視点によって示されていく。こうした近景から遠景へと“ズームアウト”する撮影手法が、この作品においては随所で採用されており、しばしば、その対象にキット自身の姿が含まれている。



ベトナム戦争の戦火を逃れて英国に亡命した過去を持つキットの人物設定には、ホン・カウ監督が幼い頃に生地カンボジアを離れ、ベトナム経由で亡命したイギリスで育った経験が投影されているという。しかし、本作におけるリアリティ重視の姿勢はそれに留まらない。キットを演じたヘンリー・ゴールディングはマレーシア生まれで7歳からイギリスで育ち、21歳の時にマレーシアに帰国した経験を持っており、ルイスを演じたパーカー・ソーヤーズの父親は実際のベトナム帰還兵だ。リンを演じたモリー・ハリスも、ベトナム生まれ、イギリスとオランダ育ちということだから、それぞれの役柄にもそれぞれの演者の人生のリアリティが取り込まれているということになる。

それでは、この現実世界のリアリティを重視したリアリズム作品の中で、何故、”ズームアウト”という映画的ギミックが繰り返し採用されることになったのか?そこには、もちろん、ベトナムの風景が大きく映り込む遠景の中に主人公を置きたいという映画美学上、及び説話上の狙いもあったに違いない。しかし、より根源的には、こういうことでないだろうか。すなわち、監督自身にとって、あまりにもリアリティがある、監督の分身のような主人公キットと、監督自身との間に適切な距離を保つために、必要に駆られて用いた“映画ならではの嘘”を吐き通すための技法だったのではないかということだ。そう考えると、自らのアイデンティティの探求を、リアリティ豊かなロードムービーとして描いていく中で、映画的ギミックに何度も頼らざるを得なかった、その切実さに胸を打たれる思いがする。自らを投影した主人公から自らを遠ざけることで、背景には壮大な故郷の風景が結果的に映り込む。”ズームアウト”という機械的技法だからこそ表現し得る、人間の領分もあるということだろう。






『MONSOON/モンスーン』
原題:MONSOON

1月14日(⾦)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国公開

監督・脚本:ホン・カウ
製作:トレイシー・オリオーダン
製作総指揮:リジー・フランク、ローズ・ガーネット
撮影:ベンジャミン・クラカン
美術:ミレン・マラニョン・テヘドール
編集:マーク・タウンズ
音楽:ジョン・カミングス
出演:ヘンリー・ゴールディング、パーカー・ソーヤーズ、デイビット・トラン、モリー・ハリス

©MONSOON FILM 2018 LIMITED, BRITISH BROADCASTING CORPORATION, THE BRITISH FILM INSTITUTE 2019

2020年/イギリス、⾹港/85分/5.1ch/カラー
配給:イオンエンターテイメント

『MONSOON/モンスーン』
オフィシャルサイト
http://monsoon-movie.com




ホン・カウ『追憶と、踊りながら』
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