『正しい日 間違えた日』『夜の浜辺でひとり』『クレアのカメラ』『それから』

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この世知辛い21世紀において、
ホン・サンスだけが成し得た"祝祭的生産性の響宴"についての考察

上原輝樹

長編処女作『豚が井戸に落ちた日』(96)から日本未公開の最新作『Grass』(18)まで、22年間で22作品をコンスタントに取り続けてきたホン・サンスのキャリアにちょっとした異変が起きたのは2017年のことである。2月のベルリン国際映画祭コンペティション部門で『夜の浜辺でひとり』(17)が、5月のカンヌ国際映画祭コンペティション部門で『それから』(17)が、アウト・オブ・コンペティション部門で『クレアのカメラ』(17)が、一挙にプレミア上映されたのだ。

ニューヨーク、フィルム・ソサイエティ・オブ・リンカーン・センターのダン・サリヴァンは、この事態を、30年代の小津安二郎、60年代のジャン=リュック・ゴダール、70年代のライナー・ヴェルナー・ファスビンダーに匹敵する映画史上稀に見る"祝祭的生産性の響宴"であると称している(Film Comment Nov-Dec 2017)。その起爆剤となったのが、ホン・サンスと公私共の交際で知られ、これら全ての作品で主演を務めたキム・ミニの存在であることは、改めて言うまでもないことだろう。

今回、この3作品に加えて、日本では第28回東京国際映画祭で上映されるに留まっていた、ふたりが初めてタッグを組んだ作品『正しい日 間違えた日』(15)までもが改めてロードショー上映されるということで、現代の名匠ホン・サンスの"祝祭的生産性の響宴"を堪能すべく、是が非でもスクリーンに駆けつけてほしいという気持ちから本稿を認める。

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『正しい日 間違えた日』は、前半の始まりに「あの時は正しく、今は間違い」、後半の始まりに「今は正しく、あの時は間違い」というタイトルが表示される、二部構成の作品である。自らの監督作品の特集上映が行われる地、水原(スウォン)を訪れた映画監督のハム・チュンス(チョン・ジョヨン)は、閑散とした観光名所で見初めた魅力的な女性ヒジョン(キム・ミニ)に声を掛け、コーヒーに誘う。話すうちに、ヒジョンがアーティストであることを知ったチュンスは、カフェから程近くにある彼女のアトリエへ移動し、彼女の絵画作品を見て感想を口にすることになる。

前半と後半は、同じ設定から始まるが、キャメラの配置やアングル、人物の配置も微妙に違っており、チュンスのちょっとした行動や発言、タイミングの違いから、お互いの行動や発言の細部、ふたりの間で流れる感情のニュアンスが異なる物語が語られていく。前半のチュンスは、ヒジョンの作品を見て、"自分でも理解していないが、どこかに向かって激しく突き進んでいくような作品だ"とそのエネルギーを褒めそやすが、後半のチュンスは、"クオリティは高いが、ありきたりで型にはまっている"と辛辣なコメントを投げかけ、それに対して、ヒジョンは激しく反応する。

前半では、"著名映画作家"に作品を褒められたヒジョンは気を良くして、ふたりは和気あいあいと寿司屋へ行くことになるが、後半で意見の衝突を経験したふたりは、屋上へ上がって一息ついてから、やはり前半と同じように寿司屋へ行くことになる。行く場所や、物語の帰結に左程大きな違いはないのだが、行動の違いによって異なる挿話が描かれたり、ふたりが体験する感情の違いは甚だ大きい。"間違い"とされる前半の"当たり障りのなさ"も、"正しい"とされる後半の"忌憚のなさ"も、どちらも"真実"には違いなく、このホン・サンスの"真実"の語り口のさり気ない明晰さに舌を巻くばかりである。

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もはや見る側が慣らされた感のある、あの"高速ズーム"も、物語を経済的に語る彼の映画術において欠かせない要素のひとつとなっているが、パラレルワールド的趣向の本作においても、ホン・サンスならではの"語りの経済性"は行き渡っている。この語りの"淀みのなさ"は、俳優の演技においても適用される。ホン・サンスは、かつてインタヴュー(※1)で、プロの俳優は伝えるべきことを正確に伝える技術を持っているが、素人の演技には"屈曲"があり、伝えたいことを間違って伝えてしまったり、予期せぬ複雑さを生んでしまうことがあるから、基本的に、素人の俳優を起用することはないと語ったが、ここでも優先されているのは、語りの経済性である。

この"語りの経済性"のシステムを確立しているからこそ、ホン・サンスは、曖昧な内容や繊細なニュアンスを伝えたい通り、縦横無尽に語ることができる。実際、『正しい日 間違えた日』の前半と後半では、細部が密接に絡み合っている。例えば、チュンスが宿泊する宿の様子や、カフェからヒジョンのアトリエへ行く道の光景は、前半と後半、それぞれで描かれるが、ひとつとして同じショットはなく、これらを交互に記憶の中で組み上げることで、宿の外観と内観、アトリエの屋外の風景が見るものの頭の中でひとつのイメージを構成する作りになっている。同じ物語を2度見ることになるのかという疑問から、観客は完全に解放され、むしろ、最終的に物語の<イマージュ>を統合するのは監督の責任範囲ではなく、最後の大仕事は観客に委ねられている。ホン・サンスの映画は、観客の知性への全面的な信頼の上に成り立っていると言っても過言ではない。

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しかし、そのように完璧に機能していた、ホン・サンスの有機的な映画作りのシステムを激しく揺るがす事件が起きていたことを、『夜の浜辺でひとり』(17)を見た観客は気付くに違いない。『夜の浜辺でひとり』は、ホン・サンスとキム・ミニが不倫熱愛報道によって叩かれた後、撮影された作品である。監督であるホン・サンスはともかく、モデル・女優として活躍していたキム・ミニは、この騒動によって全ての仕事を降板する事態にまで至ったことが伝えられているが、『夜の浜辺でひとり』では、そうした事態すら脚本に取り込まれ、物語の一大骨子を成している。

『夜の浜辺でひとり』も、『正しい日 間違えた日』と同様、ハンブルグで撮影された前半と韓国の江陵(カンヌン)で撮影された後半の二部構成の作りだが、ホン・サンスが作り上げた"語りの経済性"のシステムは大きく後ろに後退し、現実で生じたカオスに拮抗すべく虚構のカオスが前面に迫り出し、『ヘウォンの恋愛日記』(14)以来の、「最後の浜辺以外は全て夢だった」(※2)可能性を否定出来ない、決定不可能性の世界が構築されている。

そのカオティックな虚構の中でホン・サンスは、「つらいから、眠る」(※3)しかない主人公女性の境遇を通じて、パク・チャヌクの『お嬢さん』(16)をも凌駕する、キム・ミニの爆発的演技を引き出し、"真実"の感情を描き出す。ここで描かれる"真実"は、『正しい日 間違えた日』で描かれた相対的/客観的"真実"よりも、キム・ミニが演じる主人公ヨンヒの視点に寄り添ったもので、より主体的一貫性に貫かれた迫真力を迸らせながらも、すべては"夢"であるのかもしれないという境地を描いており、自ら構築したシステムを内側から食い破る迫力を見せている。

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もはや時間的余裕がないので、ここで詳しく触れることは出来ないが、映画祭の裏事情という虚実ないまぜの舞台設定の下、『3人のアンヌ』(12)以来、2度目のタッグとなるイザベル・ユペールを迎え、これまた"監督"と秘めた恋愛関係にある映画配給会社スタッフをキム・ミニが演じ、マジカルな会話劇の妙と「物事を変える唯一の方法は、それらの事物をもう一度ゆっくり見ること」という写真(表象)にまつわる哲学的考察で見るものを唸らせる『クレアのカメラ』(17)も見逃せない逸品であるし、柄谷行人が(漱石の)「『それから』が『三四郎』のそれからであるとしたら、『門』は『それから』のそれからである」と記したのと同じ意味で、『正しい日 間違えた日』と『夜の浜辺でひとり』のそれからである『それから』(17)は、この数年間の現実生活で招いたカオスと、それに触発されて生じたとしか思えない"祝祭的生産性の響宴"の中で生まれた、最も詩的で透明感を湛えた作品であり、まさしく、新たなる成熟の段階に到達したホン・サンスの"それから"を見る思いのする傑作である。この世知辛い21世紀において、ホン・サンスだけが成し得た"祝祭的生産性の響宴"を目撃すべく、是非とも劇場に駆けつけてほしい。

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『正しい日 間違えた日』
英題:Right Now, Wrong Then

6月30日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー
 
監督・脚本:ホン・サンス 
製作:チョノンサ・フィルム
プロデューサー:キム・キョンヒ
撮影:パク・ホンニョル
照明:イ・ウィヘン
録音:ソン・イェジン
スチルカメラマン:キム・ジニョン
編集:ハム・ソンウォン
音楽:チョン・ヨンジン
音響:キム・ミル
出演:チョン・ジェヨン、キム・ミニ、コ・アソン、チェ・ファジョン、ソ・ヨンファ、ユン・ヨジョン

© 2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

2015年/韓国/121分/ビスタ/5.1ch/カラー
配給:クレストインターナショナル

『正しい日 間違えた日』
オフィシャルサイト
http://crest-inter.co.jp/tadashiihi/



『夜の浜辺でひとり』
英題:On the Beach at Night Alone

6月16日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

監督・脚本:ホン・サンス
製作:チョノンサ・フィルム
撮影:キム・ヒョング、パク・ホンニョル
照明:イ・ウィヘン
録音:ソン・イェジン
スチルカメラマン:キム・ジニョン
編集:ハム・ソンウォン
音響:キム・ミル 
出演:キム・ミニ、ソ・ヨンファ、クォン・ヘヒョ、チョン・ジェヨン、ソン・ソンミ、ムン・ソングン

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

2017年/韓国/101分/1.85:1/5.1ch/カラー
配給:クレストインターナショナル

『夜の浜辺でひとり』
オフィシャルサイト
http://crest-inter.co.jp/yorunohamabe/



『クレアのカメラ』
英題:Claire's Camera

7月14日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次ロードショー

監督・脚本:ホン・サンス
撮影:イ・ジングン
録音:ソ・ジフン
編集:ハム・ソンウォン
音楽:タル・パラン
音響:キム・ミル
製作:チョノンサ・フィルム
共同製作:カメリア・フィルム
出演:キム・ミニ、イザベル・ユペール、チャン・ミヒ、チョン・ジニョン、ユン・ヒソン、イ・ワンミン、カン・テウ、マーク・ペランソン、シャヒア・ファーミー

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

2017年/韓国/69分/1.85:1/5.1ch/カラー
配給:クレストインターナショナル

『クレアのカメラ』
オフィシャルサイト
http://crest-inter.co.jp/sorekara/crea/



『それから』
英題:The Day After

6月9日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて全国順次ロードショー

監督・脚本:ホン・サンス
製作:チョノンサ・フィルム
撮影:キム・ヒョング
録音:ソ・ジフン
編集:ハム・ソンウォン
音響:キム・ミル
出演:クォン・ヘヒョ、キム・ミニ、キム・セビョク、チョ・ユニ、キ・ジュボン、パク・イェジュ、カン・テウ

© 2017 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

2017年/韓国/91分/モノクロ/ビスタ
配給:クレストインターナショナル

『それから』
オフィシャルサイト
http://crest-inter.co.jp/sorekara/




































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※2 
週間読書人ウェブ
「虚構の醍醐味に真正面から触れる」
ホン・サンス『夜の浜辺でひとり』


※3 
「映画なしでは生きられない」洋泉社
「つらいから、眠るの」ホン・サンス論
真魚八重子著
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