『-×-』(マイナス・カケル・マイナス)
1970年に「人類の進歩と調和」を謳った万国博覧会が開催され、岡本太郎の「太陽の塔」が21世紀の今でも、その無邪気な祝祭的な佇まいで屹立する地を舞台に、イラク戦争開戦前夜の二日間と開戦当日の朝を描いた本作『-×-』(マイナス・カケル・マイナス)は、"二つの孤独な魂"と"一つの友情"と"一つの家族の再出発"を通して、私たちひとりひとりと"世界"との関係性を静かに問いかける。
見るからに『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ/76)のデ・ニーロが漂わせたアンチ・ヒーロー的カリスマ性とは無縁の凡庸さを纏った"タクシー運転手"を演じるのは、日本赤軍のリンチ事件を昇華したと言われる(筆者未見)、伝説の悪趣味映画『鬼畜大宴会』(熊切和嘉/97)で主演を演じた澤田俊輔(現在、消息不明だという)であるからといって、この"タクシー運転手"が実は壮絶な過去を背負った強者であるなどと深読みする必要は全くなく、見た目通りの、どこにでも居そうな孤独な気配を漂わせる独身男性として観て差し支えないだろう。
映画は、この"タクシー運転手"が乗せた乗客(大阪万博の頃を懐かしむ中年男性、シングルマザー)との、一方通行のコミュニケーションを端緒に二つの物語を形成していく。"タクシー運転手"とシングルマザーの出会いを描いた一つめのエピソードでは、偶然出会った二つの孤独な魂が、同じ電極を持つ物同士が反発しあうように、引き合わせようという神の采配に対してささやかな抵抗を試みる。伊月肇監督の傑作短編映画『トビラを開くのは誰?』でも中心的なモチーフであった"母親の喪失、もしくは不在"のテーマは、ここでもその構造を反転する形で展開され、モダンホラー的日常に潜む不気味さを纏った意匠で編奏されている。シングルマザーを演じる、高橋洋監督『恐怖』(09)や井土紀州監督作品で巫女的な存在感を発揮してきた長宗我部陽子が、現実と妄想の境界線を行き来しながら、感情を失ってしまった母親の無表情を好演している。
二つ目は、中学の同級生、凛(寿美菜子)と智美(大島正華)の物語。主婦の母親を持つ智美と両親が離婚したばかりの凛、智美は美術系の高校への進学が決まっているが、凛は離婚して家を出た母親に強い反感を持ちながら、自分の進路にも漠然とした不安を抱いている。この二つ目の物語では、智美が、父親の部屋でポルノまがいの写真が掲載された雑紙を見つけたり、部屋に遊びにきた幼なじみの中学生男子がその雑誌を見つけて囃し立てたり、凛がバスで乗り合わせた見ず知らずの中年男性が風俗店に電話をしていたりと、出てくる男性が老若を問わず、抑圧された性的欲求に苛まれた日常生活を送っている、極めてリアルなこの国の風景を映画に偏在させている。
家庭環境から苛立ちを募らせてゆく凛は、その鬱屈した心を上手く曝け出すことが出来ず、智美と喧嘩になる。智美は捨て台詞を吐いて、ゴムボールを凛に投げつけてその場を立ち去ってしまう。『トビラを開くのは誰?』同様、本作全編を通して明らかなのは、伊月肇監督の、"言葉"ではなく視覚的な"運動"でストーリーを語る、という映画言語本来の特性への忠誠心である。従って、凛は、放たれたボールを回収し、智美にそのボールを投げ返すことで彼女たちの"友情"は、中学生らしい身軽さで、自らの胸に取り戻すことができるだろう。今まで本作を重く支配してきた、孤独、喪失、裏切り、鬱屈、抑圧といったマイナス・ファクターが重力の磁場から解き放たれてゆく。やがて、ごめんなさい、と言いあった父娘は、万博博覧会のテーマ曲「世界の国からこんにちは」を静かに唄い始めるだろう。
夜のシャッターが閉じた商店街から国道への道を流すタクシーが過ぎ去っていく、その"風景"が『サウダーヂ』(富田克也監督/11)終盤の無人のシャッター商店街、人が消えてゆく地方都市の夜景の記憶を鮮烈に呼び覚ます。モノレールの車窓から見える風景を捉えることから始まったこの映画は、タクシー、バスといったトランスポーテーションを活用して『サウダーヂ』のアクチュアリティと並走しながらも、エピローグで、タクシー運転手には、シングルマザーの彼女がくれたチョコを手に持たせ、凛には、新しい高校の制服を着させることで、ささやかな希望を感じさせる朝がやってきたことを告げているように見える。
しかし、現実においては、彼らの日常に希望の光が見え始めた、まさにその朝、"世界"はイラク戦争に向かって突き進んでいったのであり、8年後の2011年3月11日には、2万人近い死者・行方不明者を出し、私たちの身近な日常生活を脅かす、東日本大震災と原発事故が起きてしまう。それでも、万博に託された希望は果たして本当に潰えてしまったのか?「未来への希望」が語られた、あの時からまだ40年しか経っていないではないか、と若い監督は言いたかったのかもしれない。空族よりも、約10年若いこの監督は、映画表現の実践に於いては未だ遠く及ばないものの、その視線は、大胆にも『サウダーヂ』のその先へ歩を進めるべく、「太陽の塔」を仰ぎ見ている。
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Comment(1)
Posted by 渡辺 正幸 | 2013.05.14
自分達より一世代若い、この監督の将来に期待します。