『ミスター・ノーバディ』

上原輝樹
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ボタンを押すとエサが出ることを学習したハトは、タイマーで自動的にエサが出ると"一体自分が何をしたのだろうか?"と疑問に思う。そして、エサが出た時の行動を繰り返すことで、その行動によってエサが出たということを信じ込もうとする。この"ハトの迷信行動"と呼ばれる実験映像で開巻する『ミスター・ノーバディ』は、『トト・ザ・ヒーロー』や『八日目』で知られる名匠ジャコ・ヴァン・ドクマル監督が完成まで10年の歳月を費やした、桁外れなスケール感の野心作である。

映画は、主人公が死んでしまい、"一体僕が何をしたのだろうか?"と、実験映像の中でハトが感じたのと同じ疑問を彼が呟くところから物語が始まる。水に落ちた車の中で溺れたり、バスユニットで何者かに銃撃されたりする"過去"をフラッシュバックで見ているのは、現在のニモ・ノーバディ、"ミスター・ノーバディ"(ジャレッド・レト)である。"現在"は、2092年、1975年生れの"ミスター・ノーバディ"は、118歳で、人類が不老不死となった"現在"において、死ぬことができる最後の人間である。

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2009年、34歳だったニモ("ミスター・ノーバディ"と同じくジャレッド・レトが演じている)は、妻エリース(サラ・ポーリー)、二人の子どもと暮らしている。子どもを学校に送って行こうと息子の名前を"ポール"と呼ぶが、息子は、パパ、僕の名前は"ポール"じゃないよ、という。シーンが変わり、今度は、アジア系らしき顔立ちの子どもが、彼をパパと呼ぶ。"ポール"とはこの子の名前で、そこでは、彼の妻はジーン(リン・ダン・ファン)という、アジア女性である。私たちが見ているのは、"ミスター・ノーバディ"の混濁した意識の中でフラッシュバックして甦る"過去"の記憶であるらしい。

天上界での挿話が語られる。生まれる前の子どもたちは、自分を待ち受けている運命を皆知っているのだが、生まれる直前になると、"忘却の天使"がやってきて、その記憶を全て消し去ってしまうのだという。しかし、その"天使"は、ニモの前だけは通り過ぎてしまう。この"天使"がたまたま無責任にも、彼の前を素通りしてしまったが為に、彼は"忘却"することを禁じられ、私たちにこうして過去を洗いざらい開陳する運命を背負わされている。そして、次に、子どもを待っているのは、自分が生まれてくる親を選ぶ仕事であるという。ニモは、女の人がいい匂いがして、男が"バタフライ効果"について語ったから、という理由でこの両親を選んだ。

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天上界のニモの意思で、"バタフライ効果"で縁を結ばれたパパ(リズ・エヴァンス)とママ(ナターシャ・リトル)は結婚し、ニモを授かる。もちろん、この物語は"忘却"を禁じられたニモによって語られていく。よちよち歩きの末に転んだニモをママは"ブラボー"と言って拍手して勇気づけるが、母親が転んだ時にニモが"ブラボー"と言って手を叩くと、ママに叱られる。過去は思い出すのに未来はそうはいかない、そのことをママに聞くと"何でもなぜ?って質問しないで"と言われてしまう。確かに、論理的に正しいのは子どもの方で、人間は成長するに従って完璧さから遠ざかり、死に向かっていく。そんなペーソスを感じさせるエピソードが1970年代のファッション、インテリアと共に描かれていく。このペーソスは、いずれ語られることになる"エントロピー理論"への感情的なフックにもなっている。

細胞のテロマー化、永久再生が実現する前の世界のことを話してほしいと、"現在"の"ミスター・ノーバディ"のところに、ジャーナリストがやってくる。人間がまだ死んでいた頃の世界では、空気を汚す車が走り、タバコを吸い、肉を食った、今は全て禁じられているが、それは素晴らしい世界だったよ、日々のほとんどは何も起こらなかった、フランス映画のようにね、と語る。本作を全編英語で撮った、ベルギー人監督の皮肉混じりのジョークが微笑ましい。そして、ジャーナリストから、今の時代はもうしませんが、とセックスについて聞かれた"ミスター・ノーバディ"は、喜々として、もちろんヤッたさ!と応え、"we fell in love..."と繰り返す。メランコリックな"恋"にまつわる記憶が、今も118歳の老人の心を掻き乱す。

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若き日のニモは、大学で物理学のレクチャーを行っている。レクチャーの内容は以下の通りだ。

時間は、宇宙がビッグバンによって膨張をした結果生じたものだから、ビッグバン以前の宇宙には、時間が存在しない。では、宇宙が膨張をやめて逆行したら、時間はどうなるのか?"超ヒモ理論"では、宇宙は9次元空間と1次元の時間で構成されているという。最初は全てが調和していたが、ビッグバンによって3次元空間と一時的な時間という尺度が現れた。残りの6次元は小さく閉じている。もし、閉じている次元の方に住んでいたとしたら、錯覚と現実の違いはどのようにわかるというのか?時間は一方向にのみ進む。だが、もし他の次元の1つが、空間ではなくて時間だったら?

ドルマル監督は、彼が愛する"複雑さ"、「バタフライ効果」「超ヒモ理論」「エントロピー」「宇宙大収縮」といった科学理論を映画の構成に取込み、"ミスター・ノーバディ"の壮大な人生の物語を、様々な映像表現上の実験的なアイディアを駆使して色鮮やかな色彩で映像化することに成功している。

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現実世界において、時間は戻せない。それゆえに"選択"は難しい。人は"正しい選択をしなければいけない"と思う。しかし、"選択"をしなければ全ての可能性は残る。ニモには、人物造形上、赤、青、黄の3色に特徴的に色分けされる三人の女性(アンナ、エリース、ジーン)のいずれかと結婚をする可能性があったが、現在の"ミスター・ノーバディ"にとっては、そのうちの誰と結婚をしたのか、記憶が定かではない。彼の記憶の中では、人生は迫られる"選択"の連続であると同時に決断することを拒否する、決定不可能な事態の連続であったに違いない。

ニモを、決定不可能な心理状態に追い込んだのは、"バタフライ理論"によって縁を結ばれた彼の両親の別離だった。駅のプラットフォームで、パパのもとを去り、列車に乗り込んだママを、ニモは追いかける。次第にスピードを上げていく車両、一つの記憶では、懸命に走ったニモは追いつき、ママに抱きかかえられる。一方では、走るニモを、パパが声を上げて呼び止めようとする、それでも走り続けるニモだが、靴ヒモが切れて靴が脱げてしまう。ついに追いつけなかったニモをパパが抱擁する。以来、"ミスター・ノーバディ"にはパパと暮らした生活とママと暮らした生活、二つのパラレルワールドの記憶が存在する。

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9歳の時に両親の別離を経験するという子供にとって最大のトラウマ体験をパラレルワールドの分岐点にすることで、過度に構造的になりかねない野心的なナラティブを、人間的な感情に深く結びつけることに成功している脚本が秀逸である。そして、「ミスター・サンドマン」の幾通りものバリエーションやオーティス・レディング、バディ・ホリーらの50〜60年代のスイートなポップソング、そして「ノルマ」のCosta Divaやエリック・サティ、バッハらの静謐な楽曲たちが、この悲しくも美しい世界のバックグラウンドを静かに浮遊し、観るものの気持ちを和らげる。

"ミスター・ノーバディ"は、結婚後の生活について3つのパラレルの記憶を持っているが、"we fell in love..."と何度も呟いた、その相手は、"アンナ"以外にはいなかった。子供の頃にアンナをプールで見て、その姿に一目惚れし、自分もアンナに倣ってプールに飛び込むが、ニモは溺れてしまう。それ以来、カナズチになった彼は、15歳になって、再び"アンナ"と出会い、彼女と初めて会話を交わすのも海辺でのことでなる。"ミスター・ノーバディ"の人生の恋の記憶は、"溺れること"と分かち難く結び付けられている。それは、"溺れること"への恐怖にも似た快楽であったに違いない。

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パパと暮らす15歳のニモは、エリースを好きになる。ユーリズミックスのかかるクラブから、エリースに誘われて一緒に外に出た二人は、成り行きからキスをする。ニモは、人が恋をするという事は科学的にはどういうことか、という疑問を抱く。

何らかの刺激によって脳の視床下部からエンドルフィンが分泌されるわけだが、なぜ、特定の女と特定の男なのか?遺伝子信号と一致する無臭フェロモンが放出されるのか?あるいは、母親と同じ目などの肉体的な特徴か?幸せな記憶の甦る香りであるとか。愛は闘いの一部だろうか?今、二つの生殖方法が戦っている。一つは、細菌やウイルスの無精生殖、それらは細胞分裂と増殖でヒトよりもずっと速く完成する。対するヒトは、セックスという恐ろしい武器で対抗する。男女が遺伝子を混ぜ合い、ウイルスに対する抵抗力のより高く、なるべく異なる人間を創り出す。

とレクチャーをするのは、大人になったニモである。

エリースに失恋したニモは、最初に踊る女性と結婚する事を決意する。そのようにして結婚をした女性がジーンだった。ニモは、ビジネスに成功し、プール付きの豪邸に住んでいるが、人生の全てに虚しさを感じている。それでも、自分が下してきた"選択"を続けるしか自分にできる事はないと思っている。あらゆる事に対して感情を失ってしまったニモは、生きる屍のようだ。自分の"愛"を闘わなかった男の本当の悲劇がここにある。

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起こる事の記憶を"忘却の天使"の手違いで現世においても持ち続けているニモは、従って、これから起こる事を予期できる。つまり、エリースに失恋した彼は、パラレルワールドでその失恋の直前まで戻りやり直すことができ、エリースと結婚をするパラレルワールドの記憶を持っている。しかし、"ブルース(青色)"に満ちたエリースとの生活は、幸せと言えるものではなかった。

なぜタバコの煙はタバコに戻らないか?なぜ分子は拡散する?なぜなら、宇宙が消散の方向に進んでいるからだというのが、エントロピーの原理である。宇宙の進化は乱雑さを増す方向へ進んでいる。エントロピーの原理は、宇宙が膨張した結果の"時間の矢"と深い関係にある。だが、もし重力が膨張力と拮抗したら?宇宙空間エネルギーが弱過ぎたとしたら?その時、宇宙は収縮段階に入るだろう。それが、"宇宙大収縮/Big Crunch"といわれるものだ。そうすると、時間は、逆戻りするのか?

エリースと、私が死んだら灰を火星に撒いて欲しいと約束をしたニモは、その約束を果たす為に訪れた火星への宇宙船でアンナと出会う。時間の研究の為に火星を訪れたアンナは、"時間は、一度に起きた多くの物事に順番を与えるためのもの。2092年の宇宙大収縮まで生き延びた人は、時間から解放される"と語る。

しかし、どのパラレルワールドにおいても、ニモは何らかの要因で死んでしまう。それでは、2092年に118歳を迎えている"現在"の"ミスター・ノーバディ"とは、一体誰なのか?その答えは、ジャーナリストに一体あなたの人生の真実とは何だったのかと聞かれた"ミスター・ノーバディ"が、"私の生きたどの人生も真実だ。どの道も正しい道だった"と語り、テネシー・ウイリアムスの"人生には他のどんなことも起こり得ただろう。それらには全て同等の意味があったはずだ"という言葉の引用と、究極の選択を迫られた9歳の子供の"選択"の不可能性との間にある。

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『ミスター・ノーバディ』は、メタレベルのナラティブが、記憶や夢をテーマに縦横無尽に展開する『エターナル・サンシャイン』、『脳内ニューヨーク』、『インセプション』といった作品群の中でも、一際ロマンティックであると同時にペシミスティックで、知的であると同時に官能的であり、それらのどの作品よりも生き生きとしている。そして、ヒューマニティに関して言えば、ハネケの『タイム・オブ・ザ・ウルフ』と双璧を成す。あまりにも21世紀的な感動作である。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2016.07.06

フイルムセンターのEU 映画特集のベルギー作品として本編を見て来ました。ベルギー映画がいいよ!というサジェスチョンで駆け付けただけの事があった。構想としては映画(ライフ・オブ・ツリー )を思わせる宇宙と時間と生命を感じさせる。死生観では映画(パレルモ・シューテイング)の死神のイメージが甦る…。実験的な遊びの精神ではジャン・ヴィゴ監督の(操行ゼロ)やジャン・コクトー監督のシネ・ポエムの世界!それでいて青春映画の持つリリシズムが有るのは音楽を駆使した自由自在な編集手腕やカメラワークにも依るものなのか。目眩く映像に戸惑う処かこれぞ映画だ!とサジェスチョンしてくれた海外の友人に感謝した。

『ミスター・ノーバディ』
原題:MR.NOBODY

4月30日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
 
監督・脚本:ジャコ・ヴァン・ドルマル
出演:ジャレッド・レト、サラ・ポーリー、ダイアン・クルーガー、リン・ダン・ファン、リス・エヴァンス、ナターシャ・リトル、トビー・レグボ、ジュノー・テンプル

© 2009 PAN-EUROPEENNE - MR NOBODY DEUTSCHLAND GmbH 6515291CANADA INC - TOTO&CO FILMS - FRANCE 2 CINEMA - FRANCE 3 CINEMA

2009年/フランス、ドイツ、カナダ、ベルギー/137分/カラー
配給:アステア

『ミスター・ノーバディ』
オフィシャルサイト
http://www.astaire.co.jp/
mr.nobody/
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