『ピリペンコさんの手づくり潜水艦』

鍛冶紀子
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この世には、常人の理解を超えた事をやってのける人たちがいる。例えば郵便局員のフェルディナン・シュバルは、ある日石につまづいたことをきっかけに石の城を作り始める。その完成形は現在でもフランスのドローム県で見ることができるが、それはもう圧巻だ。日本でも素人ながらマンションを自作してしまった夫婦がいる。高知県にある沢田マンションがそれで、実際に入居者もいる立派な賃貸マンションだ。アメリカでいうと、サイモン・ロディアのワッツタワーがそれにあたるだろう。

本作の主人公ウラジミール・ピリペンコも、彼らと同じくおどろくべき偉業を為した御仁である。なにしろ自力で潜水艦を作り、実際海に潜ってしまったのだから!いったいどんな変わりもの?と思うだろうが、これが意外にも普通のおじさんなのだ。海とはほど遠いウクライナの片田舎に暮らし、妻のアーニャと二人でほそぼそと年金暮らしをしている。妻にはどうも頭があがらない。子育てはとうに終えたらしく、軍への入隊を控えた孫もいる。普通じゃないのは30年もの間、「自作の潜水艦で黒海に潜る」という夢を持ち続けていることぐらい。それがどんなにとっぴな発想であるかは、ウクライナには「草原にある潜水艦のよう」という"不可能"を意味することわざがあることからも伺える。だが、そのことわざを裏切るかのように、ピリペンコさんの手作り潜水艦は草原にある沼に潜ってしまうのだが。

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この作品に一貫して流れているのは、普通の人が普通でないことを普通にやってのける妙味である。その姿はときにユーモラスで、ときに胸を打つ。特にハッとさせられるのが、これだけすごいことをやってのけたにも関わらず、ピリペンコさんからは特別なことをしてやろうという下心や、賞賛を受けたいといった欲が全く感じられないことだ。

ピリペンコさんは本作撮影時点で62歳。その62年間をウクライナの歴史と照らし合わせてみると、彼の人生が決して容易なものではなかっただろうことが推測される。生まれたころは独ソ戦争のまっただ中で、その後もソ連支配下での(おそらく自由とはいえない)年月が続く。潜水艦を作り続けた30年間には、チェルノブイリ原発事故があり、ソ連の崩壊、ウクライナの独立があった。時代が大きく変わっていく中、彼は家族を養いながら細々と潜水艦作りを続けた。その暮らしは決して楽ではなかったはずだ。実際、共同監督のひとりレネー・ハルダーはこう綴っている「どうすれば過酷な日々の生活と闘いながら、人生で大切なもの、自分の夢を、手放さずにいられるのか。実際に会ったピリペンコは、そんな問いに答えてくれる人物だった。辛抱強く目標を追うその姿は手本となり、私たちを元気づけてくれる」

また、もうひとりの監督であるヤン・ヒンリック・ドレーフスのコメントにも大きく頷かずにはいられない。「ウラジーミル・ピリペンコの存在がなかったら、我々はこの映画を作ることができなかった。そして彼のような人々の存在がなかったら、世界は今よりも貧しい場所になっているだろう」そう。きっといつの時代も彼のような"普通の人"が、真の意味での「人生の可能性」を教えてくれるのだ。しかし"普通の人"は普通の人であるがゆえに人知れぬままだったりする。そこにスポットを当て、記録として残し、国境を越えて伝えることができるドキュメンタリー映画というジャンルに、あらためて可能性と魅力を感じた。ピリペンコさん、ありがとう。


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『ピリペンコさんの手づくり潜水艦』
原題:MR PILIPENKO AND HIS SUBMARINE

11月14日、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

監督:ヤン・ヒンリック・ドレーフス、レネー・ハルダー
製作:イェンス・フィンテルマン、トーマス・ゼーカンプ
撮影:フロリアン・メルツァー
音楽:ハインリヒ・ダーゲッフェア、フランク・ヴルフ
出演:ウラジーミル・アンドレイェヴィチ・ピリペンコ、アーニャ・ミハイロヴナ・ピリペンコ、イルカ号ほか
後援:ドイツ連邦共和国大使館、ウクライナ大使館、ドイツ文化センター、ウクライナ政府観光通商センター

2006年/ドイツ/カラー/90分/ロシア語・ウクライナ語
配給:パンドラ

『ピリペンコさんの手づくり潜水艦』
オフィシャルサイト
http://www.espace-sarou.co.jp/
pilipenko/
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