『アンナと過ごした4日間』

上原輝樹
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映画をつくることは自転車に乗るようなものだ、一度覚えてしまえば二度と忘れることはないと豪語するポーランドの巨匠イエジー・スコリモフスキが、25年振りの母国で17年振りに撮り上げた新作『アンナと過ごした4日間』は、本人の言葉を裏切らない、絵画のように美しい映像と謎めいたストーリー展開、耳を澄まして聞く事になる音響設計といった現代的感覚溢れる映画作りで、空想とも現実とも決めかねる、どことも知れぬ中世の街並みを残すヨーロッパの古い村を舞台に描かれる孤独な男の物語へ観客を引き込む。観客の多くは、映画でしか決して体験することができない豊かな時間が流れていることに、開巻早々気付くことだろう。

映画は、キャメラが一人の中年男性が道を往く姿を捉える移動撮影のシーンで始まる。この中年男性、どうも挙動が怪しい。道往く人を建物の陰に隠れてやり過ごすと、ある店に入り女性の店員から斧を購入する。男は、購入した斧を片手に、やや猫背の姿勢で足早に道を歩いてゆく。そこで画面は、暗い室内のショットに切り替わる。男は、焼却炉の横で斧を手に座っている。キャメラが男の顔を正面から捉え、煤で汚れたその顔を暗がりの中で不気味に浮かび上がらせる。男の目はしっかりとキャメラを見詰めている。劇映画では、基本的には禁じ手とされている"カメラ目線"だが、物語の中の"異化作用"として使われることは珍しいことではない。ここではクローズアップショットで捉えられた男の目線が、物語の時空を超えて、過去の時制へと観客を連れ去るショットとして効果的に使われている。物語は数年前に遡る。男は、釣りに出かけたその帰り道で、"牛の死骸"が寒々とした川面をゆっくりと流れていくのを目撃する。恐らくは、男がその生死に全く関わっていないはずの"馬の死骸"が、次に起こる不吉な事件の予兆のように映画の空気を重々しく支配する中、この男の"不審さ"は、いよいよ決定的なものに思えてくる。

男への"疑念"が最高潮に達するのは、この冷え冷えとした重い空気を切り裂くアンナの悲鳴が森の中で響き渡ったときだろうか。しかし、画面に映し出されるのは、アンナがレイプをされるところを、またもや建物の陰から、たまたま目撃してしまった男の姿だった。レイプシーンを目撃した男は、その場で勇ましくアンナを救うことは出来なかったものの、怖れから身体をがくがく震わせながら公衆電話に走り警察に事件を通報する。釣り道具を事件現場に忘れた男は、アンナのレイプを目撃したのに助けることが出来なかった事への罪悪感か、あるいは単なる生来の不器用さからか、警察に状況を上手く説明出来ずに容疑者としての疑いをかけられ、厳しい取り調べを受ける羽目に陥ってしまう。それでも何とか釈放された男は、この事件をきっかけにアンナに恋心のようなものを抱くようになる。

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レオンと呼ばれるこの男は、病院の火葬場で死んだ人間を焼却する仕事をしながら、病床の母と二人暮らしをしている。こうした男の慎ましい生活が時代を超越した素朴な絵画のような筆致で描写されていくに従って、映画冒頭で観客に植え付けられた男に対する"不審"なイメージは徐々に薄れていくのだが、今度は、彼の於かれた境遇に対してある種居たたまれない気持ちを抱くようになり、数分前までは"疑い"の眼差しで彼を眺めていたのだという罪悪感もプラスされて、この不器用な男を応援しなければという義憤めいた感情の芽生えとともに観客はレオンと伴走すらしかねない心持ちになっていく。「人に、簡単に判断してしまわないことを教えたかった」という監督の意図が見事に成就する瞬間である。

レオンと伴走する観客は、自宅の窓から双眼鏡でアンナの部屋を盗み見するレオンの心情を、"片想い"の切ない心情として理解するだろう。そして映画冒頭から持続しているストーリーの宙吊り状態が、この"覗き"を媒介として誰もが知るサスペンス映画の巨匠の名を連想させながら、映画的に持続する時間の豊かさを観客は享受してきたのだが、いずれこの絶妙なバランスを崩す静かな変化が訪れる。病床の母があっけなく亡くなり、レオンは一人残されてしまうのだった。この村に古くから伝わる伝統的な儀式のように、独特の美しさと不穏さを湛える極めてフォトジェニックな風景を背景に執り行われる荘重な葬式を終えた後、レオンのアンナへの恋心は、母の死をきっかに箍(たが)が外れたようにエスカレートしていく。

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ここから、映画のタイトルとなっている"4日間"が始まる。初めての夜、レオンは、恐る恐る慎重を期して、アンナの部屋の窓から侵入する。部屋に侵入したレオンは、寝ているアンナを起こさぬよう物音を立てずに四つん這いで移動し、アンナの衣服のボタンのほつれを見つけるやこれを直し終えると、侵入した窓からいそいそと退去する。第2夜、夜の喧噪に紛れたレオンはいささか無遠慮に物音を立てながら、アンナの部屋に入る。もちろん、今夜も玄関からではなく窓からの侵入なわけだが、部屋での行いは慎ましい。床の汚れを拭き、アンナが塗り終わる前に眠ってしまった足の爪のペディキュアを暗がりの中で背中を小さく丸めながら塗り終える。第3夜は、アンナのバースデーパーティーが行われている。アンナの友人たちが部屋に押し寄せ、ひとしきり宴は盛り上がる。いずれ友人たちは帰宅し、アンナは散らかったままの部屋で泥酔して寝入ってしまう。一部始終を双眼鏡で観察していたレオンは、アンナが寝入ったのを見計らって、ネクタイとスーツで正装し、いつものように窓から訪問する。景気付けに一杯引っ掛けてきたレオンは、窓からもんどり打って床に落ちてしまうが、泥酔しているアンナは、その衝撃音にも気づかず良く眠っている。その夜、満を持して購入したダイヤの指輪を眠っているアンナの指にはめようとするのだが、アンナと同じように祝祭気分で酔っているレオンは、手元が狂って指輪をベッドの下に落としてしまう。これを探すうちに、レオンもアンナが眠るベッドの横の床でそのまま眠ってしまうのだった。この夜がレオンにとっては最も幸せな夜だったのかもしれない。

4日目の夜、何かを決意したような面持ちのレオンは、胸で十字を切って、いつものように窓から侵入する。そして、この夜、ついに事件は起きてしまう。我らが、不器用なヒーロー、レオンを待ち受ける運命やいかに。世界中の映画好きを唸らせた、不器用な男の片想い奇譚の終わりには、あっけない程堂々たるエンディングが用意されている。それは、「過去に郷愁を感じることはない」と断言するスコリモフスキ監督ならではの、切れ味の鋭い刃のようでもあるし、同時に、観客に想像する余白を残しているようにも見える。いずれにしても、レオン自らが警察で主張したように、彼の行為が"愛"ゆえのものだったという証拠はどこにも見当たらない。人は、ただそこで示される行為を目の当たりにして、その行為は狂っている、しかし、狂ってしまわなければ超えられない壁が現実には存在する、だから、社会的規範を超えてしまっても、許される狂った行為がこの世に存在してほしいと願う。その"狂った行為"を人はかろうじて"愛"と呼ぶのかもしれない。


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『アンナと過ごした4日間』
原題:Cztery noce z Anna

10月17日(土)より、渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー

製作:パウロ・ブランコ
監督/脚本/製作:イエジー・スコリモフスキー
脚本:エヴァ・ピャスコフスカ
撮影:アダム・シコラ
音楽:ミハウ・ロレンツ
録音:フレドリック・ド・ラヴィニャン、フィリップ・ローリアック、ジェラール・ルソー
美術:マレク・ザヴィェルハ
衣装:ヨアンナ・カチンスカ
編集:ツェザルィ・グジェシュク
エグゼクティブ・プロデューサー:エヴァ・ピャスコフスカ、フィリップ・レイ
製作進行:アン・マッタティア、アンジェイ・ステンポフスキ
出演:アルトゥル・ステランコ、キンガ・プレイス、イエジー・フェドロヴィチ、バルバラ・コウォジェイスカ

2008年/カラー/フランス、ポーランド/94分/35mm/ヴィスタ/DOLBY DIGITAL、DOLBY SR
配給:紀伊國屋書店、マーメイドフィルム
配給協力:(社)コミュニティシネマセンター
協力:コムストック・グループ

写真:© Alfama Films, Skopia Films

『アンナと過ごした4日間』
オフィシャルサイト
http://www.anna4.com/


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 『アンナと過ごした4日間』
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