『オレンジと太陽』

鍛冶紀子
loach_01.jpg

子どもたちの強制輸送"児童移民"。イギリスとオーストラリアを舞台とする(オーストラリアの他、カナダ、ニュージーランド、ジンバブエも移送先であった)この驚くべき出来事を知っている日本人はどれだけいるだろう。2009年にはオーストラリアのケヴィン・ラッド首相が、2010年にはイギリスのゴードン・ブラウン首相が、正式な謝罪を行ったことで世界的なニュースとなったが、直接的に関係のない日本では、その認知度は圧倒的に低い。おそらくそれは日本に限らず、多くの国で同じであろう。故に、本作を通じて児童移民という問題が広く知られるようになるという面で、『オレンジと太陽』は告発の映画でもある。

告発の映画などというと、いかにもエモーショナルな演出を想像するかもしれないが(実際そうした映画は多い)、「キャンペーン映画にはしたくなかった」というジム・ローチ監督の言葉の通り、描かれている衝撃的な内容に反して、静かで淡々とした語り口が印象深い。

loach_02.jpg

ジム・ローチ。そのファミリー・ネームから察しがつく通り、あの名匠ケン・ローチを父に持つ。写真を見ると、たしかに父とよく似た温和な顔をしている。その温和な顔とは裏腹に、虐げられた人々に目を向け、その実態と問題を"告発"し続ける父の強靭な姿勢をも、息子は確かに受け継いでいるようだ。ケン・ローチが階級や戦争によって損なわれる人間の尊厳を描いてきたように、『オレンジと太陽』でジム・ローチが焦点を当てたのは、児童移民というスキャンダラスな出来事それ自体というよりは、自分が何者であるのかを知る事すらできないという、正に、人間の尊厳を奪われた元移民たちの悲しみそのものだ。

さまざまな事情から施設に預けられていた子どもたちを、イギリス政府は児童移民として異国に送っていた。その蛮行は19世紀から1970年まで続き、その間におよそ13万人もの子どもたちが家族から、そして祖国から切り離され、突如見ず知らずの国に放り出された。強制輸送先では、確かな保護などなく、多くの子どもたちは安い労働力してこき使われ、身体的、心理的、性的虐待を受けるなど、過酷な環境に置かれた。この人道的にも許されざる行為に、政府のみならず教会や慈善団体もが深く関わっていたということに驚く。

loach_03.jpg

元児童移民たちのために奔走する主人公・マーガレットに、「あなたのせいで神父様たちが苦しんでおられる」と冷たく言い放つ教会関係者。「これ以上神父たちの悪口を言ったら、お前を永久に黙らせてやる」という脅迫電話。実際に自宅を襲う暴漢。そうした信者の盲信的な様は宗教の闇そのものであるし、それを静かに告発するジム・ローチに、ケン・ローチが『レイニング・ストーンズ』(93)で語らせた「宗教は人間から考える力を奪ってしまう」という台詞を重ねてしまう。父同様、息子もまた、いわゆるイギリスの権力層に煙たがられる存在になるのではないかと予感させる。

また、これは実話を元にしているので偶然のことではあるが、児童移民問題では母子の再会のための活動をするマーガレットが、物語の冒頭ではソーシャルワーカーとして、児童保護法の元、母子を引き離す仕事をしているという皮肉も描かれており、子どもを連れ去ろうとするマーガレットに泣いてすがる母親の姿には、思わず『レディバード・レディバード』(94)のマギーの姿を重ねてしまった。わずかなシーンではあるが、この冒頭があることによって、全てを"善"で覆うつもりはない、というジム・ローチのスタンスが垣間見えたように思う。

loach_04.jpg

繰り返すようだが、全編にわたって冷静な視線を感じる映画だ。俳優たちの演技からも、誠実であろうとする様がうかがえる。マーガレットを演じたエミリー・ワトソンが、ジム・ローチについて「『OK、もう1回やろう。今度はもう少し控えめにやってみよう』って、彼はいつも言うんです。これが彼の持ち味。すべてを適切にキープする」と語っている。実際映画の中でエミリー・ワトソンは極々普通の女性を演じている。まったく過剰さがない。普通の母であり、普通の妻である。普通の女性が一般的な道徳観をもって児童移民問題に対峙する。そうした時に浮かび上がるのは、政府や教会の異常さだ。ジム・ローチは問題自体を声高に凶弾したりはしない。じわりじわりとあぶり出して行く。

ジム・ローチの"適切なキープ"は映像そのものにも感じられる。というのも、本作の多くがワン・シーン、ワン・カットで撮られている。ゆえに、マーガレットと元移民のレンやジャックとの関係が徐々に親密になっていく様が、確かな空気感を伴って画面に焼き付けられている。そしてそれは、ワン・シーン、ワン・カットというリアルな時間を持続させることで、マーガレット・ハンフリーズやレンやジャックのモデルとなった実在の人たちに対して礼儀を尽くそうとしているようにも見える。誠実で確固たる姿勢を持った映画。本作がデビューとなるジム・ローチの今後が非常に楽しみだ。


『オレンジと太陽』について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.11.20

ヒッチコック監督作品やポランスキー監督の(ゴーストライター)のようにサスペンスフルに、児童移民の問題を炙り出していく手法は見事だ。クライマックスは偏見を乗り越えてオーストラリアにある砂漠の中の移民児童が収用された施設の修道院に赴くシーン。テイー・タイムでのやり取り。彼女は大人として対処して行く毅然とした態度で 。これがジム・ローチ監督の長篇処女作とは!

『オレンジと太陽』
英題:Oranges and Sunshine

4月14日(土)より岩波ホール他、全国順次ロードショー!
 
監督:ジム・ローチ
脚本:ロナ・マンロ
製作:カミーラ・ブレイ
衣装:カッピ・アイルランド
音楽:リサ・ジェラルド
美術:メリンダ・ダリング
撮影:デンソン・ベイカー
プロデューサー:エミール・シャーマン、カミーラ・ブレイ
出演:エミリー・ワトソン、デイヴィッド・ウェナム、ヒューゴ・ウィーヴィング

© Sixteen Midlands (Oranges) Limited/See-Saw (Oranges) Pty Ltd/Screen Australia/Screen NSW/South Australian Film Corporation 2010

2010年/イギリス、オーストラリア/カラー/106分/ドルビーデジタル
配給:ムヴィオラ

『オレンジと太陽』
オフィシャルサイト
http://oranges-movie.com/
印刷