『ハート・ロッカー』

上原輝樹
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遅ればせながら、やっと『ハート・ロッカー』を見てきた。このところフランス映画を見る機会が多く、アカデミー賞の喧噪を横目で眺めながら、『アバター』 や『ハート・ロッカー』といった話題作も人並みに見ておきたい!という欲望を内心抱きながらも、その機会に恵まれてこなかったのだ。その他のアカデミー賞 候補作品は、『カールじいさん〜』を除いて概ね見ているのだが、最も話題性の高いこの2作品に関しては、あまりにもそこかしこで話題に登るので、見ていな い居心地の悪さを感じながらも、『ハート・ロッカー』に関しては、また戦争映画か、という気持ちも正直あって、なかなか食指が動かなかった。そうして私が ひとりでもたついている間に、『ハート・ロッカー』は、アカデミー作品賞を、監督のキャスリン・ビグローはアカデミー史上女性初の監督賞を受賞、との ニュースが世界を駆け巡り、映画を見る前から作品に関する賞賛の言葉や異論・反論を含める様々な情報に触れることになった。というよりは、自ら進んでキネ 旬の「ハート・ロッカー特集」まで読んでしまったのだが。映画を見る前に、こんなに沢山の情報を仕入れてしまって、果たして人の意見に惑わされずにその作 品に向き合う事ができるのか?などという疑問は、とりあえずは映画が始まるとともに頭の奥の方に後退して、見事に記憶の表層から消え去っていた。

その代わりに、映画を見ながら思い起こしたのは、ベトナム戦争以降の戦争映画のこと。『地獄の黙示録』(79)で描かれたベトナム戦争のジャングルに置き 換えられた"暗黒大陸アフリカ"の闇の奥の狂気、『ディア・ハンター』(78)でクリストファー・ウォーケンが演じた、戦争の狂気に捉えられてロシアン・ ルーレットの勝負に生死を賭ける精神錯乱状態に追い込まれた元兵士のこと、『リダクテッド』(07)で告発されたイラクにおける米兵による卑劣で残虐な戦 争犯罪行為、『戦場でワルツを』(08)で描かれた、戦争の悲惨な体験から当時の記憶を無くした元イスラエル軍兵士であった監督が、自らの記憶を再構築す る悪夢的な旅路の映像化の試み。これらの映画に共通するテーマの一つである"戦争後遺症"が、『ハート・ロッカー』の最も重要なテーマとなっている。本作 の主人公ジェームズ軍曹(ジェレミー・レナー)が陥っている戦争後遺症がもたらす、静かなる人格の崩壊ぶりを、戦場と帰国後の短いシークエンスの対比の中 に描き、ニューヨーク・タイムズ紙の戦場特派員クリス・ヘッジスの"戦争は麻薬である"という言葉に、監督の視点を象徴的に集約するストーリーテリングの 上手さが際立っている。"戦争"という極限状況にハマっていく、逃れたくても逃れられない"どうしようもなさ"を詳細な取材に基づいたフィクションの中に 生起させているところに本作の一番の価値があるように思う。


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一部の批評に、『ハート・ロッカー』は、アメリカ兵の内面ばかり描いていてイラク市民については全く描いていないというものがあるが、そうした批判には違 和感を覚える。『ハート・ロッカー』では、イラクの市民からアメリカ兵に向けられる刺さるような"視線"や石を投げつける子供たちといったアメリカ兵のプ レゼンスに対する嫌悪感がむしろリアリティを持って描かれている。本作で捉えられた"視線"が「ほんの視線一つが情熱を、殺人を、戦争を誘発する(※)」 ほどのものであったかどうかは定かではないが、そこでは数えきれないほどの夥しい数の"視線"がキャメラに収められ、立体的にモンタージュされたその"視 線"と、その視線の先にあるアメリカ兵の立ち居振る舞いが本作の重要な構成要素となっている。中心的な役割を演じるアメリカ兵たちの描写にしても、特に美 化したり、ヒロイックな場面が用意されているわけでもなく、むしろ、"戦争"という極限状況でより強い刺激を求めて中毒的に危険な状況にハマって行くこと の不可避性を暴くナラティブが採用されている。それ故に、アメリカ兵の中に誰一人として"悪者"が描かれていない事が、アメリカが始めた戦争への嫌悪感と 相俟って、前述の批判を呼び寄せているのかもしれないが、誰か特定の人物を"悪者"に仕立て上げることだけは、この映画が何としても避けなければならな かった"茶番劇"であったに違いないし、単なる"反戦映画"であったら、本作がここまで注目されることもなく、結果的に"イラク"で起きている事は、ます ます人々の記憶の中で風化していくばかりだったろう。


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映像的にも幾つかの際立ったシーンが印象に残っている。それは、いずれもキャスリン・ビグローの傑出した空間演出の才能に関わるもので、その空間の切り取 り方、組み立て方が、そのまま、映画的時間の継続、サスペンスの構築に貢献している。砂漠の銃撃戦における、相手との距離感の見せ方が秀逸だ。キャメラ は、アメリカ兵陣営の砂地に腹這いになる兵士の顔をアップで捉える。銃撃戦は次第に消耗線の様相を呈して行き、兵士の顔には、砂が堆積し、目や手にはハエ が寄ってくる。イラクの兵士は、トーチカのような四角い防御建造物の中や上から、アメリカ兵を狙撃してくる。この両陣営の"遠さ"の描写が上手く、その遠 距離を超えて命中してくる銃撃の精度に観客も思わず驚かされてしまう。市街で、主人公が所属する爆破物処理班が仕事をするシーンでは、この秀逸な距離感の 描写に加えて、爆破処理するアメリカ兵の大胆かつ緻密な仕事の進行とそれを周囲の建物から見つめるイラク市民たちの視線の交錯が、何重ものアングルから立 体的に組み立てられ、映画の緊張感を高めている。

ジェレミー・レナーが演じる主人公ジェームズ軍曹の戦争依存症ぶりは、民族を二分した朝鮮戦争の悲劇を描いた韓国映画『ブラザーフッド』(04)でチャ ン・ドンゴンが演じた、血に飢えて堕ちて行くウォー・ヒーローを想起させるが、映画の規模で言えば、むしろ"小品"の類いに収まるに違いない本作の良さ は、想像力で物語を広げ過ぎていないところにある。何でもかんでも詰め込もうとしない、その潔さに本作の美徳が宿っている。"棺桶"という意味のタイトル を冠する本作は、"戦争"という強大な現実に対して闘いを挑むのではなく、むしろ、その内側に留まり、その知られざる現実をフィクションを通じて世界にレ ポートするという務めを、ブレッソンの『抵抗』の死刑囚が身にまとっていたのと同種の不惑のストイシズムで、見事に遂行してみせたのだと思う。


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『ハート・ロッカー』
原題:The Hurt Locker

3月6日(土)よりTOHOシネマズ みゆき座、TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国ロードショー

監督:キャスリン・ビグロー
製作:キャスリン・ビグロー、マーク・ボール、ニコラス・シャルティエ、グレッグ・シャピロ
脚本:マーク・ボール
撮影:バリー・アクロイド
美術:カール・ユーリウスソン
編集:ボブ・ムラウスキー、クリス・イニス
音楽:マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース
出演:ジェレミー・レナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティ、ガイ・ピアース、レイフ・ファインズ、デビッド・モース、エバンジェリン・リ リー、クリスチャン・カマルゴ

2008年/アメリカ/131分/ドルビーデジタル/1:1.85/カラー
配給:ブロードメディア・スタジオ

(c) 2008 Hurt Locker, LLC. All Rights Reserved.

『ハート・ロッカー』
オフィシャルサイト
http://hurtlocker.jp/
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