『17歳の肖像』

上原輝樹
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『An Education』という原題の本作は、"教育"を授かる立場のものが、とりわけそのプロセスにおいて、学ぶべきことの本当の価値を知ることができず、後になって気付く頃にはもう手遅れになっているという、誰もが多少は身に覚えのある、ほろ苦い青春の日の追憶、そのものであると言ってもよいかもしれない。映画は、ソフィア・コッポラの『ヴァージン・スーサイズ』(99)を想起させる、ここ数年で稀に見る出来映えの秀逸なオープニング・タイトルと共に始まる。

主人公は、大学進学を目指す16歳の少女ジェニー。演じるのは、幾多の映画祭で主演女優賞や新人賞を獲得したイギリスの新星キャリー・マリガン、22歳。と年齢を聞いて不審に思ったのは私だけではなかろうが、柔らかそうなほっぺが魅力の童顔マリガンの場合、制服姿の16歳に一切違和感を感じさせない、素晴らしい仕上がり。優秀な娘をオックスフォードに進学させたい"教育"熱心な両親のもと、ジェニーは、進学に有利とされるチェロの練習と勉強の合間に寝室でひとりになると、いつもジュリエット・グレコのレコードを聴いていた。

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ニック・ホーンスビーの脚本には、ジェニーのレコード・コレクションについての描写がある。コレクションのほぼ全てがクラシックのレコード、それもイギリスで"国王の音楽師範"と讃えられる名作曲家エドワード・エルガーのレコードばかりだが、それとは少し離れたところにジュリエット・グレコのレコードが置いてある。ジュリエット・グレコといえば、フランスのレジスタンス活動に参加し、ジャン・ポール=サルトルやボリス・ヴィアンら実存主義の思想家、作家、アーティストらに影響を与え、マイルス・デイヴィスと付き合っていたことでも知られる、その当時の"自由の象徴"のようなアーティストだ。彼女が聴きたいのは、父親が"教育"目的で買い与えてくれたエルガーではなく、彼女をロマンティックな気分にさせてくれるグレコのレコードだった。ジェニーは、グレコを聴く度に"自由の国"フランスへの憧れを募らせていく。

舞台は、1961年のロンドン郊外。1962年10月にレコードデビューし、スウィンギン・ロンドンの先鞭をつけたザ・ビートルズ誕生前夜のロンドン郊外は、第二次世界大戦後の耐久生活からまだ抜け出せずにいたという時代にあって、16歳という若さを持て余し、未来への可能性を内面にたぎらせるジェニーにとって、サバービアでの親との生活は退屈と形容するに充分なものだったに違いない。

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そんなある日、身の丈程もあるチェロを抱えて雨の中を帰宅するジェニーに「君のチェロが心配だ。チェロだけ載せるから、君は車の横を歩いたら?」と声を掛ける年上の男性が現れる。一聴すると不躾な声の掛け方だが、その後の紳士的で余裕のある態度とウィットと教養を感じさせる彼の言葉が、ジェニーのハートを捉える。この年上の彼、デイヴィッドを演じるピーター・サースガードだが、軟派野郎としてふてぶてしく登場する割には、物語の進行と共に隠された本当の姿が明かされていくにつれ、意外と憎めない小悪党ぶりがさまに成っていて悪くない。脱ぐと若干メタボ気味な体型も作られ過ぎていない感じで、好感すら覚える。

デイヴィッドとの出会いは、ジェニーに次々と新しい世界の扉を開いた。正装で臨むクラシックの音楽会、ファンシーなレストランでのディナー、高額美術品のオークション、バーやナイトクラブでのロマンティックな夜(ナイトクラブのライブシーンに登場する女性シンガー、ベス・ロウリーが本作用に書き下ろしたオリジナル曲が素晴らしい!)、16歳のジェニーにとっては新鮮な未知の世界が、目の前に一気にキラキラと広がった。彼女は、生まれて始めて人生を楽しむということを知ると同時に、郊外での親との同居、同級生のボーイフレンド、学校の授業といった今まで彼女を取り巻いていた世界が急速に色褪せていった。親密さを深めていった二人は、ジェニーの17歳の誕生日を、憧れのパリで迎えることを決意する。

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大人の世界への扉を次から次へと開けて、人生の経験を深めて行くジェニーだが、正比例して、親や学校との関係は悪化していく。ロンドン郊外の手入れの行き届いた小さな邸宅に暮らす中産階級の両親は、なけなしの貯蓄をジェニーの進学費用に充てるべく、日頃から慎ましく暮らしている。特に、自らの稼ぎをジェニーの"教育"費に日々費やす父親は、ジェニーの勉強の成果を期待して、毎日殊更口うるさい。娘への愛情と余裕のない生活の狭間で、結局は、小心者の計算高さを覗かせてしまう現実味溢れる父親役を、ジャームッシュの『コーヒー&シガレット』(03)の爆笑シーンが未だ忘れ難い名優アルフレッド・モリーナが、大きな図体を小さな家のリビングで持て余し、絶妙な存在感を放っている。そして、以前は、優秀な生徒としてジェニーを可愛がっていたスタッブス先生をオリヴィア・ウイリアムズが好演。次第に道を踏み外して行くジェニーを、人生の先達として、聡明な一人の生徒を失いかける一人の教師として、苦渋に満ちた思いで見つめる。

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本作は、イギリスで人気の辛口ジャーナリストであるリン・バーバーの回想録を基にしている。有名人の回顧録を基にしているという時点で、ジェニーの未来が明るいことは概ね了解事項となっており、本作で経験する辛い体験も結局は彼女のためになることを皆知って本作を観るという点で、本作の物語には全く野心的なところがない。むしろ、ハイでもロウでもなく、その中庸であるミドルをはじめから志向し、特定の時代と場所に生きた登場人物たちの心の機敏を繊細に丁寧に描いているところが素晴らしい。その意味では、ビートルズ/ストーンズ誕生前夜のロンドンの音楽風景を造形することを目指したサウンドトラックは、ビートルズ/ストーンズを無かったことにして、50〜60年代のポップスやR&B、ベス・ロウリー、メロディー・ガルドー、ダフィーら、現代のポップシンガーをパッケージし、時代の空気感をクリエイトしようとするもので、この試み自体は大いに野心的だと言うべきだろう。

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青春映画の佳作『ハイ・フィデリティ』(00/スティーブン・フリアーズ)の原作者として知られる有名小説家ニック・ホーンビィが、リン・バーバーの回顧録を発見し自ら脚本に仕上げ、製作にも関わっており、本作の成功の陰の立役者と言えそうだ。『幸せになるためのイタリア語講座』(00)のデンマーク人女性監督ロネ・シェルフィグは、見事な映像美と確実な演出手腕で独自の世界観を築き上げた。素晴らしい俳優陣あってのこととはいえ、主要な登場人物の誰もがニュアンス豊かに演出され、映画の繊細にして豊かなエモーションを生み出しており、本作を例外的に美しい青春映画として存在せしめている。

デイヴィッドに導かれた大人の世界で経験した"教訓"、慎ましく暮らす、愛情に溢れた両親のもとで過ごした"規律と退屈に満ちた日常"、人生の一時期を過ごす学校という場で教師が示してくれた"薫陶"、そうした全てが一人の少女にとっての"An Education"として描かれた本作は、『長距離ランナーの孤独』(62/トニー・リチャードソン)、『さらば青春の光』(79/フランク・ロッダム)、『トレインスポッティング』(96/ダニー・ボイル)、『This Is England』(06/シェーン・メドウズ)というイギリス青春映画の傑作群に名を連ねる作品として後世まで記憶に残る作品となるに違いない。しかも、女性の視点で描かれたイギリスの青春映画としては、他に比較すべき出来映えの作品が見当たらないほど、記念碑的な名作が誕生したと言っても過言ではないだろう。


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『17歳の肖像』
原題:AN EDUCATION

4月17日(土)TOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー

監督:ロネ・シェルフィグ
製作:フィノラ・ドワイヤー、アマンダ・ポージー
脚本:ニック・ホーンビィ、リン・バーバーの回想録に基づく
製作総指揮:デヴィッド・M・トンプソン、ジェイミー・ローレンソン、ニック・ホーンビィ、ジェームズ・D・スターン、ダグラス・E・ハンセン、ウェンディ・ジャフェット
撮影:ジョン・デ・ボーマン BSC
美術:アンドリュー・マッカルパイン
編集:バーニー・ピリング
音楽:ポール・イングリッシュビィ
衣装:オディール・ディックス=ミロー
メイクアップ&ヘアデザイナー:リジー・イアンニ・ジョルジュ
音楽スーパーバイザー:クリ・サヴィッジ
ライン・プロデューサー:キャロライン・レヴィ
キャスティグ:ルーシー・ビーヴァン
出演:ピーター・サースガード、キャリー・マリガン、アルフレッド・モリーナ、ドミニク・クーパー、ロザムンド・パイク、オリヴィア・ウィリアムズ、エマ・トンプソン、カーラ・セイモア、マシュー・ビアード・サリー・ホーキンス

2009年/イギリス/100分/スコープサイズ/カラー/ドルビーデジタル、ドルビーSR
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

© 2008 AN EDUCATION FILM DISTRIBUTION LTD.

『17歳の肖像』
オフィシャルサイト
http://www.17-sai.jp/
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