『シェルター』

上原輝樹
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久しぶりにビックリさせられる映画に出会ってしまった。ジュリアン・ムーア主演のスーパーナチュラル・スリラーと聞いて、すぐさま『フォーガットン』(04)のようなトンでも系映画を連想し、『ベルベット・ゴールドマイン』(98)、『マッチポイント』(05)等、倒錯者の薫りを濃厚に漂わせるジョナサン・リス・マイヤーズ共演とくれば、いやでも妙な期待感が高まるというもの。監督は、マンス・マーリンド&ビョルン・ステインというスウェーデンの二人組。イーストウッドの新作『Hereafter』も"スーパーナチュラル・スリラー"系との噂だが。

ジュリアン・ムーアが演じる精神分析医のカーラは、3年前のクリスマスイブに夫を殺害されるという辛い過去を持ち、亡き夫との一人娘サリーと母子二人で暮らしている。カーラは、痛ましい過去があっても神への信仰を捨てずに、毎晩サリーを寝かしつける時に祈りの言葉を唱えるのだが、娘のサリーは、内心では、信仰の心を失っていた。彼女にとって最愛の父親を神さまは奪ってしまったのだから無理もない。

カーラは、精神分析医として、"解離性同一性(多重人格)障害という疾患を認めない"という立場をとっており、凶悪な事件で"心身喪失"状態の為に責任能力がないと認められ罪を逃れようとする弁護側に対して、今まで何回も専門家として法廷に立ち、反対する証言をしてきた。そんな彼女の前に、多重人格の症状を持つ下半身不随の青年デヴィッド(ジョナサン・リス・マイヤーズ)が現れる。

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このカーラとデヴィッドが初めて面会するシーンが、映画のひとつの見せ場になっている。研究室のマジックミラー越しに、ふたりの面会シーンを観察しているシーンを捉えるキャメラが、スムースな動きで透明人間のようにそのマジックミラーを通り越し、研究室の内と外を縦横に移動し、程よい緊張感を生み出すのだが、その時、研究室内ではただならぬ現象が起きようとしていた。カーラの目前で、デヴィッドの別人格"アダム"が呼び出され、『エクソシスト』的な憑依の気配を漂わせながら別人格に変貌した彼は、下半身不随であるはずの車椅子からスクッと立ち上がり、それまでの物静かな雰囲気は嘘であったかのように、攻撃的な口調で振る舞い始める。

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カーラは、その変貌を目撃しても持論を崩さず、主人格はあくまでアダムであり、交代人格のデヴィッドは彼が作為的に演じているに違いないと診断する。自説の正しさを証明しようと本格的な調査を始めたカーラは、意外な事実をつきとめる。デヴィッドは、16歳の時に事故で下半身不随になり、かつては信仰の徒であった彼も失意の内に神への信仰を失い、今から25年前の19歳の時に森の中で惨殺されてしまったのだという。物語は更なる展開を見せ、第三の人格ウェス、第四の人格、牧師のチャーリーが出現する。この四つの人格にいずれも共通するのは、人生の苦難の中で神への信仰を失い最後には無惨にも殺されているということだった。当初は"解離性同一性障害"という精神疾患を題材にしたサスペンス・スリラーの雰囲気を醸し出していた本作だが、事態はにわかに"神"への信仰の有無を踏み絵にした21世紀のオカルト映画の様相を呈してくる。

物語は、ここから更に1920年代の記録映像(にも関わらず、手持ちキャメラ風の映像なのは問題だが。8mm映画は1930年代に登場。)にまで遡り、そこには、不信心者の魂を吸い取って壷に封印してしまうシャーマンが登場し、"一度でも信仰を失ったものは、二度と信仰を取り戻す事は出来ない"と言う。そして、信仰を失ったものの魂は、その壷("シェルター")の中に永遠に隔離されてしまう。今や、カーラは、常識を超えたオカルト現象が横行する世界で、危険なモンスターへと豹変を遂げた"彼"によって、カーラの父親や最愛の一人娘の安全が脅かされる事態にまで発展しており、抜け出すことが出来ない袋小路に追い込まれている。

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観客も物語の荒唐無稽さにあっけにとられながらも、シャーマンを擁するネイティブ・アメリカン風の一群が住居し、オカルト現象の鍵を握るらしきアパラチア山脈の奥深く異界へ入って行くロードムービー的な移動撮影やそのロケーション自体に妖しげな魅力を感じるならば、シャーマンの信仰の対象とカーラなど現代人の信仰の対象が一緒くたに"神"と呼ばれている点には粗雑さを感じながらも、矢継ぎ早なストーリーテリングに騙されることに殊更抵抗を感じずに映画に引き込まれて行くことは可能かもしれない。ペンシルバニア州ピッツバーグ郊外という地は、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(68)、『ゾンビ』(78)、『羊たちの沈黙』(91)といった無数のホラー映画の撮影地として多少知られているスポットである上に、911でハイジャックされた一機が墜落する等、このエリアの持つ血生臭さだろうか、映画自体に名状し難い不気味さが漂っている。いずれ、『オーメン』(76)的なエンディングを迎え、誰の目にも明らかに21世紀のオカルト映画の本性を明かすことになる本作の本当の恐さは、また少し別の所にもあるように思われる。

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本作の中で"神"をキリストと定義することを周到に避けることで、あくまでイマジナリーなフィクションとしての映画の体裁を貫いた、スウェーデンの監督コンビが、宗教的信仰心と合理主義的感性の両方を持ち合わせた現代に生きる知的な女性カーラが、"科学"や"合理主義"を超越した困難に直面した時に"神"への信仰を試されるという物語のアーキタイプを採用する中で、子供といえども、"信仰"を失った者が被ることになる疫災の描写には、思わず原理主義的なイントレランスが垣間見えてしまったようで、薄気味悪さを感じる。しかも、エンドクレジットの謝辞が捧げられた人名の中に、ハワード・ホークスとジョン・フォードというアメリカ映画の二大巨匠の名を発見するにつけ、このベルイマンの国の末裔のスウェーデン人二人組の目指したものは、より一層輪郭を失って見え、不気味な空寒さを漂わせる。その不気味さを裏付けるように、本国アメリカでの公開は未だに決まっていない。


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『シェルター』
原題:SHELTER

3月27日新宿バルト9ほか全国ロードショー

監督:マンス・マーリンド、ビョルン・ステイン
脚本:マイケル・クーニー
撮影監督:リヌス・サンドグレン
音楽:ジョン・フリッゼル
衣装:ルカ・モスカ
編集:スティーヴ・マーコヴィッチ
プロダクション・デザイン:ティム・ガルヴィン
共同製作:ビル・バナーマン
製作総指揮:ビリー・ラヴザー、アレハンドロ・ガルシア
製作:エミリオ・ディエス・バロッソ、ダーレーン・カーマニョ・ロケット、マイク・マキュリ、ニール・エデルスタイン
出演:ジュリアン・ムーア、ジョナサン・リス・マイヤーズ、ジェフリー・デマン、フランセス・コンロイ、ネイト・コードリー、ブルックリン・プルー、ブライアン・A・ウィルソン、ジョイス・フューリング、スティーヴン・リスハード、チャールズ・テックマン、ジョン・ピークス

2009年/アメリカ/カラー/112分/シネマスコープ/ドルビーデジタル
配給:ブロードメディア・スタジオ

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『シェルター』
オフィシャルサイト
http://www.shelter-movie.jp/
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