『バルバラ セーヌの黒いバラ』

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重層構造の語りの中で現実と虚構の境目がスリリングに融解していく、
映画が人の人生に起こす奇跡についての美麗官能ホラー

上原輝樹

ジャンヌ・バリバールが伝説的歌手バルバラを演じる女優ブリジットを演じ、本作の監督マチュー・アマルリックが劇中劇の監督イブを演じる。『バルバラ セーヌの黒いバラ』は、重層構造の語りの中で現実と虚構の境目がスリリングに融解していく、映画が人の人生に起こす奇跡についての美麗官能ホラーである。

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映画は、ヴィンチェンツォ・ベリーニの「Casta Diva」のメロディとともに始まる。この歌曲は、ブリジット演じるバルバラがピアノに向かって作曲をしているとき、いずれハミングによって反復されることになるだろう。この曲の歌詞は、年末に公開されようとしているドキュメンタリー映画『私は、マリア・カラス』(2017年、トム・ヴォルフ監督作品)に登場する、1958年パリ・オペラ座におけるマリア・カラスによる余りにも素晴らしい歌唱シーンの字幕を参照すると以下の通りである。

清らかな女神よ
あなたの銀色に輝く光
この聖なる古木をあなたの光が清める
あなたの美しい顔を見せたまえ
雲のヴェールを取りはらい
あなたの美しい顔を見せたまえ

鎮めたまえ女神よ
激しく燃える心を鎮めたまえ
どうか鎮めたまえ
荒ぶる人々と地上の興奮を
地上に平和と安らぎをそそぎ込んで下さい
あなたが治める天の平和を地上にも

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『私は、マリア・カラス』の中で紹介される未完の自叙伝で、マリア・カラスはこう記している。
「私が歌うのはプライドのためではなく、調和に満ちた天上の音楽に到達するためである」
まさしく、彼女は1958年パリ・オペラ座のパフォーマンスにおいて、天上の音楽に達した。そのことは、『私は、マリア・カラス』に紡がれている、オリジナルのモノクロフィルムに着色したデジタル修復カラー映像を見さえすれば、誰もが感知し得るはずだ。オリジナルのモノクロ映像に着色をすることの作為性に関しては、議論の余地があるのだと思うが、ここでは、カラスの圧倒的なパフォーマンスがスクリーンに映し出されること、そのこと自体の祝祭性をまずは全身で受け止めるべきだろう。

さて、録音テープを傍らに作曲を続けるブリジット演じるバルバラの部屋へ、いずれ「居ない女のために(11月6日)」でオマージュを捧げることになる、彼女の母親がお金の工面ついでに訪ねてくる。仕事の邪魔をされたバルバラは母親を嗜めるが、それを演じるジャンヌ・バリバールの表情は、今までの孤高の音楽家の顔つきから、いつの間にか、ひとりの無防備な娘の愛らしい表情へと変貌を遂げている。この母親と娘の関係には特別なものがあることが、次いで訪れるリハーサルのシーンにおいて、アマルリック演じる監督イブが「この歌をうたう時は、母親が側にいた方がいい」と呟くことで仄めかされることになるが、その要因となった父親とバルバラの関係について、この映画で詳らかにされることはないだろう。少なくとも、この映画は、フロイトの精神分析学的アプローチよりも、フランスにおける詩的映画の伝統的ともいうべき実験性に重きを置いていることが明らかだからだ。

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オーロール・クレマン演じる母親とバルバラが、「歌はどこでうたうの?」「パリのいたるところよ。夜に。」といった会話を交わした後で、「カット!」が掛かり、スタッフがセットを手際よくバラしていく。監督から何の言葉も掛けられず、不安を感じたブリジットが奥の部屋へ行くと、イブが涙に暮れている。ブリジットにその姿を見られたことを恥じたイブは取り繕おうとするが、時すでに遅い。「泣いていたの?」とイブに話しかけるブリジットの表情が優しさで弾けている。何という繊細な演出、場面ごとにめくるめく変容を遂げるジャンヌ・バリバールの表情の何と軽やかで愛らしいことか!

しかし、そんなジャンヌ・バリバールの、ブリジット演じるバルバラの表情が険しく一転するシーンが訪れる。70年代風のファッションに身を包んだバルバラとツアー一行が移動する車中で、バルバラが、ウクライナ出身の出自を匂わせる隣国の母語であるハンガリー語で『ゴッドファーザー』(72)の「愛のテーマ」を歌うという多幸感溢れる劇中劇シーンは、「このツアーは永遠に続くのかしら?」「疲れたわ」とこぼすバルバラに、「僕らもだよ」と応じるアコーディオン伴奏者ロランの機転によって、その場は和やかさが持続するものの、やがて、ツアーの舞台裏で衣装係やアシスタントのマリー(ファニー・インバー)に神経症的に激しく当たり散らすバルバラの姿が映し出されていく。バルバラ=ブリジットを演じるジャンヌ・バリバールの演技は、ホラー映画『ヘレディタリー 継承』(18)で名演を見せたトニ・コレットの変貌ぶりに匹敵すると言って良いほどの、悪魔的容貌を帯びていくのだ。

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この映画には、幾つもの白眉のシーンが存在するが、そのひとつは、ブリジット=バルバラが、"最も美しいのは、禁断の愛、絶望の愛"(「不倫(Amours incestueuses)」)と歌う劇中劇のシーンだろう。この一連のシークエンスの中で、監督イブが心の高ぶりを抑えきれず、スタッフの制止を振り切って、客席のエキストラをひとり退かして自らが座り込んでしまう、という劇中劇の綻びが描かれ、さらには、イブの高ぶる心象風景を表象して、本物のバルバラが歌うアーカイブ映像が、ブリジット=バルバラが歌う映像に被せられていく。ここでは、劇中劇『バルバラ』と本作『バルバラ セーヌの黒いバラ』、ブリジットとイブ、そして、かつてパートナーでもあったジャンヌ・バリバールとマチュー・アマルリックが一体化して、ひとつに解け合ってしまう、この映画の中で最も美しい変容の瞬間のひとつである。

しかし、その"変容"は、女優ブリジットにとっては予期せぬ事態以外の何ものでもなかった。コンサートを終えて舞台裏でファンのサイン攻めに応じるブリジット=バルバラの面前に、イブがサインをくださいと言って現れる。シナリオにないイブの行動に不信感を抱いたブリジットは、「この映画の主人公はバルバラ?それともあなたなの?」と訊ね、イブは「同じことです」と応える。そして、「16歳の時、好きなことをやりなさい、と"あなた"に耳元で囁かれた。その声が私のすべての悲しみ消し去り、私は、その"彼女の"声のおかげで希望を持ち続けることができた。」と続ける。この一連の台詞の中で、イブは、ライブ・パフォーマンスの熱狂の中でバルバラとブリジットを同一視するようになったが、言葉を続ける内に、自らの危うさに気付き、"あなた(バルバラ=ブリジット)"を"彼女(バルバラ)"と言い換えるに至っている。イブは、自分の人生に実際に起きた"奇跡"を糧に映画を作っており、その映画の脚本は常に、人生そのもののように変化し続けている。

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伝説的歌手バルバラの伝記映画であると同時に、イブの人生に起きた"奇跡"についての実存的物語でもある劇中劇の、ほとんど妄執的とも言うべき演出姿勢に息苦しさを感じたブリジットは、撮影現場は離れ、小道具の若者とふたりで一夜のアヴァンチュールへと消えて行く。今度は、ブリジットがバルバラの衣装を着たまま、町外れのアメリカ映画に出てきそうなダイナーに闖入し、そこで飲んでいた男たちを驚かすことになるだろう。そして、一夜のアバンチュールを終えたブリジットは、"役"を終えた若い男をベッドから追い出すのだ。バルバラの歌詞、"腕の中で眠るより歌っていた"さながらに、女優の日常に戻るブリジットの姿は晴れ晴れとしている。

天上の音楽に到達した芸術家を演じる女優もまた、映画という虚構の世界の中で天上の世界への昇華を夢見ている。彼女が歌っている瞬間、演技に没入している瞬間、彼女は天上の世界にいるのかもしれない。しかし、彼女の足は地面を踏みしめており、「カット!」が掛かるやいなや、その幻の世界は文字通り音を立てて解体され、儚く消え去ってしまう。その<銀色に輝く>天上の世界と<荒ぶる人々>の地上の世界との往来を何度も繰り返して映画は作られていく。そこに実在したセットは消えて無くなってしまうが、それでも残るものがある。それが作品であり、それに携わった人々の記憶であるだろう。

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『バルバラ セーヌの黒いバラ』は、そうした人々の作品と記憶に基づいて詩的に創造された、類い稀なる"生きものの記録"である。そして、その"記録"は、現実と虚構の境界線が時に溶解する、人間本来の"記憶"の在り方にあまりにも似通っているがゆえに、見るものに実存的な恐怖すら抱かせる。その"記憶"にも似た"記録"が映し出すのは、人の人生には実際には起こりえないと思っていたようなことが起きてしまう、時に甘美であり時に残酷でもある、もうひとつの実存的な恐怖である。そのことを誰よりも最初に敏感に感じとっていたのが、俳優であり映画監督でもあるマチュー・アマルリックであることは言うまでもない。まさか、その恐怖のモチーフが、少し前に出演した幽霊映画の日本人監督から伝染したものではあるまい、とは思うのだが。


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『バルバラ セーヌの黒いバラ』
原題:BARBARA

11月16日(金)より、Bunkamuraル・シネマほかロードショー
 
監督:マチュー・アマルリック
製作:パトリック・ゴドー
製作総指揮:カミーユ・ドゥロー
脚本:マチュー・アマルリック、フィリップ・ディ・フォルコ
撮影:クリストフ・ボーカルヌ
プロダクションデザイン:ロラン・ボード
衣装デザイン:パスカリーヌ・シャヴァンヌ
編集:フランソワ・ジェディジエ
出演:ジャンヌ・バリバール、マチュー・アマルリック、ヴァンサン・ペイラーニ、オーロール・クレマン、グレゴワール・コラン

© 2017 - WAITING FOR CINEMA - GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA - ALICELEO

2017年/フランス/99分/アメリカンビスタ
配給:ブロードメディア・スタジオ

『バルバラ セーヌの黒いバラ』
オフィシャルサイト
http://barbara-movie.com
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