『TOCHKA』

上原輝樹
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"トーチカ"とは、鉄筋コンクリート製の防御陣地を指す軍事用語で、元はロシア語で「点」を意味するという。トーチカは一般に円形や方形などの単純な外形で、全長が数メートルから十数メートル程度、鉄筋コンクリート製の厚い壁と天井で被われている。その壁には視察用と銃眼を兼ねて、機関銃や大砲を射撃できるような必要最小限の穴が設けられている。大きな司令トーチカは数階建ての建物内に指揮設備、通信設備、居住設備が整い、周辺のトーチカ群との間を地下道で結び、鉄条網、地雷原との組合せで強力な要塞にもなるという(※)。

本作『TOCHKA』は、日本最東端に位置し、ロシアと接する国境の町、北海道根室の海岸に残存する戦争遺跡"トーチカ"と寒冷な潮風が吹きすさぶ海岸周辺の荒涼とした大地を舞台に、中年男性(菅田俊)と若い女性(藤田陽子)が不意に出会ったほんの数時間の"現在"と重くのしかかる"過去=記憶"との著しく均衡を欠いた相克を、現場で採取して増幅された音響と、徹底的にスペクタクルを回避した静謐さと強固な意思を感じさせるキャメラワークでその場の空気をドキュメントし、映画館の暗がりをより一層暗い漆喰の黒で塗りつぶす。

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女は、亡くなった友人のカメラに写っていた"風景"を探し求めてこの地に辿り着き、男は、非業の死を遂げた自分の父親の記憶という重く暗い"過去"に苛まれながら、かつて少年時代を過ごしたこの地に何十年か振りに舞い戻ったのだ。いずれ、女はこの北の大地を駆け抜けて"未来"へと歩き出すだろう。男は、しかし、父親が体験した暗闇("死"を体験と呼べるのであればの話だが)に囚われ、"現在"から"過去"への回想に引き戻されてゆく。「反復と回想は同一の運動であり、ただ方向が反対であるというだけの違いである。」というキルケゴールの言に倣って言えば、"父親の記憶"を回想するということは、それが後方に向かう反復であるのに対して、本当の反復とは前方を向いた回想であり、男がこの回想自体をすっきりと断ち切る事ができないのであれば、男の前方="未来"には、"父親の記憶"を反復する以外にないという男の囚われの心性が浮かび上がってくる。この男の姿にやがてひとつの民族の記憶が投影されてゆく。

それが戦争遺跡である"トーチカ"であることは、今更言うまでもないことだが、映画の終盤、印象深いキャメラワークで捉えられた男が父親の記憶を反復し、この囚われの男の姿をまたもや偶然にも目撃してしまう地元の少年たちという新しい世代の暗い"予兆"までもが映画で描かれていく様を見るにつけ、この国の民族が経験したかつての"戦争"の暗い記憶が国境の町に未だ色濃く残っているということをこの若き映画作家は、実際の戦争遺跡を訪れるにつけ発見してしまったのだろうか。きっとそれだけではないはずだ。

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"トーチカ"を巡る、この印象深い終盤のキャメラワークは、溝口健二の『雨月物語』のエンディングシーンを想起させるようでもあるが、だからと言って、溝口の映画に似ている訳ではなく、むしろ、あらゆる映画よりも、池田亮司のミニマル・ミュージックや映像インスタレーションが湛えるストイシズムとの親近性を感じさせる。それにも関わらず、前述した民族の暗い記憶が同居しているように見えるのは、何も監督の母親が国後島の生まれで、ソ連侵攻後、四島からの引揚者が多く移住した根室に特別な思い入れがあるからだけでもないだろう。それは、松村浩行が自ら記したテクストで明かされている通り、近代日本文学を代表する小説の「記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです」という自死を選んだ先生が残した遺書の一節に、無意識の内に取り憑かれていたという監督の探究心が覗き込んでしまった深淵についに決着がつけられず、映画で反復的/回想的にそれを表現するしかなかった、監督の誠実さの表れなのではないかと思う。

秋の夜長、暗がりの中で深い衝撃に身も心も沈めるには最高の一作。レイトショー上映こそがふさわしい。


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『TOCHKA』

2009年10月24日(土)よりユーロスペースにてレイトショー

監督・脚本:松村浩行
助監督:大城宏之、石住武史、本間幸子
撮影:居原田眞美
録音:黄永昌
装置:相馬豊
装飾:浦井崇
衣装:居原田眞美
編集:黄永昌
整音:黄永昌
スチール:宮本厚志
劇中写真:黄永昌
制作:柴野淳、河合里佳
出演:藤田陽子、菅田俊、上野龍成、上野凌雅、モモ・ゴッツ・サッタール

2008/JAPAN/COLOR/DV-CAM/STEREO/4:3/93min
配給宣伝:トーチカ・ユニオン

『TOCHKA』
オフィシャルサイト
http://www.tochka-film.com/


オルタナティブ・シネマ宣言













※"トーチカ"の説明は、「Wikipedia」、及び、「Yahoo百科事典」を参照した。
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