『白いリボン』

上原輝樹
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カンヌ国際映画祭<パルムドール大賞>受賞を始め、漏れ伝わってくる噂に違わぬ映画体験を本作は約束してくれる。第一次大戦前、ナチス台頭前のドイツ北部、プロテスタントの小さな村を、まさに"不穏"としか言いようのない気配が支配している。幾つかの禍々しい事件が起きるが、それらの事件は未解決のまま、抑圧的な気配を周囲に漂わせるばかりで、一向に解決の糸口は見つからない。そんな村の生活の中で見えてくるのは、地主(ウルリッヒ・トゥクール)と牧師(ブルクハルト・クラウスナー)に集中する封建的な権威、農民の燻る不満、厳格なクリスチャン家庭で行われる子どもに対する理不尽なまでの躾。弱い立場の子どもたちは、こうした抑圧的な環境下で鬱屈した感情を燻らせながら日常を過ごしていく。

ある夜、家への帰宅が遅れた娘クララ(マリア=ヴィクトリア・ドラグス)と弟マルティン(レオナルド・プロクサウフ)は、牧師である父親にそのことを謝るが、厳格な父は、子どもたちに食事抜きと鞭打ちの罰を与え、"白いリボン"の儀式を言い渡す。"純白"を表す"白いリボン"は、子どもを躾けるために考案された服従の印のようなもので、効果が現れたと認められるまで、子どもたちはそれを外すことを許されない。映画は、こうした抑圧が子どもに与える悪影響の徴を日常生活のディテイル描写の中に積み重ねて描き、グレーに淀んだ村の"重い空気"を可視化していく。そしてこの"重い空気"の中で育った子どもたちが、いずれどのような形で世界を震撼せしめ、人類の歴史をその後永遠に変えてしまう事態を孕んでいくかを、ハネケにしてはいささか明白過ぎる確信犯的信念の元に、未来からの"予言"として描ききっている。

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もっとも、ハネケは、村に新しく赴任した教師(クリスティアン・フリーデル)という"外部"からの語り部を導入し、その危うげな記憶の持ち主の回想録として映画自体を寓話化して構成することで、史実との距離は充分に保っているものの、プロテスタントの父とカトリック信者の母を持ち、これまた宗教的に熱心な家庭の出身であったという、友人のジャーナリスト、ウルリケ・マインホフ(※)が過激化し"バーダー・マインホフ・グルッペ(ドイツ赤軍)"の中心人物となっていった事にショックを受けたという経験を持つ、映画作家自身の体験から感じとった直観が、本作に架せられた寓話性の枠を超えて、真実味をもって観るものに訴えて来る。クレジットに"脚本協力"として記載されている、ブニュエルの盟友ジャン=クロード・カリエールが、この卓越した構成と脚本細部にどの程度貢献したのかは定かではないが、編集の段階で3時間あった本作を、プロデューサーの要請で2時間半以内に収めるために協力したことが伝えられている。

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ハネケの映画作家としての直観が、いつもよりも充分に控え目と言うべき慎ましい映像表現を禁欲的に支えている。映画のエクリチュールとしては、初期のメルヴィルやブレッソンを彷彿させるストイックかつ簡潔で美しい文体を選択しながらも、テーマにおいては、"宗教的崇高性"や"誇り高い人間性"を志向した彼らの作品とは真逆の方向性にあって、崇高さを目指した人間性が生み出した"厳格過ぎる教育"という問題を最大限に糾弾し、血祭りに上げている。つまり、ここでは、何か志向するべきものが示されることはなく、過去にあったと考えられる世界が崩壊していく、腐敗していく、その様をフィクションの次元に移植し、我々の未来に対する不吉な予感とともに、苦々しい未来展望への警鐘として、我々の眼前に存在せしめようとしている。『白いリボン』は、そのような不吉ながらも魅惑的な映画として、高橋洋の『恐怖』に出現した白い発光体のように現在進行形で白光りしているのだ。

ただ、そんな不吉な寓話の中でも、ふくよかな風貌の二人の存在が、私たちの未来の希望として、ユーモアの感覚さえ湛える牧歌的な佇まいで、映画を、"神"ではなく"人間"の側に引き止める。"神"の視点から人間世界の不条理を炙り出す寓話的世界の提示に留まらず、あくまで悲喜こもごも含めて理解し難く複雑な"人間"に寄り添う、血の通った人物の語りによって映画を成立させているところに、ハネケの輝かしい新境地が屹立している。

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Comment(4)

Posted by Pales | 2014.03.24

予告編で流れる讃美歌が気になって観に行きました。
あの曲はルター作の「我らが神は堅き砦」(日本版では「神はわがやぐら」ですが、ナチスの統治下ではドイツ民族支配を進めるためのプロパガンダ軍歌のような形で利用されてしまった、いわくつきの讃美歌です。
今にして思うと、最後のシーンで子供達の聖歌隊がこの曲を歌っていたのが非常に象徴的だったと思います。
曲そのものには罪はないのですけれどねえ・・・
現在のドイツでももちろん歌われていますが、複雑な感情を抱く方もいるようです。

Posted by クーさん美浜 | 2013.07.27

第一次大戦前のドイツの貧しい村での出来事を、学校の教師が語り手として物語を進めていく。
不可解な事故が続き、それは何者かの悪意によって仕組まれたもののようだが、最後まで種明かしはされない。
しかし牧師の家での様子や、ドクターとそこに雇われている助産婦との関係や、地主である男爵の家庭が描かれていくにつれ観客は犯人の確信を持つようになる。
従順を強いられる息の詰まるような毎日の生活の中にあって、憎悪と反抗心が育つのは容易だ。
セルビアでハプスブルグ家の皇太子が殺されることに端を発した大戦もそれを象徴しているのだ。
教師の素朴でピュアな恋が救いとなっているが・・

これが大雑把にまとめた粗筋であるが、見ごたえのある作品で録画していたものを一気に見た。70代のドイツ(※編集部注:ドイツ生まれ、オーストリア国籍)の監督と知って、やはりと思った。調べてみると「隠された記憶」も彼の作品という。
長年の映画ファンであるこの60代のおばばである私にとって、このような大人の映画をこの先も見たいものである。

Posted by mick | 2013.03.08

本当に不思議なのは、二時間半のはずなのに、お世辞にも明るい映画でも楽しい映画でも激しい映画でもないはずのに、あっという間に時間が過ぎること。映画で一番大事なところって、結局客にあくびをさせないことだと思わされました。

Posted by 京都在住の映画ファン | 2012.01.03

お正月の夜、じっくりとヨーロッパらしい作品を見ようと借りてきたこの一本、映画好きを満足させるアッという間の2時間半であった。
 21世紀も10年が過ぎ、欧州映画にも若い才能が溢れパンチの効いた作品や大掛かりなセットを使った娯楽作が注目されがちであるが(いつの時代も・・・)、ヨーロッパ伝統のキャメラ、照明、衣装、調度品、絵画、音楽、そして田舎の人間模様を素材にしたこの作品、カンヌでパルム・ドールを受賞したそうだが、戦前からのヨーロッパ映画の底力と品格を見せつけてくれたことと、そういう伝統の映画の作り方で、普遍的な人間の心の闇・怖さ・脆さ・やさしさ、社会の病巣をこわいけども美しくみせてくれたこと、21世紀グローバルな世界になって以前に比べて違う文化に育った人間同士が簡単に意思の疎通ができるようになった現代、そんな現代に生きる我々の精神生活は100年前のドイツの田舎と同じだよ、だからこれ以上の無駄な争いや紛争を起こさないためにも、この作品が現代人の心に少しでも響いてくれたらな・・・といったヨーロッパの監督らしい生真面目なメッセージも受け取れて、こういう映画をどんどん欧州、そしてアジアの監督に作ってほしいと見終わった後に強く思った。  こういう映画は淀川さんが見たらさぞや気にいられただろうな・・・・

『白いリボン』
原題:DAS WEISSE BAND

12月4日(土)銀座テアトルシネマにてお正月ロードショー
 
監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ
脚本協力:ジャン=クロード・カリエール
撮影:クリスティアン・ベルガー
音声:ギヨーム・シアマ、ジャン=ピエール・ラフォルス
編集:モニカ・ヴィッリ
美術:クリストフ・カンター
衣装:モイデル・ビッケル
制作:ユーリ・ヌーマン
製作総指揮:ミヒャエル・カッツ
プロデューサー:シュテファン・アルント、ファイト・ハイドゥシュカ、マルガレート・メネゴズ、アンドレア・オキピンティ
出演:クリスティアン・フリーデル、エルンスト・ヤコビ、レオニー・ベネシュ、ウルリッヒ・トゥクール、ウルシナ・ラルディ、フィオン・ムーテルト、ミヒャエル・クランツ、ブルクハルト・クラウスナー、シュテフィ・キューネルト、マリア=ヴィクトリア・ドラグス、レオナルト・プロクサウフ、ティボー・セリエ、ヨーゼフ・ビアビヒラー、ガブリエラ・マリア・シュマイデ、ヤニーナ・ファウツ、エンノ・トレプス、テオ・トレプス、ライナー・ボック、スザンヌ・ロタール、ロクサーヌ・デュラン、ミルヤン・シャトレーン、エディ・グラール、ブランコ・サマロフスキー、ビルギット・ミニヒマイアー、セバスティアン・ヒュルク、カイ・マリーナ、デトレフ・ブック、アンネ=カトリン・グミッヒ

2009年/ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア合作ドイツ映画/1:1.85/モノクロ/144分
配給:ツイン

『白いリボン』
オフィシャルサイト
http://www.shiroi-ribon.com/


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