『パブリック・エネミーズ』

上原輝樹
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フラットで無機質な刑務所と雲一つない青く晴れ渡る空をローポジションから仰角で捉えた、マイケル・マン好みの明快なコントラストで空間の広がりを豊かに感じさせるオープニングシーンで開巻する『パブリック・エネミーズ』は、冒頭からジョニー・デップが演じる、実在のギャング・スター、ジョン・デリンジャーが組織的なフォーメーションで刑務所から脱獄する一連の動きをスピーディーに描き、ジョニー・デップ主演、マイケル・マン演出の新作映画を見るのだという上映前から高ぶっていた期待を裏切らない。

当初は、フィルムで撮影することも考えていたマンは、撮影監督のダンテ・スピノッティと何度もテストを繰り返した結果、デリンジャーとその一味が、派手な銀行強盗をして中西部を縦横無尽に旅したように、撮影隊も同じような機動力を発揮する必要があることと、夜間に多くのアクションシーンを撮影しなければならず、夜の暗がりで最新のデジタル機器の方が圧倒的に良いテスト結果を得られたことから、ソニーの最新モデルを含む数台のHDキャメラを複用するスタイルで撮影が行われることになった。その結果、スピノッティが、"ブラック・ホール・ライティング"と呼ぶ最低限の照明、例えば、車中の役者の顔を照らす小さな照明と車のヘッドライドの光、それだけの光源で、逃走するデリンジャー一味の黒のフォードとFBI捜査官が繰り広げる真夜中の森の中でのカーチェイス・シーンを見事に撮影することに成功している。

だが、本国アメリカの公開では、スーパー・リアリスティックなデジタルイメージは、画面に写るものが何もかも鮮明に写り過ぎ、フィルム特有のソフトフォーカスの味わいが少ないことに反感を覚える観客も多く、賛否両論の議論を呼んだ。もっともマンの狙いは明確で、1930年代の時代考証に基づいて再現、もしくは、当時から残存している建築などを含めたその物自体を、デジタル・シネマトグラフィーが可能にしたクリアネスと機動性で、光と影の"コントラスト"とアメリカ中西部を移動する"運動"の中で捉え、野蛮なデジタルテクノロジーを用いて直載に21世紀のスクリーンに投射しようとしたに違いない。シャッタースピードの違いから生じると思われるデジタル特有のモーション・ブラーが幾つかのシーンに見られるが、堂々とこのデジタルノイズを敢えて採用するマンの意図は、本作が巨大スクリーンに投射され、多くの一般映画ファンの目に触れる大作映画だからこそ冒す価値がある冒険だったに違いない。このチープなデジタルノイズの存在は、かつてギャング映画で味わうことが出来た倒錯的な陶酔とは遠く隔てられているところに21世紀の観客がいることを暗示している。

ところが、そうした技術的なアスペクトは、本作が持つ本当の魅力の前には幾分霞んで見えてくる。『パブリック・エネミーズ』は、マイケル・マンが、1930年代のギャングものというジャンル映画の設定を借りて、ハードボイルドな演出を極めた究極のメランコリックなラブ・ストーリーとして記憶されるべき作品で、マンのフィルモグラフィの中でも最もロマンティックな作品になっているからだ。

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近年の"パブリック・エネミー=民衆の敵"ものでは、ギャングの親玉を演じたドパルデューの迫力は別格ながら、ルディヴィーヌ・サニエ、セシル・ド・フランス、ジェラール・ランヴァンの3人の俳優の演技と存在感だけが唯一の収穫だった長大な2部作『ジャック・メスリーヌ』(08)などとは比較するまでもないが、折しも、現在日本初の本格的な特集上映が行われているジャン=ピエール・メルヴィルの作品『ギャング』(66)のリメイク、アラン・コルノーの『マルセイユの決着』(07)との比較ならば可能だろう。原作小説「おとしまえをつけろ」の作家であり、実際に暗黒街に暮らした過去を持つジョゼ・ジョヴァンニとも親交を持つコルノーが描いた時代遅れの一匹狼の負け戦を描いたダンディズムは、審美的にも本作に通じるものがある。『マルセイユの決着』でダニエル・オートゥイユが演じたギュの生い立ちが説明的に語られることがなかったのと同様に、本作でもジョニー・デップ演じるジョン・デリンジャーの生い立ちが詳らかに説明されることはない。それ故に、映画全体の息の長い演出のリズムを通じて、寡黙さの中に立ち上がってくる不器用な男の"哀しさ"が見るものの胸を深く打つ。この時、もはやジョニー・デップはジョニー・デップではなく、ジョン・デリンジャーにしか見えない。メイキャップや髪型、服装で外見上の工夫は施されているものの、何か特別な仕草や演技をするわけでもなく、憑依する俳優の本領が見事に発揮されただけの当然の到達点のように見えるジョニー・デップのデリンジャーが素晴らしい。

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マイケル・マンの映画では2人の男優が映画の中心人物を演じる事が多いが、本作もその例に漏れない。その2人の関係は、決まって"追う者"と"追われる者"の関係に収斂していく。『コラテラル』(04)では、ジェイミー・フォックスがトム・クルーズを追いつめ、『ヒート』(95)では、アル・パチーノがロバート・デ・ニーロを追いつめる。いずれの場合も、社会生活に不向きな"追われる者"にマンは肩入れし、滅び行く者の美学を刹那的なロマンティシズムで描く。その意味でも、本作は実にマンらしい"滅びの美学"に基づいた作品だが、デリンジャーを追いつめるメルヴィン・パーヴィス捜査官をクリスチャン・ベイルが演じていて、この捜査官も実在の人物をモデルにしているが、実は、本物のメルヴィン・パーヴィス捜査官は、後年自ら命を絶っている。優秀だが、どこか線が細く繊細なところがあるように見えるクリスチャン・ベイルのキャスティングが見事にハマっている。キャスティングに関しては、あと2人、重要な俳優の名前を挙げておきたい。デリンジャーが最後に見た映画、『男の世界』(34)を一緒に見ることになった女性を演じているリーリー・ソビエンスキーは、キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』(99)にも出演している、今後の更なる飛躍が期待できる本格派の美人女優。そして、パーヴィス捜査官を助け、デリンジャーを追いつめる熟練敏腕捜査官を演じるスティーブン・ラングが、肝心要な役割を演じ、映画に"仮借なき現実世界"のリアリティを持ち込んでいる。

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従来のマイケル・マン作品であれば、どちらかというと男達の妻や恋人として、"男のロマン"を支え、時には苛立ったり、見捨てたりしながら比較的マージナルな位置に存在していた"女性"が、マリオン・コティヤールという素晴らしい女優を得たせいもあるのだろう、本作では、主人公のデリンジャーと拮抗する存在感の"運命の女"として登場し、映画をこの2人のラブ・ストーリーとして成立させてしまっている。ビリー・フレシェットを演じたマリオン・コティヤールは、1930年代のクラーク係という役柄上、あまり派手にならないよう、当時らしいメイクに仕上げられた。それでもその頃の女性は、ネイルと眉の手入れと口紅だけは、何が何でも欠かさなかったという。そのビリーのネイルが、21世紀の今流行の"フレンチネイル"であることが、鮮やかに映し出されたスクリーンで確認できる。

始めは歌声だけしか聞こえず、暫く経ってからダイアナ・クラールの姿が見えるという、マンならではの贅沢な演出で始まる、デリンジャーとビリーが出会うボールルームのシークエンスが素晴らしい。彼女から、踊りましょう、と誘われ、踊ったことがない、と答えるデリンジャーに、恵まれない環境で、生きるか死ぬかの殺伐とした世界を生き抜くしかなかった男の"哀しさ"が集約されていて、映画全体の印象をメランコリーに支配する。その運命的な出会いのシーンの背景でダイアナ・クラールが歌うジャズのスタンダードが素晴らしいフックとなって後半の展開に効いてくる。デリンジャーと同じように、あまり恵まれない家庭に育った彼女のことを、デリンジャーは、半分ネイティブ・アメリカンの血が入った、ダークで美しいルックスから"ブラックバード"と呼んだのだった。


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『パブリック・エネミーズ』
原題:PUBLIC ENEMIES

12月12日(土)より、TOHOシネマズ スカラ座ほか全国ロードショー

監督:マイケル・マン
脚本:ロナン・ベネット、マイケル・マン、アン・ビダーマン
製作:ケヴィン・ミッシャー、マイケル・マン
共同プロデューサー:ガスマノ・セサレッティ、ブライアン・H・キャロル、ケヴィン・デラノイ
製作総指揮:G・マック・ブラウン
原作:ブライアン・バロウ
撮影監督:ダンテ・スピノッティ
プロダクション・デザイン:ネイサン・クロウリー
編集:ポール・ルベル、ジェフリー・フォード
衣装デザイン:コリーン・アトウッド
音楽:エリオット・ゴールデンサール
出演:ジョニー・デップ、クリスチャン・ベイル、マリオン・コティヤール、ビリー・クラダップ、スティーヴン・ドーフ、スティーヴン・ラング、ジェイソン・クラーク、ジョン・オーティス、デヴィッド・ウェンハム、ロリー・コクレイン

2009年/アメリカ/カラー/141分/スコープサイズ/ドルビーSRD
ユニバーサル映画
配給:東宝東和

(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

『パブリック・エネミーズ』
オフィシャルサイト
http://www.public-enemy1.com/
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