『アーティスト』

鍛冶紀子
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第84回アカデミー賞でもっとも話題をさらったのはアンジェリーナ・ジョリーの美しい右足だったが、話題を作品に限定すればやはり『アーティスト』の名が挙がるだろう。低予算で作られたフランス映画、しかもモノクロサイレント。異例ともいえる一方、舞台が黄金期のハリウッドであること、数多くのハリウッド作品へのオマージュがちりばめられていることから、その受賞に「不思議はない」との声も多い。受賞に関してはいろいろな意見があるようだが、個人的にはハリウッド映画への愛がこもった良作だと思う。

ストーリーはいたってシンプル。大筋としては、ビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』(50)や、スタンリー・ドーネンの『雨に唄えば』(52)、度々映画化されている『スタア誕生』を彷彿させる。映画がサイレントからトーキーへと移り変わって行く中、その変化にうまく乗れず落ちぶれていくスター。一方そのスターによって見出された新人女優が新たな時代のスターとなっていく。言わば地位が逆転していく二人のラブストーリー。

オープニングシーンは『雨に唄えば』さながらだ。時は1927年。サイレント映画の大スター、ジョージ・ヴァレンティンは新作披露の舞台挨拶に立っている。舞台袖では、舞台に立たせてもらえずご機嫌ななめな女優の姿。(『雨に唄えば』では、ヴィジュアルとたいそうギャップのある悪声を隠すため、ジーン・ヘイゲン演ずる女優のリナは舞台挨拶を禁じられている)ようやく呼ばれたかと思ったら、彼女の横をジョージの愛犬アギーが飛び出していく。

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この犬のアギーが全編に渡っていい演技をしている。犬でありながら涙も笑い誘うのだからたいしたものだ。パルム・ドッグ賞なるものを受賞したそうだが、なるほど納得。本作では監督のアイディアが随所で功を奏しているのだが、アギーのキャスティングもそのひとつと言えるだろう。キュートなアイコンとしてはもちろん、画面の外の世界の伝達者としても活躍している。例えば、ジョージとペピーが互いに想いを寄せていることが明らかになったシーンの合間に、アギーがパッと顔を伏せたカットが差し挟まれるというように。モノクロサイレントというだけで身構えてしまうような観客に対して、間口を和らげる狙いもあったと見たが、おそらくそれは十分な効力を発揮するだろう。

もうひとりの主人公であるペピーは、スターに憧れる新人女優。ひょんなことから知り合った二人は互いに惹かれあっていく。ペピーの想いが明らかになるシーンは、スチールでも使われている通り、見所のひとつ。ジョージのスーツに袖を通して自らを抱きしめるペピー。その姿からはジョージへの想いが滔々と溢れ出ていて、とても切ない。言葉以上に伝わる、とは正にこのこと。監督のミシェル・アザナヴィシウスは製作にあたり、数多くのサイレント映画を観たという。その結果がこの一連のシーンには多数活かされているのでご注目。引用であるとはいえ、このワンシーンにはサイレントとパントマイムの相性の良さを感じずにはおれない。それはもちろんチャップリンによってすでに証明されているわけで、再確認に他ならないのだが。

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アザナヴィシウスをバランス感覚のすぐれた監督だと感じるのは、こうしたベストマッチを全編に盛り込むのでなく、あくまでもアクセントとしてリズムよく配置しているところだ。本作は基本サイレントなのだが、途中わずかに音の入るシーンがある。説明しすぎるとおもしろくないので、どのシーンかは直接お確かめいただくとして、これもとても効果的だ。また、本作には名作のワンシーンが多数引用されているのだが、それもまた良きアクセントといっていいだろう。視覚的な引用だけでなく、聴覚的な引用もいくつかあるのでぜひお楽しみいただきたい。

過去の作品へのオマージュをちりばめるといえば思い出すのはタランティーノなわけだが、タランティーノの場合は偏愛の末に噴き出したようなパロディ及びオマージュであるのに対し、アザナヴィシウスの場合は冷静なひとつの型としてのそれに見える。前作『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』(06)も1960年代のスパイ映画のパロディだったわけで、本作もアイディアのひとつとして取り組んだモノクロサイレントという印象。正直「一度きりのアイディア」といった感がぬぐえないし、どこかパロディめいているのも事実。ただ、全編にわたって作り手たちの誠実さが感じられることや、シンプルな映画が現代人にもこんなに受け入れられるのだということを示したという意味では、『アーティスト』は意義深い作品と言える。

本作をきっかけに、久しぶりにいくつかのサイレントやモノクロの作品を観た。『サンセット大通り』や『雨に唄えば』をはじめ、フランク・ボーゼージの「第七天国」(27)、F・W・ムルナウの『サンライズ』(27)、ジョセフ・フォン・スタンバーグの『モロッコ』(30)、エルンスト・ルビッチの『ニノチカ』(39)、マイケル・カーティスの『カサブランカ』(42)などなど。どれも本当にすばらしく、一本観るたびにその作品について誰かと語りたくて仕方ない衝動に駆られた。『アーティスト』というきっかけがなかったら、これらの映画を見直す機会はいつやって来たのだろう?そう考えると、これは『アーティスト』がもたらしてくれた素敵な副産物と言える。きっと、わたしと同じような体験をしている人が多数いることだろう。それは映画にとっても観る者にとっても幸せな出会いであることは間違いない。

今回『アーティスト』を観てあらためて知らされたのは、サイレント映画がいかに役者の身体性を必要としているかということ。眉の動かし方、口角の上げ下げ、背中の丸め方、そうした身体のパーツの動かし方ひとつひとつが重要な語り口となっている。そういう意味では、主演のジャン・デュジャルダンが持つ身体性はこの映画を大いに助けている。ペピー役のベレニス・ベジョは大きな瞳と大きな口で愛嬌たっぷり。スターというにはいささかオーラが足りないが、明るい未来を感じさせてくれるという点では適役だった。

ジョージのキャラクター作りにはダグラス・フェアバンクス、グロリア・スワンソン、ジョーン・ギルバートらの経歴を参考にしたという。トーキーの到来によってスターの地位を失った俳優は数多くいる。ジョージはペピーやアギーら、愛するひとたちによって、奈落の底へ落ちるのをなんとか食い止める事ができるのだが、実在の人物たちの人生はそう上手くは行かなかった。当時のスターたちがどんな深淵を見たのかは、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」に詳しい。いささか(いや、かなり?)偏りはあるものの、きらびやかな世界の舞台裏という意味では共通項があるし、本作をよりディープに楽しむうえでも一読してみてはいかがだろうか。


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Comment(2)

Posted by PineWood | 2015.08.12

ミッシェル・アザナヴィシウス監督が多くのサイレント映画を参照した中の珠玉の一本が(知られぬ人)という1927年のハリウッド映画。若きジョーン・クロフォードは三宅邦子或いは原節子張りのオーラで迫ってくる。パントマイム風な表情の豊かさやsimpleなストーリー性と畳み掛けるような伴奏曲でアルフレッド・ヒッチコックタッチすら感じさせる!!本作(アーチスト)は言うまでも無いが、ミッシェル・アザナヴィシウス監督の戦災孤児を扱った新作でも、ほとんど声を発しない少年の大きな瞳が表情豊かなのには驚かされる。

Posted by PineWood | 2015.06.04

一本の映画が数々の名作思い出させたり、読書の切っ掛けを与えてくれるというのは大変幸運なことですね。犬のアギーの健闘振りに泪を禁じ得ませんでした。それはチャップリンの名作(街の灯)の奇跡のようなラストシーンを見たらきっと多くの観客はチャップリンの自伝を読みたくなるのと同じです。ポール・マザースキー監督の(ハリーとトント)も猫と老人が良かったし、ビットリオ・デシーカ監督の(ウンベルトD )の仔犬も愛くるしかった!

『アーティスト』
英題:THE ARTIST

4月7日(土)よりシネスイッチ銀座、新宿ピカデリーほか全国公開
 
監督・脚本・編集:ミシェル・アザナヴィシウス
出演:ジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ、ジョン・グッドマン、ジェームズ・クロムウェル、アギー

© La Petite Reine . Studio 37 . La Classe Americaine . JD Prod . France 3 Cinema . Jouror Productions . uFilm

2011年/フランス/白黒/101分/スタンダード/ドルビーデジタル/ドルビーSR
配給:ギャガ

『アーティスト』
オフィシャルサイト
http://artist.gaga.ne.jp/
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