『ラブストーリーズ コナーの涙|エリナーの愛情』

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上原輝樹

ニューヨークの新鋭ネッド・ベンソンの野心作『ラブストーリーズ コナーの涙|エリナーの愛情』は、製作にも名を連ね、この映画の成立に大きな貢献を果たした主演女優ジェシカ・チャステインのルックの素晴らしさ、舞台となったニューヨークのダウンタウン、撮影シーンに登場する、例えば、グラスなどを使って作られた音楽(Son Lux)の素晴らしさといった映像の表層に滲み出ている"センス"の良さのみならず、私たちの世界に対する認識の限界とその先を明快な輪郭で描き出したという意味において、素晴らしく革新的な映画だ。男女の関係に於ける"愛"の哲学的省察としての映画、と言っても良いかもしれない。

映画は、幼い子どもを失った一組の夫婦エリナー(ジェシカ・チャステイン)とコナー(ジェイムズ・マカヴォイ)が体験する喪失のアフターマスを、危機に対する対処の仕方、お互いに対する感情、仕事や親、友人との関わりを通じて、それぞれの主観的視点で描き、ひとつの大きな物語の中に、近しいふたりの異なる視点を立体的に炙り出していく。その大きな物語を凝視すれば、そこには何百もの微細な日常の瞬間が横たわっている。「コナーの涙/him」の脚本を書くのに7年、そして「エリナーの愛情/her」を書くのに3年半を掛けたという、ネッド・ベンソンが試みた男女それぞれの"主観"で描くという映画ナラティブの実験は、そうした瞬間瞬間に凝縮している。

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"幼い子どもを失った一組の夫婦"というテーマで言えば、ニコール・キッドマンが主演と製作を買って出た『ラビット・ホール』(10)が記憶に新しい。ニコール・キッドマン演じる母親は、息子の生きた痕跡を消していくことで、人生最大の喪失を乗り越えようとし、アーロン・エッカート演じる父親は、息子が生きた痕跡に触れることで、その悲しみを癒そうとする。本作同様、喪失に対して異なるアプローチをする夫婦の間ですれ違いが生じ、ふたりの関係はやがて暗礁に乗り上げる。『ラビット・ホール』において、脚本/原作を手掛けたデヴィッド・リンゼイ=アベアーと監督のジョン・キャメロン・ミッチェルは、ぎりぎりのユーモアを彼らの日常に忍び込ませ、喪に服する時間をやり過ごすことで、この難局を乗り切ろうとするが、本作ではどうだろうか?

コナーは、喪失の後も、根本的にふたりの関係が変わることはないというある種の楽観性を抱いているが、エリナーは、自らの存在の存亡に関わる決定的に受け入れ難い事態として、生命の本質的な危機として、(映画の中では詳らかにされることのない)この悲劇と正面衝突をしてしまう。ふたりには互いに相手の考えていることを理解出来るような心理的余裕もなく、コナーは、ふたりでこの危機を乗り越えたいと考えているが、エリナーは、ひとりになって考えるスペースを必要としている。エリナーは、そこで、精神科医で教師の父親(ウイリアム・ハート)の紹介を得て、父親の知人フリードマン教授(ヴィオラ・デイビス)による哲学の講義を大学で受け始める。その講義ではデカルトの主体論が論じられる。「我思う、ゆえに我あり」、エリナーは、考える主体としての自分を取り戻していくことで自らの人生を取り戻していくことが出来るのか?エリナーが自らに費やす時間は、コナーにとっては"エリナーの不在"の時間として映っている。

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他人のことを理解するのはひどく難しい。如何に人は、ひとりひとりパラレルな物語を生きているか、その峻厳とも言うべき事実が、この2つの映画の基底を成している。それでも、私たちは、恋人と出会い、共に時間を過ごすようになり、いずれは子宝に恵まれることにもなるかもしれない。それでもまだ、人は孤独であり続ける。きっと、孤独というのは、人間の本質的な状態のひとつなのだろう。「エリナー・リグビー」の歌詞の一節<All the lonely people, where do they all come from? >にあるような、そんな全ての孤独な人々の、ひとりひとりが奇跡的に出会い、短い時間を、あるいは、長い時間を共に過ごすという僥倖、エリナーの不在(The Disappearance of Eleanor Rigby)は、その僥倖の時間の素晴らしい可能性を描いている。

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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.09.01

映画がいつも裏のstoryを持つことを意識させる映画だ。二つの映画が男女のように呼応するソングのような構造を持ち、その融合をカクテルのように味わうことができる大人の映画といえる。甘いラブストーリーを期待して見るには人生はほろ苦い。エリック・ロメールや洪サンス監督タッチみたいで淡々としているが人生ドラマの豊穣さは其々の家族というものが持つ謎にも挑んでもいるからだろう。

『ラブストーリーズ コナーの涙|エリナーの愛情』
英題: THE DISAPPEARANCE OF ELEANOR RIGBY HIM&HER

2月14日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか、全国順次ロードショー
 
監督:ネッド・ベンソン
撮影:クリス・ブローヴェルト
衣装デザイン:ステイシー・バタット
編集:クリスティーナ・ボーデン
出演:
『ラブストーリーズ コナーの涙』ジェームズ・マカヴォイ、キーラン・ハインズ、ビル・ヘイダー、ニーナ・アリアンダ
『ラブストーリーズ エリナーの愛情』ジェシカ・チャステイン、イザベル・ユペール、ウィリアム・ハート、ヴィオラ・デイヴィス、ジェス・ワイクスラー

© 2013 Disappearance of Eleanor Rigby, LLC. All Rights Reserved

2013年/アメリカ/95分(コナーの涙)、105分(エリナーの愛情)/カラー/シネマスコープ
配給:ビターズ・エンド、パルコ

『ラブストーリーズ コナーの涙|エリナーの愛情』
オフィシャルサイト
http://www.bitters.co.jp/lovestories/
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