『ザ・マスター』

themaster_01.jpg

"主に仕えない最初の人間"のメランコリー
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

ゴダールの『ソシアリズム』(10)を思わせる深い青の海面を真上から捉えたショットと、海兵隊員フレディ(ホアキン・フェニックス)の顔を捉えるショットを経て、キャメラは、浜辺でヤシの実を割って、アルコールを注いで作った自己流カクテルをすする男の姿を捉える。同僚に向かって、毛ジラミの殺し方を、嬉々として饒舌にレクチャーする男の佇まいは、いわゆる"50年代アメリカのビーチ"から連想することのできる享楽的な明るさとはおよそ無縁な不穏さばかりを漂わせている。その不穏さは、ジョニー・グリーンウッドが奏でる不協和音が空気を震わせる中、不気味にハイテンションなフレディがあからさまに卑猥な行動をとるに至って、本作の基調トーンへと決定づけられていく。

ラジオからは、日本の降伏を伝え、第二次世界大戦の終結を宣言するマッカーサー元帥の声が聴こえてくる。この終戦は、日本における玉音放送が告げた敗戦とは裏腹に、合衆国においては祝賀的なムードを生むはずであるにも関わらず、スクリーンにはひたすら汗まみれで、船の酒蔵からアルコールを盗み出すフレディの姿が、暗がりの中で映されるばかりだ。アンダーなライティングに、ゴードン・ウィリスが撮った『ゴッドファーザー』(72)の画を想起していると、コッポラの"小さな作品三部作"の撮影を手掛けたミハイ・マライメア Jr.が本作の撮影監督を務めていることを後で知ることになる。ポール・トーマス・アンダーソンは、アル中の一海兵隊員にとって終戦がどれほど無意味なものであったかを、マッカーサー元帥の勝利宣言との対比において示し、過酷だった戦争が多くの兵士達にもたらした心的外傷が"アメリカ"に穿った、大きな虚無を物語の起点に据えている。心を壊した兵隊達の表情は、レイモン・ドゥパルドンの『モダン・ライフ』(08)で観た、職を失いつつある農家の人々が見せるフラジャイルな表情を想起させながら、この極めて野心的なフィクションの中に端正な佇まいで収まっている。

エラ・フィッツジェラルドの「Get Thee Behind Me Satan」が流れるなか、50年代のHarper's BAZAARやVOGUEのファッショングラビアから出て来たようなデパートの売り子マーサ(エイミー・ファーガソン)が4999ドルのミンクのコートを売り歩く、モダン・ジャズのレコードジャケット・ヴィジュアルを思わせるデパートメント・フロアを眺める、シルクのように滑らかなフィルムの質感が素晴らしい。海から丘に上がって、デパートでポートレイト・キャメラマンとして働くフレディは、ツィードのジャケットを見事に着こなし、ダンディな紳士に成り済ましたかのように見える。実際は、目敏くマーサを口説き、暗室の暗がりに連れ込み得意のオリジナル・カクテルを飲ませ、仕事が終わったら一緒に出掛ける約束を取り付けるのだが、口説いたマーサに手をつける前に酒を飲んで眠りこけてしまう。フレディのポートレイト・キャメラマンとしての腕前は、それ相応の実力があるようだが、気に喰わない客に喧嘩を売り、あまりにも素晴らしい乱闘シーンを繰り広げた末に、職場から追い出されることになるだろう。

themaster_02.jpg

職にあぶれたフレディは、アジア系労働者と共に農場に身を寄せるが、自前のカクテルを飲んだ男が倒れてしまい、周囲のものから「毒を盛った」と糾弾され、命からがら農場から逃げ出す羽目になる。広大な畑を逃げ切ったフレディは、港に停泊している豪華客船の鮮やかなネオンと華やかなマンボの音色に吸い寄せられるように侵入し、人目につかない船室に忍び込み、死んだように倒れ込むのだった。この豪華客船アレシア号で、フレディは、"ザ・マスター"(フィリプ・シーモア・ホフマン)と出会うことになるのだが、ここまでのフレディの転落譚は、ビート・ジェネレーションの小説の主人公をモンゴメリー・クリフトが演じたかのような、かつてのアメリカ映画において、時代の微妙なズレから実現し得なかったアメリカ古典映画のあり得ない歴史をポール・トーマス・アンダーソンが21世紀において創り出したかのような、鈍い興奮を呼び覚ます。

フレディと初めて相対した"ザ・マスター"こと、ランカスター・ドッドは、フレディがチンピラであることを一目で見破るが、彼の作る(塗装用シンナー入り!の)カクテルを賞賛する。ランカスターを何者かも知らぬフレディは、逆に、あんたは何者だと問い、ランカスターは、私は、作家であり、医者であり、原始物理学者であり、論理哲学者であると答える。その答えに対するフレディのリアクションは、ランカスターを満足させるに充分なものではなかったに違いない。ランカスターは、君とは以前、どこかで会っている気がすると言い、フレディに目をかけるようになる。ランカスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)は、珍しく夫に刺激を与える男の登場に敏感に反応し、フレディに話しかけ、男の本質を見極めようとするだろう。しかし、ここでもフレディは、ペギーを満足させるようなリアクションを示すことはない。ランカスターは、悩める人々の心を解放すべく治療を施す<ザ・コーズ>という団体を組織し、そのメソッドの普及に務めている。"ザ・マスター"を支える妻ペギーは、実質的には、彼を影で支配していると言っても過言ではない、計算高く、野心的な女性だ。<ザ・コーズ>のメソッドは、「人間の全ての体験は記憶されており、その記憶を遡り"問題"と向き合うことで、精神的なトラウマを克服することが出来る」というもので、戦後の虚無が穿たれた時代にあって、支援者の数を徐々に拡大しつつあった。

この"ザ・マスター"的人物は、ポール・トーマス・アンダーソン作品を観て来たものにとっては、まさに"どこかで会っている気がする"人物に違いない。それは、『マグノリア』(99)の伝道師フランク(トム・クルーズ)であったかもしれないし、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)の石油王ダニエル(ダニエル・デイ=ルイス)であったかもしれない。しかし、『パンチドランク・ラブ』(02)以前の、アルトマンの群像劇との親近性を感じさせるPTA作品と、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以降のPTA作品では何かが大きく違っているように思える。その"変化"を引き起こしたのは、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のダニエル・デイ=ルイスであり、『ザ・マスター』のホアキン・フェニックスなのではないだろうか。このふたりの俳優の、まさに"マスター"的ともいうべき強烈な存在感が、PTAに群像劇的力点の分散を許さず、彼らの演技に応じることが出来るように、映画を有機的に組織していったのではないか?その結果出来上がった『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と『ザ・マスター』は、撮影の現場でダイナミックに生成されるPTA映画を極限まで拡張している。とりわけ、俳優の表情をクローズアップで克明に捉えることに多くの時間を費やしている『ザ・マスター』において、その傾向が著しいが、PTAが俳優に注ぐ仮借なき視線は、彼の長編処女作『ハード・エイト』(96)の時点で既に、『ザ・マスター』に至る道筋を見せていたと言うべきかもしれない。

themaster_03.jpg

本作で、そんな俳優同士の並外れた直接対決が見られるのが"プロセッシング"の場面だ。 "プロセッシング"では、執拗に同じ質問が繰り返され、被験者はその間、瞬きをすることも許されない。自分の過去について何度も何度も繰り返し問いただされる被験者は、いずれ自分の過去について洗いざらい告白することになる。フレディは、自分の過去について、アル中で死んだ父について、精神病院に入った母について、性的な関係を持った叔母について、そして、従軍中に手紙をくれたという16歳のドロシー(メディセン・ベイティ)という女の子について語り始める。フレディは、目を瞑り、ドロシーを訪ねて行った時のことを回想している。ドロシーの家を訪れたフレディは、ネイビー・ブルーの制服を来ている。突然、訪れたフレディをドロシーは優しく迎え入れ、彼の頬にキスをし、兵士の帰還を願う歌「Don't Sit Under The Apple Tree」を歌う。だが、ベンチに腰掛けるふたりを捉えるショットは、残酷なまでにこのふたりの不揃いな外見を際立たせていないだろうか。ドロシーはノルウェーに行くことになったという話を唐突に切り出す。そこで、ランカスターは、間髪入れず、それは誰が旅立つと言ったのか?とフレディに問いただすと、彼は、それは俺が言った、と答える。ランカスターは、眉をひそめる。ドロシーはフレディの妄想の産物か?しかし、そう疑った次の瞬間、やはりドロシーは実在の人物なのだと考えるに充分なフレディとドロシーの別れのシーンが描かれる。観客は、確かに、このセッションを通じて、ランカスターとフレディの魂が交流するさまを見るに違いないのだが、フレディの過去に実際何が起きたのかということに関する描写の曖昧さが、この映画の混沌を特徴付けている。『ザ・マスター』がもたらす混沌は、私たちの記憶と共に移ろい、確定的なイメージを結ぶことを拒否する。私たちの脳裏には蜃気楼のように揺らめく映画の亡霊が朧げな像を結ぶばかりだ。

<ザ・コーズ>一行の旅は、ニューヨーク、フィラデルフィア、フィーニックスへと続く。この旅の中にも幾つもの特筆すべきシーンがある。ニューヨークにおける、論客ジョン・モア(クリストファー・エヴァン・ウェルチ)とザ・マスターの論争、論争の後、ジョン・モアを襲うフレディ、フィラデルフィアにおける、監獄内でのランカスターとフレディの暴発シーン、ヘレン(ローラ・ダーン)が一行を迎え入れるサークルでの、まるでタル・ベーラの『ベルクマイスター・ハーモニー』(00)で観たような残酷なヌードが披露されるパーティーシーン、そして、フィーニックスにおける、ランカスターとフレディのバイク疾走シーン!魂を削るように過去へ遡る"プロセッシング"を経て、<ザ・コーズ>の一員としてランカスターの片腕にまで登り詰めたフレディだったが、ある日、ランカスターが死と紙一重のバイクの疾走を楽しんだ後に、お前も乗ってみろとバイクを差し出される。フレディは、ランカスターが走った方角とは逆の方向にバイクを走らせ、フィーニックスの広大な砂漠をどこまでもどこまでも猛然としたスピードで走って行き、そのまま砂漠の蜃気楼の向こうへ消えていく。

themaster_04.jpg

興味深いシーンが、一行がフィーニックスを訪れる直前のカットでサラリと描かれている。ザ・マスターの支援者であるヘレンが、新しい本では従来のメソッドとは違う言葉を用いているのは何故かと、ランカスターに問いかける。今までは、過去の体験について"recall/思い出してください"と問いかけるところを、新しい本では"imagine/想像してみてください"に変わっているのは何故か?これでは、実際の過去に遡ってトラウマの原因を解明するというメソッドを根本から揺るがしかねない、とヘレンは危惧する。この問い掛けに対してランカスターは、何故そこにこだわるのか!と声を荒げる。ザ・マスターの馬脚が表われる瞬間だ。そして、上述したフィーニックスでのランカスターとフレディの別れのシーンへと物語は展開する。あまりにも素晴らしいホアキン・フェニックスによるノースタントのバイク・ラインディングシーン、フレディが消えた後、絶妙なタイミングで流れるジョー・スタッフォードの「No Other Love」(ショパン「別れの曲」)に涙が禁じ得ない。ジョー・スタッフォードのスモーキーな歌声はそのままに、画面は、忘れられない女性ドリスを訪ねるフレディのショットへと切り替わっている。ドリスの家を訪ねると、そこにはドリスの母親がいる。フレディが、ドリスは?と聞くと、結婚したわ、と母親は答える。ドリスは今何歳に?と聞くと、23歳よ、と母親は答える。"時"があっという間に過ぎ去ることの残酷さを、ここまで切なく美しく表現したシーンがあるだろうか? 

場末の映画館で暇を潰しているフレディの元へ、今や成功してイギリスに巨大な本部を構えるザ・マスターから電話が掛かってくる。ランカスターの呼びかけに応じたフレディは渡英し、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の血塗られたラストシーンを想起させる、荘重な建造物の巨大な一室でふたりは久しぶりの再会を果たす。そこには、妻のペギーも同席している。ペギーは、最後までフレディという男を理解することがないが、ランカスターは、フレディのことをよく知っている。自由な男、何ものにも縛られない、海を股にかける、主に仕えない最初の人間。ランカスターとフレディの間で交わされる、プロシア軍に包囲されたパリにおける謎めいた彼らの最初の出会いの話、そして、今、ここで君が去るなら、私たちが会うことは二度とないだろう、と告げるランカスターに、では次の人生で会おう、と答えるフレディ。一心同体のふたりの別れに、ランカスターは「Slow Boat to China」を歌う。あまりにも長い時間が、一瞬にして過ぎ去ってしまう、ふと気がつくと、人生の多くの時間は過ぎ去り、本当に欲しいものからは見放されている、そんな人生における絶望を、時空の感覚が極限まで歪む野心に満ちたフィクションの中で立体的に立ち上らせるこの映画に、これほど相応しい歌があるだろうか。そして、ポール・トーマス・アンダーソンは、アメリカ映画のハッピー・エンディングへ回帰する。


『ザ・マスター』について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





Comment(0)

『ザ・マスター』
原題:THE MASTER

3月22日(土)より、TOHOシネマズ シャンテ、新宿バルト9ほか公開
 
監督・脚本・製作:ポール・トーマス・アンダーソン
撮影監督:ミハイ・マライメア・Jr
編集:レスリー・ジョーンズ、ピーター・マクナルティ
衣装デザイン:マーク・ブリッジス
音楽:ジョニー・グリーンウッド
プロデューサー:ミーガン・エリソン、ジョアン・セラー、ダニエル・ルピ
プロダクションデザイン:ジャック・フィスク、デイヴィッド・クランク
出演:ホアキン・フェニックス、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ローラ・ダーン、アンビル・チルダース、ジェシー・プレモンス、ケヴィン・J・オコナー、クリストファー・エヴァン・ウェルチ

© MMXII by Western Film Company LLC All Rights Reserved.

2012年/アメリカ/138分/カラー
配給:ファントム・フィルム

『ザ・マスター』
オフィシャルサイト
http://themastermovie.jp/
印刷