『抱擁のかけら』

上原輝樹
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バブル時代に公開された『欲望の法則』(87)、『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(88)、『アタメ』(89)といった、いずれ劣らぬ傑作ながらも、あからさまにスキャンダラスな物語設定、外見上の奇抜さや目新しさの追求、祝祭的キッチュ趣味の爆発といった表層的なお祭り騒ぎが、何はともあれ人々の耳目を集めた80年代的喧噪は、『オール・アバウト・マイ・マザー』(98)以降のアルモドバル作品(『トーク・トゥ・ハー』(02)、『バッド・エデュケーション』(04)、『ボルベール<帰郷>』(06))においては影を潜め、むしろ、自らのセクシュアリティのルーツ、生まれ故郷ラ・マンチャの人々、友情、家族、母親、そして、死、といったよりパーソナルで内省的なテーマを練りに練った脚本に血肉化していった。

新作『抱擁のかけら』は、そうした映画作家の内面への旅を経たアルモドバルの心理が投影されたと思しき主人公の映画監督マテオが、富豪の愛人であり、女優志望の"美し過ぎる女性"レナ(ペネロペ・クルス)と愛し合い、その結果もたらされる悲劇、そして痛ましく傷ついた魂の再生を描く、アルモドバル流の分裂症的メロドラマとして見る事ができる。

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極めてアルモドバル的な主人公と言っても差し支えないだろう、ルイス・オマールが演じる映画監督マテオの役柄には、アルモドバルが『オール・アバウト・マイ・マザー』以降、興行的にも批評的にも最大の成功を収めてきたこの時期にあっても尚、心の平安を得ることは出来なかった、仕事上の成功とは、ひとりの人間の心の平安とは無縁のものだという告白(※1)にも明らかなように、映画作家自身の心の不安が、悲劇に見舞われる映画監督マテオのキャラクター造形に寄与していることは間違いない。かつて映画監督として活躍したマテオは、今や視力を失い、ハリー・ケインという呪われた映画作家オーソン・ウエルズが演じた二つの役柄から頂戴した新しい名前を語り、かつての"抱擁"の記憶を封印して残された人生の時間を空しく過ごすばかりである。

そこにある日突然、自称映画作家を名乗る怪しげな青年ライ・X(ルーベン・オカンディアノ)が登場する。実は、レナをかこっている富豪エルネスト(ホセ・ルイス・ゴメス)の息子であることがいずれ判明する、怪しげな若き映画作家ライ・Xの人物造形は、ヘミングウェイとその息子グレゴリーの関係を参考にしたのだと、アルモドバルは語る。グレゴリーは、少年時代は女の子のような少年だったが、のちに父親以上の大酒飲みになり、巨大なゾウを狩るようなマッチョに成長、結婚し子供も授かった。だが、有名な父親が死んで15年後、ほとんど60歳にもなろうという時に性転換手術を受けたのだという。本作のライ・Xには、グレゴリー同様、強大な影響力を持つ父親に反発を感じながらも、父親と同じように行動してしまう、残酷な運命論者的な人物造形がなされている。ライ・Xは、その上、カミングアウトをしていないゲイでもあるという設定で、映画監督であるマテオの撮影現場に、メイキング映像のビデオ担当として入り込むことに成功し、映画は、にわかにフィルム・ノワール〜サスペンスの色調を帯びてくる。

同時に、アルモドバルは、母親の死を乗り越えなければならない辛い創作の旅でもあった『ボルベール<帰郷>』の完成をもって、約十年間続けてきた内面への旅も一段落を迎えたと感じており、いずれ『神経衰弱ぎりぎりの女たち』のようなコメディをもう一度撮りたい、と語ったその直後にこのアイディアは、ペネロペ・クルスがオードリー・ヘップバーンのコスプレのようなルックスの主演女優役を演じる、本作の劇中劇『謎の鞄と女たち』として早くも実現した。

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かくして、メロドラマ〜フィルム・ノワール〜サスペンス〜コメディの要素が重層的に重なり合うアルモドバル的分裂症を、卓越したクリエイティブチームの面々が監督の統制下、協力して統一感のあるひとつの映画作品へとまとめあげる。イニャリトゥ(『アモーレス・ペレス』(00)、『21グラム』(03)、『バベル』(06))とオリバー・ストーン(『コマンダンテ』(03))との仕事で、一躍名を馳せたメキシコ出身の撮影監督ロドリゴ・プリエトが撮影を手掛け、アルモドバル映画の名作曲家アルベルト・イグレシアスが今回も秀逸なサウンドトラック(※2)を手掛ける。そして、『ライブ・フレッシュ』(97)以降の多くのアルモドバル映画でアート・ディレクターを務め、ソダーバーグの『チェ』(08)ではプロダクション・デザインを担当したアントン・ゴメスが、本作の美術を手掛けている。とはいえ、これは恐らく、アルモドバルのアイディアだと思うが、本作の登場人物が暮らす家や部屋には、必ずその人物を象徴する絵画や写真、装飾的なオブジェクトが背景に配置されている。富豪のエルネストの屋敷とその息子ライ・Xの部屋には、アートマーケットで高値で取引されるに違いない、巨大な古典絵画とモダン・ペインティングが飾られている。この2つの作品は、全く趣味が違うように見えるが、違うのは"時代"が違うだけであって、アートマーケットで取引される"価値"によって、自分の周囲を飾りたいという俗物根性が、一見、保守主義的な実業家である父親と映画作家志望のドラ息子の内面に於いて、何ら違いがないことが暗喩的に示されていて興味深い。一方、映画監督として活躍する時代のマテオのオフィスには、ロミー・シュナイダーやオードリー・ヘップバーンといった往年の気品に満ちた名女優のポートレイトが飾られておりマテオの周囲を明るい光で照らしているが、光を失った晩年のハリーの部屋の壁には、手作り感溢れる十字架のオブジェが飾られている。現在のカソリック教会は完全に腐敗していると憤慨するアルモドバルも、実の姉は敬虔なクリスチャンであり、教会ととても個人的な内面性で結ばれている素晴らしい信者であると語っている通り、権威的でゴシックな十字架ではなくて、手作り感満載のアートワークのような十字架でマテオの部屋の壁を飾ったのは、実にアルモドバルらしい、彼なりの信仰心の表明だと見るべきだろう。

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ペネロペ・クルスが、本作で最も好きなシーンとして挙げている、イングリッド・バーグマンとジョージ・サンダースが離婚の危機を乗り越えて固い"抱擁"をかわす映画としても記憶されているネオレアリズモの傑作、ロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』(53)のワンシーン、ポンペイの遺跡で抱き合ったまま、噴火した火山の火の粉に焼かれて死んだカップルの映像がテレビ画面に写されるシーンの、その"抱擁"に永遠の愛を見て、レナが涙を流す美しいシーンは、二人の愛の至福の瞬間を画面に行き渡らせる。この"抱擁"という、あまりにも映画的なテーマの選択からして、それだけでも素晴らし過ぎるのだが、このエモーショナルで美しいテーマが、幾度も編奏されていき、あまりにも寂漠として美しいランサロテ島の浜辺での"抱擁"へと全てが収束していく時、もうこの二人に明るい未来はないだろうという残酷な予兆が画面を支配していく。

その残酷な予兆を決定づける不穏な雰囲気を映画冒頭から漂わせる若き映画作家ライ・Xは、マテオの撮影現場に、メイキング映像のビデオ担当として入り込み、映画のエンディングで非常に大きな役割を果たす"秘密の映像"を偶然撮影してしまう。そして、この粒子の粗い作家性のかけらも感じさせない無作為のビデオ映像が、いずれ世界の"真実"を明らかにし、ある種の感動すら呼んでしまうことに対して、映画史にその名を永遠に刻む名作『イタリア旅行』で描かれた至高の愛の映像は、二人の運命を結果的にはいよいよ悲劇的な結末へと追いつめてしまう。このアルモドバル脚本の残酷な皮肉!しかし、前者の皮肉な無作為が、いずれ思わぬ形で失意の底にあったハリーの魂の再生まで呼び覚ますことになるのだから、逆転に次ぐ逆転、アルモドバル的分裂症メロドラマの真骨頂がここに極まっている。

そして、奇しくも本作の一週間前に公開された、日本映画の新しい才能、真利子哲也監督の『イエローキッド』でも、たまたま撮影されたビデオ映像がエンディングシーンで大きな役割を果たすというシンクロニシティが起きているのだが、これは、真利子哲也監督にもメイキング映像を作っていた過去があるという事実を鑑みると、単なる偶然というよりは、DVDなどにメイキング映像が収録されるのが当たり前な"現在"の映画環境に自然に反応した優れた二人の映画作家が、必然的に選択した"秘密"の種明かしのシンクロニシティだったのかもしれない。


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『抱擁のかけら』
LOS ABRAZOS ROTOS(英題: BROKEN EMBRACES)

2月6日(土)全国ロードショー

監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
撮影監督:ロドリゴ・プリエト
音楽:アルベルト・イグレシアス
編集:ホセ・サルセド
プロダクション・デザイン:アントン・ゴメス
アート・ディレクション:ヴィクター・モレロ
衣装:ソニア・グランデ
製作:エステル・ガルシア
製作総指揮:アグスティン・アルモドバル
出演:ペネロペ・クルス、ルイス・オマール、ブランカ・ポルティージョ、ホセ・ルイス・ゴメス、ルーベン・オカンディアノ、タマル・ノバス

2009年/スペイン/128分/カラー/シネスコ/SRD・SR
配給:松竹
提供:松竹、ショウゲート、朝日新聞社

©EL DESEO,D.A.,S.L.U. M-2535-2009© Juan Gatti / El Deseo
©2009Emilio Pereda & Paola ArdizzoniEl Deseo©Juan Gatti / El Deseo

『抱擁のかけら』
オフィシャルサイト
http://www.houyou-movie.com/


ペドロ・アルモドバル&
 ペネロペ・クルス
 『抱擁のかけら』
 オフィシャル・インタヴュー

































(※1)
「ペドロ・アルモドバル 〜愛と欲望のマタドール〜」
フレデリック・ストロース
フィルム・アート社





























































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(※2)今回もまた、素晴らしく魅惑的なスペイン叙情溢れるスコアが満載のサウンドトラック。ジャーマン・ロックの雄CANの名曲「VITAMIN C」と共に、Uffieをフィーチャーしているところが何とも目ざとい!

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UffieのYOUTUBE映像はこちら
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