『灼熱の肌』

上原輝樹
garrel2_01.jpg

ファーストショットがゴダールの映画の色彩を、セカンドショットがリヴェットの映画の構図を、サードショットのシークエンスが、シャブロルの映画の不穏さを想起させる本作は、主人公フレデリックの死への遁走から始まる。開巻早々死にかける主人公を演じるのは、もちろん、監督の息子ルイ・ガレルである。映画史上、かつてこれほど頻繁に息子を死に直面させる映画監督が存在しただろうか?劇中のキャラクターの運命に、実人生の"未来"を重ねる者には到底なし得ない所業だが、ガレルの映画に投影されているのは"過去"である。この作品自体、ガレルの友人であった画家フレデリック・バルトの恋愛の物語に触発されたものであるという。実人生に材を取ることが多いガレルの作品では常に虚と実が微妙な境界線上で揺らいでいる。

つい先日来日したメルヴィル・プポーは、役者の演技に心理という側面はない、それ故に役柄に入り込んだり、抜け出したりすることに苦労することもないと語った。これは、マーロン・ブランドに起源を持つ、ダニエル・デイ=ルイスやロバート・デ・ニーロ、クリスチャン・ベイルといった、いわゆる"名優"と呼ばれる人たちとは正反対の姿勢と言って良い。フィクション性が、しばしば荒唐無稽なほどに強力な"ハリウッド映画"に出演する俳優達がありとあらゆる"役柄"になりきることを要請される、あるいは、自ら成り切ることを望むのも無理からぬことなのかもしれないが、その人自身であることが、まずは当然視される映画と、演出過多の映画では、今や同じ"映画"とは思えない程、遠い所に位置しまっているように思える。

garrel2_02.jpg

ガレルの映画は、その両方の"映画"の境界線を行ったり来たりする。だから、前作『愛の残像』で自ら命を絶ったばかりのルイ・ガレルは、今作でも開巻早々死への欲動を何食わぬ顔で漲らせてみせる。映画は、俳優を目指すポール(ジェローム・ロバール)の語りで進行していく。友人の紹介で画家を目指すフレデリックと出会ったポールは、恋人のエリザベート(セリーヌ・サレット)を連れて、彼の住むローマを訪れると、そこには美しい妻アンジェル(モニカ・ベルッチ)がいる。アンジェルは、演じているモニカ・ベルッチそのままの、それなりのキャリアに恵まれた女優であり、端役で食っているポールとエリザベートのカップルから見れば、気後れしてしまうような存在だ。フィリップ・ガレルは、現実のヒエラルキーに則して俳優たちを配役することで、必然的に生じるはずの微妙な感情をフィクションの中で利用する。

端役しか仕事のないポールは、「反乱」というミニコミ誌を作り自ら路上で売り歩き、"革命"は必然である、持たざるものである自分は"革命"にすがるしかないと語る。一方、ブルジョア風情のフレデリックは、"革命"など死者を生むばかりで野蛮だと考えている。俳優として一本立ち出来ないポールとエリザートのふたりは生活感を強く感じさせるが、フレデリックとアンジェルのふたりは雲の上を歩くように生活感がなく、全身に空虚を纏っている。ポールとエリザートを演じる、ジェローム・ロバールとセリーヌ・サレットの、慎ましやかな貌つき、表情は、あたかも成瀬映画の主人公たちのような"寂しさ"を纏っており、その寂莫とした人間の機微を描くさまに、映画作家フィリップ・ガレルのしたたかな成熟を見る思いがする。

garrel2_03.jpg

そう感じた次の瞬間には、Dirty Pretty Thingsの「Truth begins」でモニカ・ベルッチが踊るワンカットの多幸感溢れるダンスシーンが訪れる。このシーンが、『恋人たちの失われた革命』(05)における「This Time Tomorrow」(キンクス)が流れるダンスシーンや、ホセ・ルイス・ゲリンの『イニスフリー』(90)における、アイリッシュ・トラッドがヘヴィーメタルへと変容するダンスシーンほど素晴らしいとは思われないが、「Truth begins」のタイトルが示す通り、ここから"真実が語り始められる"という説話上のリズミカルな変調の機能を見事を果たしている。

雲の上を歩くようなアンジェルとフレデリックの儚い関係は綻びを見せ、二人の間には第三の男(映画の助監督ロラン)が登場するだろう。アンジェルが女優としての評価を高めて行くに連れて、嫉妬心に苛まれていくポールとエリザベートの二人を、倦怠感が包んでいく。やがてアンジェルが去り、フレデリックは絶望の淵へ嵌り込む。いよいよここからが、ルイ・ガレルの真骨頂だろうと観客は予想するかもしれないが、その期待は少しばかり裏切られることになるだろう。それを阻むのは、ルイの祖父にしてフィリップの父親、モーリス・ガレルである。フィリップ・ガレルは、自らフィクションの中で、息子と父親の時間を繋げる。

garrel2_04.jpg

現実とフィクションが限りなく溶け合う瞬間。そこで、ルイ・ガレルとモーリス・ガレルの間で交わされる対話の途方もなさが、現実とフィクションの差異を限りなく無化し、そこにはもはや"映画"としか形容しようのない何かが立ち籠める。そこで交わされる、愛する女性を失ったのであれば、生はもはや生きるに値しないというロマン主義的認識の一致は、この一族の映画史に於ける唯一の立ち位置を印象づける。闘い抜いた俳優モーリス・ガレルの、何とも傑出した最期である。


『灼熱の肌』について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





Comment(0)

『灼熱の肌』
原題:Un été brûlant

7月21日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー!
 
監督:フィリップ・ガレル
脚本:フィリップ・ガレル、マルク・ショロデンコ、カロリーヌ・ドリュアス=ガレル
撮影:ウィリー・クラン
音楽:ジョン・ケイル
出演:モニカ・ベルッチ、ルイ・ガレル、モーリス・ガレル、セリーヌ・サレット、ジェローム・ロバール、モーリス・ガレル

© 2011 - RECTANGLE PRODUCTIONS / WILD BUNCH / FARO FILM / PRINCE FILM

2011年/フランス、イタリア、スイス/95分/カラ―/シネマスコープ/デジタル/ドルビーSRD
配給:ビターズ・エンド、コムストック・グループ

『愛の残像』
オフィシャルサイト
http://www.bitters.co.jp/
garrel-ai/shakunetsu.html
印刷