『声をかくす人』

鍛冶紀子
koe_01.jpg

アメリカ史上唯一の内戦であり、アメリカ史上最も多くの死者を出した南北戦争。その南北戦争がようやく終わりを告げようとしていたころ、争いを再燃しかねない事件が起きた。かの有名なエイブラハム・リンカーン大統領暗殺事件である。

『声をかくす人(原題は「The Conspirator」で「共謀者」という意味)』はそんなアメリカ史上に名を残す大事件の陰で、ひっそりと、しかし政府の確かな意図によって絞首刑にかせられた一人の女性の物語だ。女性の名はメアリー・サラット。アメリカ合衆国政府によって処刑された最初の女性である。現在その名を知っている人は果たしてどれくらいいるのだろう。そしてなぜ今、彼女の映画だったのか。

1865年4月14日、ひとつの陰謀が実行に移される。ワシントンD.C.にあるフォード劇場で、芝居を観劇中だった時の大統領エイブラハム・リンカーンが、南軍支持者であったジョン・ウィルクス・ブースに撃たれた。同時刻、国務長官のウィリアム・スワードも襲われ負傷。副大統領のアンドリュー・ジョンソンも命を狙われていた。衝撃的な一夜に国中が動揺する中、陸軍長官のエドウィン・スタントン(ケヴィン・クライン)はいら立ちながら、一刻も早く犯人を逮捕するよう指示を出す。主犯のブースは潜伏先で射殺され、その共謀者たちは即日逮捕される。ここまでは広く知られた話。しかし、本作はまさにここからが始まりなのだ。

koe_02.jpg

逮捕された一味の中に下宿屋を営む女性メアリー・サラット(ロビン・ライト)がいた。犯人たちが彼女の下宿にたびたび集っていたこと、そのうちの何人かはそこに部屋を借りていたことから、共謀の烙印を押された。スタントン陸軍長官はいち早い事件の収束を狙い、民間人である彼女たちを軍法会議にかけることを決める。その先には全員死刑という結果が既に定められていた。しかし、元司法長官のジョンソン上院議員(トム・ウィルキンソン)は「彼女には弁護を受ける権利がある」と主張。元北軍大尉で英雄でもあったフレデリック・エイキン(ジェームズ・マカヴォイ)にメアリーの弁護を命じる。エイキンは多くの北部の民がそうであったように、犯人等を憎んでいたし、彼女が無罪であることなどはなから信じていなかった。初めての公判でメアリーは「私は無実です」と静かに主張する。しかし自分の身を助けるようなことは何も語らない。彼女は何かを守るために真実を隠している......やがてエイキンは彼女の無実を信じはじめるのだが、判事はみなスタントン陸軍長官の配下にあり、その審理は最初から結論ありきのものだった。

犯人達の処刑は結果的に北部市民の報復感情を満たし、南軍残党の機運を削いだ。リンカーンの死に対する正しい報復として語られる物語の底深くに、メアリー・サラットの真実は葬られた。「国の団結のためなら、仮に彼女が無実だったとしても構わない」という政府の意思があったのは明らかだ。事件当時、南北戦争は集結したばかりで、アメリカ国内はまだまだ平和とは言い切れない状態だった。小さな火種が再び戦火に繋がりかねない状況下での大統領暗殺。スタントン陸軍長官がとっさに、国の安定をいかに保つかを考えたのは、指導的立場にいる人間として決して間違いではなかったかもしれない。しかし、陰謀による大統領の死に対する制裁が、結果的に新たな政治的陰謀となって一人の市民の命をうばったことは、史実のひとつとしてもっと広く知られてしかるべきだろう。

koe_03.jpg

大きなもの(それは時に政府であったりマスコミであったり社会であったり)のために個が犠牲になる様を、ロバート・レッドフォード監督はこれまでも何度となく描いてきた。『クイズ・ショウ』(94)ではテレビに利用された末、個が裁かれ、テレビは生き残るという不条理を描いた。前作『大いなる陰謀』(07)では、国の行く末について語る上院議員と、その上院議員が仕掛けた作戦で命を落としてゆく兵士たちの姿を同時性をもって見せた。なぜ今メアリー・サラットだったのかを考えるうえで、ぜひ本作と同時に『大いなる陰謀』を再見することをお勧めしたい。時に政治的立場にかかわる人間が個を軽んじる様に、今も昔もないのだということがわかる。

また、劇中メアリーがカトリック教徒であることが幾度となく強調される。当時、アメリカにおいてカトリック教徒は少数派で、その多くはアイルランドやドイツからの移民であった。また、ノウ・ナッシングに代表されるような反カトリック主義が盛んだったため、カトリック教徒への風当たりは強かった。メアリーが正当な裁判を受けられなかった背景には、こうしたアメリカの宗教対立や移民問題も少なからずに影響していたものと思われる。宗教と移民の問題は、その内容こそ変わっているものの、現代も脈々と息づいている。

koe_04.jpg

監督のロバート・レッドフォードは語っている。「歴史は素晴らしい物語の情報源であり、しばしば現代と関係している」「もっと興味深いのは、いったん歴史の中に浸り込むと、一般的に認められ語られてことが、必ずしも"本当"の物語ではないことに気づくことだ。知っていると思っている物語の下に、別の物語があるんだ」。

本作はアメリカの史実をもとに歴史的に正確な映画作りをモットーとするアメリカン・フィルム・カンパニー(TAFC)によって製作された。能う限りの取材を尽くしたジェームズ・ソロモンの脚本を元に、製作チームは徹底的な歴史的忠実さを画面に求めたという。メアリーの独房のサイズから、彼女の服装、さらにはその生地にいたるまでをリサーチし、南軍北軍のユニフォームは当時のものを所有する人たちに協力してもらったそうだ。また、光源をガス灯、灯油、ろうそくの光など、当時使っていたものにしぼるなど(それは撮影のニュートン・トーマス・サイジェルにとって大きな試練だった)、徹底的に「1865年ころのリアル」にこだわった。その成果は、本作の仕上がりをより高みに引き上げている。個人的にはラストの絞首刑のシーンで思わず息をのんだ。それはかつて読んだ本に掲載されていた、リンカーン暗殺犯等の絞首刑執行の写真と全てが同じだったからだ。こうしたリアリティの積み重ねが、本作をより誠実なものにしている。


『声をかくす人』について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





Comment(1)

Posted by 匿名 | 2012.11.03

メアリーさんはカトリックだったのですね。そして世間は反カトリックの風潮であったと。神父さんとの関係ともども教えて頂いて物語を観る上で深みがました。

『声をかくす人』
原題:THE CONSPIRATOR

10月27日(土)より、銀座テアトルシネマ 他全国ロードショー
 
監督・製作:ロバート・レッドフォード
脚本:ジェームズ・ソロモン
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
編集:クレイグ・マッケイ
美術:カリーナ・イワノワ
衣装:ルイーズ・フログリー
出演:ジェームズ・マカヴォイ、ロビン・ライト、ケヴィン・クライン、トム・ウィルキンソン、エヴァン・レイチェル・ウッド、ダニー・ヒューストン、アレクシス・ブレデル、ジャスティン・ロング、ジョニー・シモンズ

© 2010 ConspiratorProductions, LLC. All RightsReserved.

2011年/アメリカ/122分/カラ―/35mm/スコープサイズ/SRD
配給:ショウゲート

『声をかくす人』
オフィシャルサイト
http://www.koe-movie.com/
印刷