『フライト』

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卓越した操縦術、"音"が雄弁に導く、映画史上稀にみる祈り
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

映画は、スパイク・リーの映画でピンプを演じていた頃のデンゼル・ワシントンのキャタクターが迎えるような、ドープな朝の描写から始まる。乱れたシーツ、枕元には飲みかけのビール、裸の女(ナディーン・ヴェラスケス)がスクリーンを横切る。この映画では、音が雄弁だ。バスルームからは、女の放尿の音、二人の会話の内容は、女が同じ職場で働くキャビンアテンダントであることを伝えている。窓の外からは、ジェット機のエンジン音が聴こえてくる。彼らの職場である、空港近くのホテルに宿泊しているのだろう。飲みかけのビールを喉に流し込んだデンゼル演じるウィトカー機長の、セックス、ドラッグ&ロックンロールの匂いを放つ、登場感漲る出勤シーンを飾るのは、トラフィックの「フィーリン・オールライト」だ。

映画は、もう一人の彷徨える登場人物の紹介へと歩みを進めて行く。一人の若い女が、安モーテルから追い出されようとしている。ケリー・ライリーというイギリス人女優が演じる、ニコールという名のこの女は、どこかモンテ・ヘルマンの映画のローリー・バードを思わせる、幸が薄そうな南部の女だ。ドラッグ中毒のニコールは、クスリ欲しさに自らの体を売りかねない、ギリギリの精神状態にある。何とかして手に入れたヘロインを静脈注射したニコールは、そのまま意識を失う。カウボーイ・ジャンキースの「スウィート・ジェーン」が、彼女の遠のく意識の背景に流れている。

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ここでも音は雄弁に啓示を与えている。ここで使われているカウボーイ・ジャンキースの「スウィート・ジェーン」は、筆者の聴き違いでなければ、「トリニティー・セッションズ」という教会でライブ録音されたアルバムから使われている。言うまでもなく、「スウィート・ジェーン」はルー・リードの名曲だが、グラムロック全盛の1972年にデヴィッド・ボウイーがプロデュースした『トランスフォーマー』がヒットしたおかげで、グラマラスなロックンロール・アニマルのイメージすらあるこの曲だが、実際は、音楽に自分の人生が救われたことを歌う、極めて全うな人生讃歌である。とりわけ、ルー・リード(ヴェルヴェット・アンダーグラウンド『ローデッド』収録)の原曲はそのようにゴキゲンなロックンロール・ナンバーなので、この場面でルー・リード版が流れることはあり得ず、ダウナーなカウボーイ・ジャンキーズ版が選曲されている。後に露わになる本作の2つのテーマ、"神との対話"というテーマを、教会で録音された空間的に拡がりのあるアコースティックなサウンドに、"救済"というテーマを、ルー・リードの人生讃歌の歌詞に、暗喩させる演出が秀逸だ。

空港に到着し、颯爽と旅客機に乗り込んだウィトカー機長だが、実はひどい睡眠不足のままコックピットの操縦席に収まっている。それでも、彼の操縦テクニックは抜群で、激しい乱気流を鮮やかに切り抜けてみせるが、この日に限って、事態はこれでは収まらなかった。機体が安定すると、副操縦士に任せて眠っていたウィトカーだが、突然の急降下に目を覚まされる。機体は制御不能に陥っており、あらゆる手段を講じても降下が止まらない。そこで、ウィトカーは、信じ難いアクロバティックな操縦で、決死の不時着を試みる。ウィトカーは、あろうことか、機体を逆さにした背面飛行で、高度を保とうとする。そして、前方に着陸出来そうな草原を目視し、機体を正面に戻す、右翼の先端は教会の尖塔を切断し、機体は、その先の草原で衝撃とともに胴体着地を果たすだろう。現在のハリウッドにおける屈指の演出家であり、自らも飛行機を操縦するゼメキス監督は、手に汗を握る機内のパニック演出に法廷劇的サスペンス描写を交えながら、観客を、彷徨える魂が葛藤する"神の国"へと着地させる。

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この事を資料を読んで知った時には一瞬我が目を疑ったが、21世紀のハリウッド・メジャースタジオの映画で、あろうことか、"順撮り"で撮影されたという本作の中でも、撮影技術という点でどうしても触れておきたいのは、やはり、上下が逆転した機内での撮影シーンだ。機体が反転した時の機内の様子をリアルに描くために、ゼメキスの制作チームは、実際に機内を反転させて撮影することのできる装置を開発した。その装置には、乗客に扮したスタントマンが着席し、実際に180度回転させられたスタントマンたちはシートベルトで宙づりにされた。安全上の配慮から、1回の宙づり時間は1分以内と決められ、何十もの逆さの機内ショットは、それぞれを全て1分以内で撮影するという制限付きで、細分化され撮影された。こうして緻密に撮影されたシーンの中でも最も印象に残るのが、客席から放り出された子供を庇うトリーナ(ナディーン・ヴェラスケス)の行動だ。キャメラが捉える一連のショットの中でも、反転しつつある床をしっかりと踏み支えようとする、トリーナのシェイプアップされたふくらはぎを捉えるショットが印象的だ。このショットは、冒頭の彼女の裸体と並んで、クライマックスにおいて彼女の存在感を浮上させる、重要なフックになっている。

九死に一生を得て、病院で入院しているウィトカーのもとへ、ロックンロールな悪友ハーリン(ジョン・グッドマン)がストーンズの「悪魔を憐れむ歌」を鳴り響かせながら見舞いにやってくる。その辺の医者よりも"クスリ"に精通しているらしい彼は、ウィトカーに特別な処方箋を施し、お前は今やヒーローだと告げる。奇跡の着陸を果たした機内では、乗客102人中96名もの生存者がいたのだ。一夜にしてヒーローに祭り上げられたウィトカーだが、つきあっていたトリーナが子供を庇って亡くなったことを知らされ、ショックを受ける。そして、同じく入院療養中だったニコールと、体と心に傷を負ったもの同士、出会うことになる。

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事故の時、コックピットの密室では一体何が起きていたのか?調査の結果、機体に事故が起きていた事は紛れもない事実であることが判明するが、ウィトカーの体内からはアルコールが検出されていた。アルコール依存が原因で妻と息子からも見放され、今や、コカインで頭をシャキッとさせているのが彼の日常だ。誰しも何かしらの弱点を抱えているとはいえ、奇跡的な操縦で100名近くの命を救ったパイロットが、実はアル中だったという事が公になれば、一夜にしてヒーローとなった彼は奈落の底へ落とされてしまうだろう。そして、事実が白日の元に晒されると都合が悪いのは、ウィトカーだけではない。ウィトカーを雇用している航空会社は、多大な損害賠償を要求されることを避ける為に、敏腕弁護士ヒュー(ドン・チードル)を立て、会社の利益の為にウィトカーの立場を守り抜く考えだ。アメリカ映画の王道、法廷劇的サスペンスが観るものを魅了する。しかし、本作の場合、法廷劇の主導権を握っているのは、さながら"悪"の枢軸である。

病院で出会ってウィトカーと親密な間柄になった"スウィート・ジェーン"ニコールは、真実を求めていた。麻薬中毒に陥っていた彼女だが、今や、薬物依存症のミーティングに通い、更生に務めている。ニコールはウィトカーを会合に誘うのだが、ウィトカーは簡単には真実に向き合う事ができない。真実に向き合うことで失われる代償があまりに大きいからだ。社会的にも"ヒーロー"として遇される彼は、この嘘さえをつき通すことが出来れば、会社の利益を守り、自らも"自由"を享受し続けることが出来る。そもそも、奇跡の着陸で多くの人名を救った男が、アルコール中毒だからといって、どこまで彼を責めることが出来るのか?しかし、名匠ゼメキスは、観客の善良さに信頼を寄せている。観客が祈るのは、どうかこの主人公に罰が与えられるように、そうすれば、この男も救われるに違いない!という映画史上稀に見る祈りである。

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『フライト』
原題:Flight

2013年3月1日(金) 丸の内ピカデリー ほか全国ロードショー
 
監督・制作:ロバート・ゼメキス
製作:スティーヴ・スターキー、ジャック・ラプケ
製作総指揮:シェリラン・マーティン
脚本:ジョン・ゲイティンズ
撮影監督:ドン・バージェス、ASC
美術監督:ネルソン・コーツ
衣装デザイン:ルイーズ・フログリー
視覚効果:ケヴィン・ベイリー
編集:ジェレマイア・オドリスコル
出演:デンゼル・ワシントン、ドン・チードル、ケリー・ライリー、ジョン・グッドマン、ブルース・グリーンウッド、メリッサ・レオ、ブライアン・ジェラティ、タマラ・チュニー、ナディーン・ヴェラスケス、ジェームズ・バッジ・デール、ガーセル・ボヴェイ

(c) 2012 Paramount Pictures. All Rights Reserved.

2012年/アメリカ/カラー/シネマスコープ/DTS/SRD/SR/138分
配給:パラマウント ピクチャーズ ジャパン

『フライト』
オフィシャルサイト
http://www.flight-movie.jp/
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