ショーン・ペン演じるミッキー・コーエンが、アル・カポネが牛耳るシカゴから差し向けられたギャングの体を真っ二つに裂く残虐なリンチシーンから始まる本作は、1949年のロサンジェルスを舞台に、麻薬や銃、売春といった裏稼業で荒稼ぎをし、警察の主だった幹部を賄賂で買収することで、この街を支配しつつあったギャング、ミッキー・コーエンと、街の治安を回復すべくコーエンに対して超法規的な"戦争"を仕掛ける"ギャングスター・スクワッド"との熾烈を極める戦いを描く、痛快な娯楽作品である。残虐シーンが映画冒頭から登場して、"目には目を"の発想でギャングに戦争を仕掛けるような野蛮な映画を、21世紀の今、"痛快な娯楽映画"などと呼ぶことが出来るのは、この作品の演出をルーベン・フライシャーが手掛けているからだ。
『ゾンビランド』(09)、『ピザボーイ 史上最凶のご注文』(11)において、既存のジャンル映画にポストMTV世代ならではのポップなエッジとアメリカン・サバービアのリアルな脱力感を同居させ、グラフィックノベルやカートゥーン由来のモーション・グラフィク的センスをスクリーンに軽快に息づかせてきたルーベン・フライシャーは、"ギャング映画"という先人の傑作が群雄割拠する分野において、フィルムノワールに敢えて背を向け、ルーベンならではの軽さとスピード感、クリアなデジタルな画の質感といった、21世紀ならではのデジタル撮影の利点を戦略的を駆使することで、"血塗られた抗争の歴史"を"痛快な娯楽映画"に仕上げることに成功している。
『七人の侍』(54)よろしく、"ギャングスター・スクワッド"のメンバーが集められてゆく、そのプロセス自体も大きな見所になっている。中でも個性が際立っているのが、早撃ちの老カウボーイ、マックス・ケナードを演じるロバート・パトリックと、オマラの同僚の優男ジェリー・ウィンターズを演じるライアン・ゴズリングのふたりだが、とりわけ、ライアン・ゴズリングのジェリーは、浮かれたパナマハット姿で優雅に登場し、ふわふわと撓垂れた発話で喋る念の入った役作りで観る者を楽しませてくれる。世の中に対する諦念から優男に甘んじ、対ギャング戦争に乗り気ではなかったジェリーも、顔馴染みの少年が殺される事態を目の当たりにし、スクワッドに加勢することになる。
ジェリーが、ミッキー・コーエンの息のかかったナイト・クラブ「スラプシー・マキシーズ」で見初めた、ミッキー・コーエンの情婦グレイス・ファラデーを演じるエマ・ストーンが、文字通りの紅一点で本作に華を添えている。ジェリー、コーエン、グレイスという危険なトライアングルが物語の後景で緊張の糸を張り巡らせてゆく、ロマンスとスリルが交錯する展開は、"ギャング映画"の定型と言ってよいだろう。ルーベンの長編処女作『ゾンビランド』で主演女優を務めていたエマ・ストーンは、今や押しも押されぬスター女優だが、個人的には、出演予定であるというウディ・アレンの最新作がとても楽しみだ。
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