『物語る私たち』

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フィクションが現実を救う、サラ・ポーリーの有機的な試み
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

アトム・エゴヤン作品(『エキゾチカ』(94)、『スイートヒアアフター』(97))やイザベル・コイシェ『死ぬまでにしたい10のこと』(03)、ヴィム・ヴェンダース『アメリカ、家族のいる風景』(05)への出演、そして自らの監督作品『ア・ウェイ・フロム・ハー 君を想う』(06)、『テイク・ディス・ワルツ』(11)で知られるサラ・ポーリーの、監督としての新作『物語る私たち』は、「またの名をグレイス」(マーガレット・アトウッド/佐藤アヤ子訳/岩波書店)からの一節を朗読するサラ・ポーリーの父マイケルの声と共に始まる。「物語の渦中にいる時はまだ物語の体をなさず、ただの混乱だ。 〜中略〜 竜巻に巻かれた家にいる気分か、氷山に遭遇したか急流に呑まれた船の乗客のように、止める手立てはない。あとになり、やっと物語と呼べるようなになる。自分に、あるいは誰かに語っている時に...」。その間、画面にはポーリー家のノスタルジックなプライベートフィルムの映像がパッチワークされていく。

スクリーンに写る表層と相反するように、語られる物語の内容は"ノスタルジック"とはほど遠い。サラ・ポーリーが引いた「またの名をグレイス」で、マーガレット・アトウッドが、イギリス領時代19世紀カナダで起きた殺人事件の被疑者女性グレイスを、事件の真犯人だったのか否かの"真相の解明をせずに"、"歴史の監獄から救い出して(宮澤淳一)"(※1)みせたのとは裏腹に、本作のサラ・ポーリーは、太陽のように周囲を明るく照らし、スターのような存在感で周囲の人々を魅了した母ダイアンの"秘密"と、自らの出生にまつわる"疑惑"の真相を、母親譲りに違いない率直さと、探偵並みの明晰さで究明していく。ここで語られることになる「羅生門」的な"証言"の数々は、それなりに驚くべき"(複数の)事実"を浮かび上がらせるが、真に驚くべきは、些か厄介な類いのこの物語を近親者一同を総動員して語らせるサラ・ポーリーの、天才的とも言うべき語りのスタイルの洒脱さであり、音楽を含めた表現形式の洗練であり、その場、その場で立ち上ってくる"証言"の数々を"物語"の流れに生成していく、演出家としての手腕である。その腕前は、『カメレオンマン』(83)における映像実験や『メリンダとメリンダ』(04)における悲劇と喜劇の相克を、軽やかなコメディに仕立て上げるウディ・アレンの洗練すら思わせる。

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サラ・ポーリーが母ダイアンを喪ったのは11才の時であったという。サラ・ポーリーは、ダイアンが写っている写真やフッテージ映像を集め、近親者へインタヴューを行うことで、"ダイアン"という一人の女性であると同時にサラの"母親"でもある女性のポートレイトを鮮烈に描き出すことに成功しているが、サラ自身は母ダイアンにまつわる"記憶"を語っていない。監督である自分の"記憶"を特権的に紛れ込ませることの破廉恥さを聡明にも避けたと思われるサラ・ポーリーは、監督として"探偵"の役割を自らに任じてみせる。(サラ・ポーリー監督作品を見てきた者は、彼女のフィクション(『ア・ウェイ・フロム・ハー 君を想う』、『テイク・ディス・ワルツ』)の方に、彼女自身の"記憶"が十全な形で映画化されていたことを知ることになるだろう。)

しかし、近親者による視点で"母ダイアン"を描き出し、快調に滑り出していた映画は、ある"疑惑"にぶち当たったことで、探偵というよりは、何よりも父マイケルの"娘"としての感情をフレームの外にまで滲ませていくことになる。サラ・ポーリーは、"編集室の中で過去のフッテージ映像と家族のインタヴュー証言の数々と向き合うことの苦しみから、何度もこのプロジェクトを止めようと思った"とインタヴューで語っているが(※2)、そんな彼女を、過去の"記憶"に埋没する苦しみから解き放ったのは、"書くこと"の楽しみであったという。そうして"書かれた"再現映像の数々は、映画冒頭からあまりに大胆に使われているので、観客は訝る間なくその"嘘"を受け入れるしかない。亡き母と父マイケル、そして、ハリーがかつて過ごしたかもしれない時間を想いながら、想像の翼を広げてシナリオを書くサラ・ポーリーの姿が目に浮かぶようだ。映画のフィクションが、現実のサラ・ポーリーを救う。この映画では、全てが有機的に繋がっている。

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本作がとりあえず、"ドキュメンタリー"と呼ばれているのは、現代の映画における"ゲームの規則"のようなものだ。優れた作り手は、この"ゲームの規則"を放棄せずに、境界線をどこまで拡張することが出来るか、その限界を想像力と現場の試行錯誤によって探り当てる。5年間に渡って、この大胆にして緻密な映画の生成を、金銭面だけでなく、「可能な限り革新的な映画を作ること」、「型通りのやり方は採用しないこと」といった大胆な指針すら示してサラ・ポーリーを鼓舞し続けたという(※3)、カナダの公的機関"National Film Board of Canada"の存在は特筆に値する。リチャード・リンクレイターの傑作『6才のボクが、大人になるまで。』の成り立ちにも、12年間に渡って映画製作を支援し続けた、ジョナサン・セリング擁するIFCフィルムズの存在が欠かせない。個人金融資産世界2位を誇る、この国にこうした組織の存在が見当たらないのはなぜだろう?優れたアートフィルムは資本の狭間で不意をついて作られ、世界の映画祭サーキットを駆け巡り、次世代の映画作家や観客たちに後世にまで残る影響を与え続ける。資本が世界を席巻し、グローバリズムが蔓延していく現代では、プライベートであれ、パブリックであれ、気概を持った組織が映画の未来に向けて果たすことが出来る役割は決して小さいものではない。

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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.06.03

映画(物語る私たち)のサラ・ポーリーのポートレイトは何処かでロドリゴ・ガルシア監督の(愛する人)のナオミ・ワッツのポートレイトと繋がっている。家族の秘密を紐解く物語というだけでなく映画の製作自体が家族との真の和解という点でも。
確かにウデイ・アレン監督の(カメレオンマン)みたいにサラ・ポーリーが、インタビューと家族の極私的なアルバムや8ミリフィルムやビデオテープを自由自在に編纂した見事なドキュメンタリーだ!

『物語る私たち』
英題:Stories We Tell

8月30日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開
 
監督・脚本:サラ・ポーリー
プロデューサー:アニタ・リー
エグゼクティブ・プロデューサー:シルヴァ・バスマジン
編集:マイケル・マン
撮影監督:イリス・ン
美術:リー・カールソン
衣裳:サラ・アームストロング
録音:サンジェイ・メータ
編曲:ジョナサン・ゴールドスミス
キャスティング:ジョン・バカンC.S.A、ジェイソン・ナイトC.S.A
ナレーション:マイケル・ポーリー
出演:マイケル・ポーリー、ハリー・ガルキン、スージー・バカン、ジョン・バカン、マーク・ポーリー、ジョアンナ・ポーリー、キャシー・ガーキン、マリー・マーフィー、ロバート・マクミラン、アン・テイト、ディアドラ・ボーウェン、ヴィクトリア・ミッチェル、モート・ランセン、ジェフ・ボウズ、トム・バトラー、ピクシー・ビグロー、クレア・ウォーカー、レベッカ・ジェンキンス、ピーター・エヴァンス、アレックス・ハッツ

(C) 2012 National Film Board of Canada

2012年/カナダ/108分/カラー/DCP
配給:ユーロスペース

『物語る私たち』
オフィシャルサイト
http://www.monogataru-movie.com





(※1)『文學界』2008年8月号 
http://www.walkingtune.com/
aliasgrace.html


























































(※2)Film Comment May/Jun 2013 : Sarah Polley Interview






































(※3)Filmmaker Spring 2013 : Sarah Polley Interview
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