『一粒の麦』

浅井 学
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これは凄い映画だなと見始めてすぐに感じた。圧倒的なメッセージをもって迫るシーンの数々、ハッとさせられる斬新なアイデアがつめ込まれた映像が次々と押し寄せてくる。すべてを見逃すまいと釘付けになった。

子どもを探しに旅をする二人の初老の父親の物語だ。一人は交通事故で死んだ息子の亡がらを引き取るために、もう一人は売春を強いられている娘を連れ戻すために。貧相で強い意志も感じられない二人に、いまさら何ができるのか?

旅の途中は、まるでコメディー映画と思えるほど奇天烈なエピソードとユーモアたっぷりの演出でテンポよく展開されていく。脇役たちもジプシーからアジア系、アフリカ系難民までが物語に入り込み、言語も各種入り乱れたカオス状態となるのだが、それはむしろヨーロッパの現状の縮図なのだろう。やがてふたりは、ドナウ川で出会い、相乗りした船の船頭から、農民たちが古い教会を移設しようと試み失敗した200年前の伝説を聞く。二人の父親と農民たち、時空を超えて交差するイメージはどこまでも美しく切ない。

舞台は、ルーマニア、セルビア、コソボ。戦火と民族問題と経済的困窮を抱えるバルカン半島地域だ。ユーゴスラビア生まれで、報道カメラマンとしてトムソン・ロイター通信社に勤務したというシニツァ・ドラギン監督の、困窮する祖国へのどこか愛憎入り混ざった複雑なまなざしを強く感じる。この映画のもつ大きなテーマの一つなのだろう。

前々作の映画『神の口づけ』は、ロッテルダム国際映画祭でタイガー・アワードを受賞、長編はこれで3作目ということ。個人的には会場でも笑い声が響いたユーモアたっぷりな旅路での人物描写に最も心が惹かれた。ぜひ、この監督の次回作を見たい。


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『一粒の麦』
原題:If the Seed Doesn't Die

TIFF 第23回東京国際映画祭【コンペティション】部門上映作品
 
監督・プロデューサー・編集:シニツァ・ドラギン
プロデューサー:ファイト・ハイデゥシュカ
撮影監督:ドゥシャン・ヨクシモヴィッチ
作曲:ドラゴシュ・アレクサンドル
編集:ペートル・マルコヴィッチ
美術:ダン・トアデル
衣装:コスティン・ヴォイク
出演:ムスタファ・ナダレヴィッチ、ダン・コンドゥラケ、フランツ・ブーフライザー、ミロス・タナスコヴィッチ、シモーナ・ストイチェスク、イオアナ・バルブ、レル・ポアレルンジ、ブライアン・ジャルディン

© MRAKONIA FILM, WEGA FILM

113分/ルーマニア語、セルビア語、ドイツ語、英語/カラー/35mm/2010年/ルーマニア=セルビア=オーストリア
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