『サイド・エフェクト』

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薬物依存の"副作用/サイド・エフェクト"を、
スタイリッシュなサスペンスに昇華した見事な幕引き
star.gifstar.gifstar.gifstar.gif 親盛ちかよ

アカデミー賞受賞作品の『トラフィック』(00)をはじめ、『エリン・ブロコビッチ』(00)や『オーシャンズ』シリーズの監督が映画界からの引退を表明して2年、この作品を最後に、スティーブン・ソダーバーグは映画監督としてのキャリアに幕を引く。社会問題を反映しながらも興行成績をあげる映画を撮る器用な監督という印象が、50歳にして映画界を去るという軽妙さにも結びつく引退だと感じ入る間もなく、新作のCATV向け映画『恋するリベッラーチェ』公開(11月1日より、新宿ピカデリー他全国ロードショー)の情報が流れてくる。ソダーバーグは、どうやら、映画業界からテレビ業界へ転身したということらしい。いずれにしても、"劇場向け映画"としては今作が最後の作品になるということだ。

ソダーバーグ監督、最後の劇映画『サイド・エフェクト』は、抗鬱剤の副作用と殺人事件が複雑に展開する良質なサスペンス・スリラーだ。当初、リンジー・ローハンの抜擢を考え3度もオーディションを重ねたことや、ブレイク・ライヴリーをキャスティングしていたことが報じられているエミリー役を演じるのは、ルーニー・マーラ。 『ドラゴン・タトゥーの女』(11)で強烈な印象を残したが、ここでも鬱に悩むヒロインを見事に演じている。ニューヨーク・ジャイアンツ創設者のティム・マーラの曾孫という生い立ちが故か、小柄ながら他を圧倒する存在感があり、あどけなさ、品の良さ、淫らさ、繊細さ、優しさ、強情、狡猾さ、弱さといった一見対極にある性質を同時に漂わせる類い稀な才能は、生粋のファムファタールを思わせる。

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エミリーは、インサイダー取引で実刑判決を受け投獄されていた彼女の夫マーティン(チャニング・テイタム)の帰宅が近づくにつれ鬱が再発。マンハッタンで開業医を始めたばかりのジュード・ロウ演じる英国人精神科医ジョナサン・バンクスを頼ることになる。それにしても、もう1人の精神科医ビクトリア・シーバート博士を演じるキャサリン・ゼタ=ジョーンズと共に、この2大俳優、精神科医を演じるには、男度・女度がちょっと高すぎないか?などと気が散ったことはさておき、『アメリカン・ビューティー』(99)をはじめ、幾多の優れたフィルム・スコアを作ってきたトーマス・ニューマンの音楽が、薬に依存する現代社会を題材にしながらもレトロテイストで彩られたこの映画を、明確な色調で包み、映画の完成度を高めている。

ヒッチコックを思わせる、床に点々と染みた血痕と白い部屋のコントラストを映し出す導入。エミリーは4年に及ぶ服役期間を終えて釈放間近のマーティンに会いに行くところだ。彼女がひく赤い口紅は、彼の気をそそるためか、内面の不安を抑えて自分を偽るためか。鏡に写る自分を見つめるエミリーには、どんな自分が見えているのか。ルーニー・マーラー、彼女生来のと言いたくなる危うさが早くもスクリーンに漂いだす。ソダーバーグは、カトリーヌ・ドヌーブ主演のポランスキー初期作品『反撥』(65)を何度も観て、エミリーの演出をしたという。心の中の倫理観と、良い妻を演じる現実との葛藤に苦しむエミリーは、危うい精神状態にある。夫の逮捕により、恵まれた生活からの転落を経験し鬱がぶり返しつつあったところに、出所した夫が帰宅するというストレスが加わり、状況は悪くなる一方である。

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脚本を書いたスコット・バーンズは、10年以上前に医療ドラマのリサーチのため、ニューヨークの精神病院施設ベルビュー・ホスピタルで数週間を過ごした経験から本作の着想を得たとあって、精神医学の記録に則して描かれたエミリーの振る舞いは、どこまでが正常で、どこまでが精神障害をはらんでいるのか、曖昧な世界を行き来する。観客は、その曖昧さを俳優が演じていると認識しているのだから、事態は余計に複雑で、エミリーという人格を見極めようと躍起になる。エミリーを演じるマーラーの大きな目と華奢な顔は、怯える小動物を連想させる儚さで、観客を煙に巻いてゆくだろう。

アパートの駐車場で事故を起こしたエミリーを診察したバンクスは、幾つかの物的証拠からそれが事故ではなく自殺未遂だったことを推測する。彼は、就職活動中の美しい妻と息子のため、ニューヨークでの生活を軌道に乗せようと精力的に働いており成功者として人も羨むような立場にある。そんなバンクスが、苦境に苦しむエミリーに同情するのは当然の成り行きかもしれない。彼女の症状をより深く理解するため、かつてエミリーを診ていた精神科医シーバート博士を訪ね病歴を確認し、以前の薬では副作用に苦しんでいたことを聞かされたバンクスは、エミリーも望んでいる新薬のアブリクサという抗鬱剤を処方することにする。

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アブリクサが効いたのか、夫婦生活も改善されつつあるように見えていた、ある日、夫のマーティンの殺害容疑でエミリーは警察に身柄を拘束されることになり、事態は急変する。バンクスは、処方した薬の副作用が事件を招いたという疑いから、メディアの集中砲火を浴び、見る見るうちに長年培ってきた社会的、職業的信用を失ってゆく。追い打ちをかけるように、妻のディアドラ(ヴィネッサ・ショウ)は最愛の子供を連れて家を出て行ってしまう。一体、彼はどこで何を間違えたというのだろう?過去の記憶を辿りながら、自らが生き延びるためのバンクスの必死の戦いが始まる。

本作のロケーション撮影の多くは、ニューヨーク市内の実在する施設を使っており、今も州の運営下にあるマンハッタン・サイキアトリック・センターも撮影に使われている。収容者は精神異常の投薬治療を受けつつ介護されるが、厳重に鍵がかかった巨大な人間味のない施設は刑務所と、なんら代わり映えがしない。そのコンクリートの厚みや、朽ちた塗料の不自然な色味が一瞬にして呼び起こす嫌悪感はリアルに不快だ。このような施設が実存するということは、フィクションではあるものの、この映画で語られたことが現実に起こり得ることを告げている。抗鬱剤だけではなく、多様な薬剤に頼ることが至極当たり前な社会にあって、正常と異常な状態の線引きは、特に精神疾患を煩う者や周囲の者に取って曖昧であり続ける。矯正された精神状態で行われる行動のどこまでが誰の責任なのかの判断も難しい。

薬物への依存や精神病院という制度へのクリティカルな意識を、卓越したスリラーに内在させ、見事なストーリーテリングで観客を惑わせるスティーブン・ソダーバーグ監督、まずは見事な幕引きでした、と賞賛の言葉を贈りたい。


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『サイド・エフェクト』
原題:Side Effects

9月6日(金)より、TOHOシネマズみゆき座他全国ロードショー
 
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
製作:ロレンツォ・ディ・ボナヴェンチュラ、グレゴリー・ジェイコブズ、スコット・Z・バーンズ
製作総指揮:ジェームズ・D・スターン、マイケル・ポレール、ダグラス・E・ハンセン
脚本:スコット・Z・バーンズ
撮影:ピーター・アンドリュース
プロダクションデザイン:ハワード・カミングス
衣装デザイン:スーザン・ライアル
編集:メアリー・アン・バーナード
音楽:トーマス・ニューマン
出演:ジュード・ロウ、ルーニー・マーラ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、チャニング・テイタム、アン・ダウド、ヴィネッサ・ショウ、カルメン・ペラエス、マリン・アイルランド、ポリー・ドレイパー、ジェームズ・マルティネス、メイミー・ガマー、ケイティ・ロウズ、デヴィッド・コスタビル

© 2012 Happy Pill Productions.

2013年/アメリカ/106分/ビスタ/DCP/カラー
配給:プレシディオ

『サイド・エフェクト』
オフィシャルサイト
http://www.side-effects.jp/
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