『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』

01.jpg

スピルバーグがトランプ政権下の今、敢えて作った新作で示した、
映画的豊穣と生々しさ

上原輝樹

映画は、当時の国防長官ロバート・マクナマラ(ブルース・グリーンウッド)の指示を受けて、ベトナム戦争の戦況分析のために派遣されたシンクタンク「ランド研究所」のアナリスト、ダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)が現地で泥沼化していく戦況を目撃する場面から始まる。帰国の途につく機上でマクナマラに呼ばれたエルズバーグは、戦況の悪化を直載に報告するが、その数時間後、思わぬ光景に出くわすことになる。ワシントンの空港で現地の状況を訊ねる記者達に対してマクナマラは、軍事作戦は成功しつつあり、戦況は楽観的な状況にある、と明々白々な嘘を吐くのである。信じ難い光景を目の当たりにしたエルズバーグは、自らの信念に従って行動を起こすことを決意する。

エルズバーグは、ランド研究所の同僚アンソニー・ルッソと、ルッソのガールフレンド、リンダ・レズニックの助けを得て、全7000ページにも及ぶ、後に「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれることになる最高機密文書を研究所の保管庫から持ち出し、一枚一枚そのコピーをとり、当時スクープを連発していた敏腕記者ニール・シーハンが在籍するニューヨーク・タイムズに持ち込むことに成功していた。映画は、このエルズバーグの動きと平行して、当時のワシントン・ポストが置かれていた状況を克明に描いている。ワシントンのエリート層を読者に抱えていたとはいえ、一地方紙に過ぎなかったワシントン・ポストは、折しも前社主のフィリップ・グラハムが自殺し、後を受け継いだ妻のキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)が、新聞社の株式を公開して、経営を軌道に乗せなければならない重大な局面を迎えていた。

02.jpg

そのグラハムが、ニューズウィークから引き抜き編集主幹を任せていたのが、強引なやり口から"海賊"の異名をとり、慎重なワシントン・ポストの経営陣を不安に陥れていたベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)である。アラン・J・パクラ監督の傑作『大統領の陰謀』(76)でジェイソン・ロバーズが演じたブラッドリーは、英国紳士風の装いで歴戦の死闘を生き延びた知恵者の佇まいだったが、本作のトム・ハンクス版ブラッドリーはといえば、ニューヨーク・タイムズが「ペンタゴン・ペーパーズ」のスクープ第一報を報じたその日に、ワシントン・ポストはニクソン大統領の娘の結婚式の記事を一面に上げるのが精一杯という体たらくの中、編集局スタッフ一同を叱咤激励しながら、彼/彼女らと共に汗をかき、これからいよいよその名を広く社会に轟かせて行く、その前夜の姿が活写されていくのである。

"社主"であるとはいえ、キャサリン・グラハムの置かれている境遇も甚だ心もとない。キャサリンの娘ラリーが語ったところによると、46歳のその年までこれといった"仕事"をしたことのなかったキャサリンは、4人の子どもたちを公園や買い物に連れて行く安穏とした日々を過ごしていた専業主婦であり、一族の遺産と子ども達の生活を守るために、夫の後を次いで社主を引き受けたに過ぎなかった。そんな彼女に対して、周囲の専門家たちの多くは不安の眼を差し向けていたが、内心一番不安を抱えていたのは、突如境遇の変化に見舞われたキャサリン・グラハム、その人自身であったに違いない。しかし、この逆境にある二人を演じる、メリル・ストリープとトム・ハンクスの即興に満ちた丁々発止の演技合戦を、完璧に仕上げられた70年代のディテイルが心躍るセットデザインと共に、スティーブン・スピルバーグ監督の活き活きとした演出の下、ヤヌス・カミンスキーの照明とキャメラを通じて堪能出来ることほど、映画的な贅沢と思えることは他にない。

03.jpg

もちろん、この映画における俳優陣の素晴らしさはメリル・ストリープとトム・ハンクスという二人の名優ばかりに帰するものではない。ランド研究所でかつて同僚だった、"ボストン"のエルズバーグと接触し「ペンタゴン・ペーパーズ」の全容を入手する記者ベン・バグディキアンを演じ、スピルバーグ監督ならではの緊張感漲る"電話"シーンで強い印象を残すボブ・オデンカーク、ワシントン・ポスト経営陣の中でも、キャサリンに対して、終止冷酷な態度を撮り続けるアーサーを演じるブラッドリー・ウィットフォード、"記事"を掲載するか否かという重要局面において反対はするものの、常にキャサリンに寄り添う好人物フリッツを演じる(ピューリッツァー賞受賞作家でもある)トレーシー・レッツ、ワシントン・ポストに先んじて「ペンタゴン・ペーパーズ」のスクープを掲載したニューヨーク・タイムズの編集局長エイブ・ローゼンタールを快活に演じる名優マイケル・スタールバーグ、そして、 "ウォーターゲート事件"の影の立役者ディープスロートの正体マーク・フェルトの複雑な肖像を描いたピーター・ランデズマン『ザ・シークレットマン』(17)でフェルトが情報提供をするタイム誌の記者サンディ・スミスを演じていたブルース・グリーンウッドが演じるロバート・マクナマラも強い印象を残している。

トレーシー・レッツは、本作と並んで第90回アカデミー作品賞にノミネートされたグレタ・ガーウィグの『レディー・バード』(17)でもシアーシャ・ローナンの父親役を好演しており、マイケル・スタールバーグは、同じくアカデミー作品賞にノミネートされた、ルカ・グァダニーノの傑作『君の名前で僕を呼んで』(17)の主人公の父親役が何と言っても素晴らしい。ジョニー・デップが久々に快心の役を演じた『ブラック・スキャンダル』(15)で抜群の存在感を放ったジェシー・プレモンス演ずるワシントン・ポスト弁護人の面構えの良さにまでは事細かに言及する余力がないほどの豊穣に恵まれた本作だが、こうした豪華俳優陣の脇をスルリとくぐり抜けて、本作にしなやかな一陣の風を吹き込んでくれる3人の女性登場人物に触れないわけにはいかない。もっとも、その3人からは、自らの労をねぎらってもうらおうとベン(トム・ハンクス)が甘えた矢先に、あなたには失うものが何もない、この一件であなたの評価は上がるでしょう、それに比べて、キャサリンには一家のレガシーと社の運命が掛かっている、私はキャサリンはとても勇敢な女性だと思う、と諭すように語り、見る者の感涙を誘う妻トニー・ブラッドリーを演じたサラ・ポールソンの素晴らしさは別格として除外しておく。

04.jpg

その3人の女性の内の一人は、「ペンタゴン・ペーパーズ」入手に色めき立つブラッドリー家自宅に急造された"編集部"でレモネードを売りさばき、2倍の利ざやを上げたブラッドリー家の少女マリーナであり、もう一人は、"記事"掲載後に裁判所に出廷したキャサリン・グラハムを見つけ、長蛇の列から彼女を救う、"敵側=政府系"の弁護士事務所で働く一見して移民2世と分かる小柄な女性であるだろう。そして、残るもう一人は、ニューヨーク・タイムズが裁判所から記事の差し止め命令を喰らった直後に、靴箱に入れた「ペンタゴン・ペーパーズ」の一部をワシントン・ポストに持ち込んだ若い女性であるはずだ。実のところ彼女は、"一陣の風"以上の重要な役割を担っている。裁判所命令によって、ニューヨーク・タイムズが当面記事を掲載することが出来なくなった時、他のメディアが萎縮して「ペンタゴン・ペーパーズ」の記事掲載を見送っていたら、アメリカの"報道"は死に、自由の火は消えていただろう。そうした重大な局面でキャサリン・グラハムは記事の掲載を決断したことになるわけだが、そうした事態もこの文書"持ち込み"の連携プレーがなければ、そもそも起こり得ない事だった。

スピルバーグは、その重要な役割を担う"若い女性"の役を、実の娘サーシャ・スピルバーグに託している。本稿冒頭で、エルズバーグが持ち出した文書のコピーを手伝った二人の実名を記しているが、それは二人の実名が既に明かされているからだ。それでは、サーシャ・スピルバーグが演じた女性の役名が"Woman with Package(小包を持った女性)"と辛うじて記されているに過ぎないのは何故なのか?このことに関連すると思われる記事(※)が、1月29日、ザ・ニューヨーカーWEB版に掲載されている。

この記事によると、マスコミに文書をリークする際にエルズバーグの手助けをしたのはランド研究所の同僚アンソニー・ルッソ(とそのガールフレンド)だったことが一般に知られているが、実際には別に6人の協力者がいたことが、1971年の文書流出から46年を経た今、初めて明かされている。しかも、その6人は、素人銀行強盗団を主人公にした『The Lavender Hill Mob』という1951年の映画になぞらえて、自らを「The Lavender Hill Mob」という暗号名で呼んでいたのだという。ザ・ニューヨーカーの記事は、その「The Lavender Hill Mob」の中核を担っていた人物に取材をしている。その人物の名前はガー・アルペロヴィッツ、今や、政治学者、歴史学者として高名な人物だが、とりわけ日本に住む者にとっては、『原爆投下決断の内幕――悲劇のヒロシマ・ナガサキ(上・下)』という書物の著者として、あるいは、"戦争を終結するための広島・長崎への原爆投下は100%不必要だった"とする一連の考察から、その名を知られていてもおかしくはない人物である。

05.jpg

そのガー・アルペロヴィッツが、かつてエルズバーグの文書リークの手助けをしていたという事実には心を揺さぶられるものがあるが、81歳のガーが、2017年にこの取材に応える決断を下したのは、年齢のこともあるが、本作『ペンタゴン・ぺーパーズ/最高機密文書』が公開されたことが決定的な要因であったという。しかし、「The Lavender Hill Mob」の内、取材に実名で応えたのは、ガーひとりだけである。1971年の時点で最高裁は記事の差し止め命令を無効とする判決を下し、1973年にはエルズバーグ、ルッソらに対する起訴も取り下げられてはいるものの、これに関わった人物が名乗り出た時点で、トランプ政権下の今、何らかの懲罰的な制裁が課されないという保証は全くないからだ。実際に「The Lavender Hill Mob」の内の一人は、グリーンカードを持っている移民であることを理由に取材を断っている。つまり、『ペンタゴン・ぺーパーズ/最高機密文書』は、報道の自由を擁護し、女性の社会進出の先駆者としてキャサリン・グラハムの功績を讃える女性映画という意味で"生々しい"映画であるのみならず、46年前のリークにおける"個人"の責任を亡霊のように甦らせかねない権力との現在進行形の闘いが継続していることを顕然せしめた点で、二重、三重に"生々しい"映画なのである。

映画の観客が"贅沢"を甘んじて享受するだけの時代は、9.11と、ペドロ・コスタの映画によって、21世紀の始まりと当時に終焉が告げられていることは誰の目にも明らかなはずだが、こうした"生々しさ"を前にした時、人はどのように振る舞うことが出来るのか?かつてゴダールは「法が正しくないときには、正義が法に優る」と宣言し、スピルバーグは「The Lavender Hill Mob」の一味らしき女性を実の娘に演じさせた。トム・ハンクスのブラッドリーは、「これは違法行為ですか?」と訊いてきた編集部員にどう答えたか?それは映画を見れば分ることである。


『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





Comment(0)

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
原題:The Post

3月30日(金)公開
 
監督・製作:スティーブン・スピルバーグ
脚本・製作:リズ・ハンナ
製作:エイミー・パスカル、クリスティ・マコスコ・クリーガー
脚本家・製作総指揮:ジョン・シンガー
製作総指揮:ティム・ホワイト、トレヴァー・ホワイト、アダム・ソムナー、トム・カーノウスキー
撮影監督:ヤヌス・カミンスキー
プロダクション・デザイン:リック・カーター
編集:マイケル・カーン、A.C.E.、サラ・ブロシャー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
衣装デザイン:アン・ロス
出演:メリル・ストリープ、トム・ハンクス、サラ・ポールソン、ボブ・オデンカーク、トレイシー・レッツ、ブラッドリー・ウィット・フォード、ブルース・グリーンウッド、マシュー・リス、アリソン・ブリー

© Twentieth Century Fox Film Corporation and Storyteller Distribution Co., LLC.

2017年/アメリカ/116分/カラー
配給:東宝東和

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』
オフィシャルサイト
http://pentagonpapers-movie.jp



































































































































































































THE NEW YORKER
The Untold Story of the Pentagon Papers Co-Conspirators
By Eric Lichtblau
https://www.newyorker.com/news/
news-desk/the-untold-story
-of-the-pentagon-papers
-co-conspirators
印刷