『ユキとニナ』

上原輝樹
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ゴダール、ルコント、デプレシャン、侯考賢といった世界の名匠たちの作品で活躍し続け"作家主義のアイコン"、イポリット・ジラルドと諏訪敦彦監督の共同監督作品『ユキとニナ』は、諏訪監督の作品としては、オムニバス映画『パリ、ジュテーム』(06)以来3年振り、長編では『不完全なふたり』(05)以来、4年振りの新作映画となる。

1999年の『M/OTHER』では、お互いを束縛しない自由な同棲状態にある男女(三浦友和と渡辺真起子)が、ある日突然8歳の男の子を預かることになり、今まで2人だけの自由な関係にあった男女に子どもという3人目が加わわることで突如として形成された疑似家族の姿を描き、その関係の変化によって生じる生々しい男女関係の危機を、脚本を作らない、いつもの諏訪監督のスタイルで、臨場感溢れるドラマツルギーの中に捉えた。2005年に全編パリでロケーション撮影された『不完全なふたり』では、ぎりぎり別れそうで別れない男女(ヴァレリア・ブルーニ=テデスキとブリュノ・トデスキーニ)を描き、誰もが容易に別れることが可能な現代にあって、一歩踏み留まって関係を続けていくことで見えてくる一筋の光明を美しい映像に綴った。ほぼ同時期にフランスで撮影されたフランソワ・オゾンの『ぼくを葬る』(05)では魅力に乏しかったヴァレリア・ブルーニ=テデスキが、『不完全なふたり』では、その魅力が余す所なく捉えられており、演出と撮影の違いで人はここまで輝くものか、という感慨を覚えたことを鮮明に記憶している。

そして、本作『ユキとニナ』で、諏訪監督は、ついに別れてしまう男女を物語の中心に据えて物語を紡ぎ始めた。これは、私が別のサイト(※)で諏訪監督にインタヴューを試みた時に、監督が語ってくれたことだが、『M/OTHER』の男女が経験した、子どもという3人目の人間が登場することで生じる男女関係の危機は、諏訪監督の実生活での子育て経験の難しさが反映していたとのことだったが、本作『ユキとニナ』の場合の、離婚してしまうユキの母親の役柄に関して諏訪監督は以下の通り語っている。


この映画に関して言えば、夫婦は別れてしまってもいい、それはひとつの解決だから、その時に子どもはとても辛い経験をするけど、でもまず子どもは大丈夫だから、大人たちはまず自分が自分らしく生きる道を追求しなければならない、基本的にはそういう考え方です。

これは色々な議論があっていいと思うのですが、僕の場合は、やはり子どもよりも、自分達夫婦の関係を構築していく事が大事だったし、そうしなければ生きて行けなかったです。 子どもは随分苦労をしたと思いますが、大人が子どものために自分を犠牲にしてしまったら、子どもは不自由だなと思うんです。面倒を見れないときもあるかもしれないが、自分自身が自由に生きるということを追求していれば、子どもは自分も自由に生きていいと思えるようになる。

だからこの映画の場合は、お母さんが別れるというのは辛い選択かもしれないけれど、とにかくお母さんがそこで息が出来るようになるのであれば、その息が出来るところに行ってください、子どもは付いて行くから大丈夫ですよ、どこに行っても自分の生活をすぐ作れるからと。



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ここで語られる"自由"を希求する気持ちは、監督自身の中に存在するものに違いない。そのある種楽観主義的であり、同時に極めて実存主義的ともいえる思想の顕然が、本作を、監督の過去の、今までも充分に素晴らしいフィルモグラフィからも、更に遥か遠いところまで跳躍せしめているように思う。そして、いつでも"自由"への希求は容易な道のりではない。昨年末の段階では『ユキとニナ』のフランス語タイトルとして告知されていた"仮借なき世界へ"という言葉通り、両親の別離を経験した、9歳のユキは、自分の足で一歩一歩、大人たちが不条理な振る舞いで跋扈する"世界"へと歩みを進めていかなければならないのだから。その"世界"の仮借なさは、『ユキとニナ』の宣伝ビジュアルが伝えるユートピア的多幸感とは裏腹に、むしろ、イーストウッドが『チェンジリング』(09)で示した、犯罪の片棒を担ぐ事を余儀なくされた少年に対する厳しい教育者的な目線に通じるものがあるように思う。つまり、『ユキとニナ』の劇中では、不条理な存在としか描かれていない"父親"が、キャメラの後ろで、4つの目を光らせていたことはやはり否定のしようがなく、その父性が、この見目麗しい映画における、自由と厳しさを担保している。

諏訪監督の遥かなる跳躍に、もうひとりの共犯者がいたことは本作を見た人にとっては既に明らかな事だろう。共同監督のイポリット・ジラルドがそうした人々のうちの一人であることは当然のことだが、もうひとりを敢えて限定するとすれば、それはユキを演じたノエ・サンピに他ならない。イポリットは、オーディションでノエを見た時の印象を、特に魅力的なわけでもない、あまりやる気のない感じの女の子だと思ったことを告白し、一方、諏訪監督は、直感でこの子だ、と感じたと言う。イポリットも後で諏訪敦彦の直感の正しさを認めることになる。この例外的に素晴らしい女優、果たして女優と言って良いものかどうかすら定かではない、この9歳の女の子を一体どのように形容すればその魅力が伝わるのだろうか?と悩んでいたところ、蓮實重彦が"まるでギリシャ神話の女神のよう"(群像2010年2月号)と形容している文章を目にしてしまった。もはやこれ以上何かを付け加えたり、言い換えたりする必要があるだろうか?

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映画の終盤、離婚した両親に最大の抵抗を試みるユキとニナが、家出の挙げ句に迷い込んだ森の中で、ユキはついにニナともはぐれてひとりぼっちになり泣き出してしまう、と脚本に書かれていたにも関わらず、ユキを演じるノエ・サンピは泣けないと言って、泣く事を拒否したという。その結果、ユキは、泣かずに「わたしは森で暮らすの。とっても可愛い家を建てて。食べ物は妖精たちが運んでくれる。」と呟き、自分の足で歩み出すという展開に物語を変更したという秀逸なエピソードが伝える通り、諏訪監督は、森の中で迷った大人たちを、ノエこそが、引っ張っていったのだと語る。大人がイメージする子どもではなく、"他者"としての子どもをノエの存在から学ぶ事が出来たことが、この映画を特別なものにしたのだと。イポリットやノエ・サンピとともに、地図のないファンタジックな世界を、旅人の好奇心に溢れた眼差しで見つめながら、厳しさと表裏一体の自由で満たした諏訪監督の新作『ユキとニナ』を、本サイトにおける2010年度最初のレビューとして掲載できることをとても嬉しく思う。


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Comment(1)

Posted by 瀬尾幸子 小説「湖畔」にて岡田幸子 | 2014.03.27

家族、幸福の在り方は永遠のテーマと云えそうです。何故家族はいつも一つになっていなければならないのか。何故夫婦はいつも仲良くしなければならないのか・・・。どの国のフィルムを観てもまず子供たちは夫婦の不仲や離婚を悲しみ、心の中で厳しく非難していますね。幸せの形は色々あって当たり前なんだと大人が示し教えてやることで、子供たちは自分で生き方を選択し強く自由に生きることを学んで行けると思います。
「ユキとニナ」が与えてくれた瑞々しさと懐かしさはある心地よいしこりとなって残っています。
迷い込んだ森が少し昔のにほんに誘い込み、ニナはかつてお母さんが体験した?田舎家に自然と溶け込み遊ぶシーンはとても感動的で引き付けられる思いがしました。誰にも子供時代があり今の自分が形成されているのだよと教えてくれているように思いました。一人の親となってからも自分なりの幸福の形を探す大人であって罪はないのだと思っています。

『ユキとニナ』
原題:YUKI & NINA

1月23日(土)より、恵比寿ガーデンシネマ他、全国順次ロードショー!

監督・脚本:諏訪敦彦、イポリット・ジラルド
エグゼクティブ・プロデューサー:澤田正道
共同プロデューサー:クリスティナ・ラーセン、定井勇二
アソシエイト・プロデューサー:吉武美知子
撮影:ジョゼ・デエー
録音・音響:ドミニク・ラクール、小川武、ラファエル・ジラルド、オリヴィエ・ドユー
編集:諏訪久子、ローランス・ブリオ
美術:エマニュエル・ド・ショヴィニ、ヴェロニック・ベルネウ、鈴木千奈
衣装:ジーン=チャルリーン・トムリンソン、小林身和子
キャスティング:マリオン・トゥイトゥー
音楽:フォーレン・オフィス(演奏:リリィ・マルゴ&ドック・マテオ)
主題歌:ううあ「てぃんさぐぬ花」 歌:ううあ&大島保克 三線:大島保克
出演:ノエ・サンピ、アリエル・ムーテル、ツユ、イポリット・ジラルド、マリリーヌ・カント、ジャン=ポール・ジラルド

2009年/フランス・日本/カラー/1:1.85/ドルビーSRD/93分
配給:ビターズ・エンド

『ユキとニナ』
オフィシャルサイト
http://www.bitters.co.jp/yukinina/






















(※)NHK子どもサポートネット:『ユキとニナ』諏訪監督インタヴュー
http://www.nhk.or.jp/kodomo-blog/interview/33627.html
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