『ゲゲゲの女房』

上原輝樹
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NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」が民放を含めた全番組の中で視聴率1位を記録し、世間に"ゲゲゲ"ブームなるものが吹き荒れたのだという。と人ごとのように言うのは、私がその時間帯にほとんど起きていないので、「ゲゲゲの女房」を一度も目にすることがなかったからである。しかしそんな私にも、映画『ゲゲゲの女房』の試写状が届いた。そもそも私の小学生時代は、「ゲゲゲの鬼太郎」と共にあったのだと言っても過言ではなく、アニメ鬼太郎の主題歌なら今でも諳んじて唄えるはずだ、などと過去の記憶を遡って水木ワールドへの愛着を想い出し、嬉々として試写に出向いたのであった。映画を見終わった直後の感想は、水木しげるご本人のコメントとしては最高の褒め言葉に違いない、「ハッハッハッ!なかなか面白かったですよ!」の一言では到底語り尽くせる類いの作品ではない、というものだった。

脚本家として既に世に知られている鈴木卓爾監督らしく、「収入は月3万円、安定した仕事をしております」という軽いホラ話でお見合いの5日後には結婚を成立させ、布枝さんを売れない漫画家、水木しげるの底なし貧乏生活に引っ張り込んでしまう映画序盤の脚本と演出のリズムが見事なのだが、開巻早々の容易には聞き取れない布枝さん一家の方言の応酬が一通りあった後で、これといった登場感もなく、気付けばもうそこに居る"妖怪"の佇まいが素晴らしい。"妖怪"はおどろおどろしく登場するのではなく、ただそこに"居る"という風情で画面の中に慎ましく収まっている。

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その妖怪の佇まいの慎ましさは、『ぼくのエリ 200歳の少女』(トーマス・アルフレッドソン)のヴァンパイアの慎ましさをも想起させ、世間の喧噪と然るべき距離感を保つ知性が画面に静かに息づいている。そんな慎ましい"妖怪"の存在は、音響面においてはデヴィッド・リンチ/アンジェロ・バラダメンティ以降のブラックホール的ノイズによって、より饒舌に示される。「空には満点の星がきらめく」(瀬田なつきツイート)"昭和"を再現した日本映画で、こうした音響が採用されることは滅多にないのではないか。常日頃から近年の日本映画の弱点は楽曲の使い方を含めたサウンドプロダクションにあると思っていたが、この作品は、その点を悠々とクリアしていく。いけ好かないリアリストの貸本屋の主(あるじ)として本編にも登場する鈴木慶一が、北野武の『アウトレイジ』に続いて、軽さを湛えたスコアを提供し、昭和だからといって"レトロ"に堕ちないサウンドトラックの構築に貢献している。

映像上の慎ましやかな実験は"妖怪の佇まい"に限らず、そこかしこに偏在していて、ヒッチコックが90分間の長編映画『ロープ』(48)で映画全体をワンシーン・ワンカット風に見せるために用いた、登場人物の背中でショットを繋ぐトリッキーなアイディアが楽しげに採用されているし、CALFの大山慶・和田淳の両名が手掛けた"鬼太郎"や"悪魔くん"の原画が登場するアニメーションも実に味わい深い。こうした全てが、"水木さんワールド"の魑魅魍魎が辺りを占領する"妖怪大全"の方に行ってしまうことがないのは、水木さんの妻、武良布枝さんの自伝エッセイ「ゲゲゲの女房」が原作なのだから当然の事とはいえ、恐らくはNHKの「ゲゲゲ~」では中々表現が難しいと思われる"水木しげる"のディープな世界に映画『ゲゲゲの女房』は慎ましやかに通底している。

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"水木しげる"と言えば、何と言っても「ゲゲゲの鬼太郎」をはじめとした妖怪ものや実体験に基づいた戦争漫画、そして、ご本人"水木サン"の破天荒で豪快なキャラクターが皆に親しまれている国民的作家だが、戦時中の水木しげるが18歳の時に心酔していたというアドルフ・ヒトラーの後半生を史実に基づいて無謀な"革命家"として描いた1971年の重厚な傑作劇画「ヒットラー」や、古都モレーリア、モンテアルバンのピラミッドなどの観光名所を擁する、メキシコ初のインディオの大統領となった国民的英雄ベニート・フアレスを輩出した文化の薫り豊かな美しい街、"オアハカ"を水木サンが訪れ、マジックマッシュルームを飲んでトリップする男の漫画が収録されている1999年の怪作「水木しげるの大冒険 幸福になるメキシコ―妖怪楽園案内」(共著:大泉実成)といった作品で露になる"水木しげる"の怪物性が、宮藤官九朗演じる水木しげるの一心不乱に漫画を描く姿や、どこか達観した風情の話術と"「ハッハッハッ」笑い"の合間から滲み出してくる。それは、自身が作家である宮藤官九朗本人から自然に滲み出てきたものなのか、目に見えない何かが憑依したものなのか、あるいは、鈴木卓爾監督の巧みな演出によるものなのか、そこに映画のマジックが潜む。

この水木しげるの怪物的側面は、鈴木卓爾監督が俳優として登場する時の一種不穏な気配を連想させる。俳優・鈴木卓爾の不穏さは、つい先日の東京国際映画祭で上映された瀬田なつきの新作『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』でもあからさまに可視化されていて、アヴァンポップな、なんちゃって感が支配する平成映画の中で不気味な磁場を形成し、映画に重厚なレイヤーを加えていた。また、本作の中でそのような"おもし"の役割を果たしていたのが、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』(大森立嗣)の網走の刑務所から脱走して、そのまま登場したかのような宮崎将が演じる漫画の苦学生だったことも印象深い。

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そうした不可視なものを身に纏って「ディケンズの夢」の如き空想の世界へ旅立ちそうな二人の男を現実の世界にしっかり結びつけていたのが、水木しげるの現実の生活では妻の水木布枝さんであり、鈴木卓爾監督にとっては、水木布枝さんの原作本の存在であったのかもしれない。この布枝さんを演じる吹石一恵が素晴らしい。今更こんな事を言ったら怒られるのかもしれないが、吹石一恵という女優の素晴らしさをこの作品で初めて知った。とりわけ色気のあるシーンがあるというわけでもなく、時には慎ましく、時には真っ正面から夫と対峙する、至極普遍的な夫婦の姿が描かれていくのだが、タナトス的な佇まいの宮藤官九朗に対し、装いは地味でも、表情にあどけなさを残す吹石一恵が発散する豊かな生命力がたおやかに画面に漲り、観るものを幸せな気持ちにしてくれる。一体この吹石一恵の色気は、色香を司る妖怪のしわざか、吹石一恵という女優から天然自然に泉のように湧いてきたものなのか、鈴木卓爾監督の秘密めいた演出によるものなのか?恐らくその全てが慎ましやかに最適な均衡を見つけたのだという他ない。


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『ゲゲゲの女房』

11月20日(土)より、全国公開
 
監督:鈴木卓爾
原作:武良布枝(実業之日本社刊)
脚本:大石三知子、鈴木卓爾
撮影:たむらまさき
照明:平井元
音響:菊池信之
美術:古積弘二
編集:菊井貴繁
装飾:吉村昌悟
衣装:宮本まさ江
メイク:小沼みどり
助監督:松尾崇
制作担当:金子堅太郎
特殊造型:百武朋
アソシエイトプロデューサー:大野敦子
アニメーション:大山慶、和田淳
音楽:鈴木慶一
VFX:クワハラマサシ
エンディングテーマ:「ゲゲゲの女房のうた」ムーンライダーズfeat小島麻由美
企画プロデュース:越川道夫
プロデューサー:佐藤正樹
共同プロデューサー:鶴岡大二郎、山形里香、境目淳子
出演:吹石一恵、宮藤官九郎、坂井真紀、村上淳、宮崎将、唯野未歩子、夏原遼、平岩紙、柄本佑、鈴木慶一、寺十吾、徳井優、南果歩

© 2010水木プロダクション / 『ゲゲゲの女房』製作委員会

2010年/日本/119分/ヴィスタサイズ/DTSステレオ
配給:ファントム・フィルム

『ゲゲゲの女房』
オフィシャルサイト
http://www.gegege-eiga.com/


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