『ノルウェイの森』

上原輝樹
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先頃、初来日を果たしたファティ・アキン監督に、初めての東京の印象を伺ったところ、「『ロスト・イン・トランスレーション』や『バベル』を観て思い描いたのとは全く違う印象の街だ」との答えが返ってきた。アキン監督が宿泊していたのは、下町風情を残す銀座の京橋寄りのエリアにあるホテルだったから、東京という街に対して『ロスト・イン・トランスレーション』(03)でスカーレット・ヨハンセンが宿泊していたパークハイアット・ホテルや『バベル』(06)で役所広司と菊地凛子が抱擁する高層マンションといった、都会的に洗練されたイメージを持っていたのだとしたら、そう感じるのも無理もない。映画作家は、自らのフィルターを通してその土地を切り取り、そして、そこであってそこでないような、この世のどこにも存在しないかのような場所を幻視し、映像化するが、『ノルウェイの森』のトラン・アン・ユン監督は、こと"68年の日本"を幻視したという意味で言えば、それを誰よりも上手くやってみせた。

村上春樹の原作にあった飛行機内での回想シーンは、本作を現在進行形の生々しい感情として描きたいというトラン・アン・ユン監督の考えから割愛されたが、映画のナラティブは、基本的には原作をそのまま生かし、1967〜69年を舞台にワタナベ(松山ケンイチ)が一人称で語るスタイルが採用された。当初は製作陣が、原作の語り口をそのまま生かすのは、役者にとってハードルが高過ぎると言って反対していたにも関わらず、松山自らが、原作通りにやりたいと言い、独自の台詞回しのスタイルを創り上げた。そんな彼の試みは高く評価されて然るべきだろう。頼まれることは何でも引き受けてしまう優しさに満ちた"柳に風"な口調が、松山の独特の佇まいと相俟って何とも癖になりそうな魅力を放つ。もっとも松山の"ワタナベ"は、こんな男実際にいそう、というリアリズムではなく、あくまで、映画の登場人物としてのイマジナリーな完成度の高さが魅力。そんな松山のセンスを見事に見抜いた監督の慧眼も見逃せない。トラン監督は、松山の独特の佇まいと優しさだけではなく、そこはかとなく漂うユーモアにも着目していて、重いテーマを扱った本作に"軽さ"と"可笑しさ"をもたらすことに成功している。

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映画は、キズキ(高良健吾)と直子(菊地凛子)の幼馴染みのカップル、とワタナベが、メェ〜と鳴声をあげる"羊"と共に登場する冒頭のシーンから、草原の緑の美しさで観るものを魅了する。常に動きながらも、それを観客に意識させない名撮影監督リー・ピンビンのキャメラ(実際には複数のキャメラオペレータ)が、柔らかく明るい陽光の下でプールや屋外で戯れる3人の姿を断片的に捉え、水の流れるような流暢な繋ぎで一連のシークエンスに編み上げていく。この編集仕事は、『夏至』(00)以来、トラン監督作品を手掛けてきたマリオ・バティステルの手によって、パリのスタジオで行われた。

そんな美しい映像に見入っていると、不意を突かれたようにキズキが自殺するシーンに出くわす。キズキの親友であったワタナベにとっても、あまりに不意に訪れた親友の死は、到底正面から受け止めることができる事態ではなく、そのような時、人はただ、それをやり過ごすことしかできないのかもしれない。高校を卒業したワタナベは、神戸を離れて東京の大学に入学し、学校の寮で新たな生活を始めるが、ある日、キズキを失って失意に沈む直子と出会ってしまう。3歳からの幼馴染みであり、恋人同志であった直子にとって、キズキを失ったことは、あまりに大きな"喪失"だった。人が人をひとり失うということ。『ノルウェイの森』が、その"喪失"についての生々しい人間的な感情の物語であるということにおいて、原作も映画も何ら変わりはない。

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直子を演じる菊地凛子に関しては、個人的には『バベル』が苦手な為にあまり良い印象を持っていなかった。菊地凛子がどう見ても直子の年齢(18〜20歳)には見えないということもあって、なぜワタナベがそこまで直子に執着するのかがよくわからない、といった疑問を途中まで持ちながら映画を観ていた。しかし、あの夜明け前の草原を早足で歩く直子をワタナベが追いかける、秀逸な長回しのシーンを境に、菊地凛子に対する私の評価は全く変わってしまった。菊地凛子は、私のような観客が抱く、役者がかつて演じた役柄から生じた身勝手な偏見を、その演技力で見事に打ち砕いてくれる。優れたプロフェッショナルな役者の演技とは、ここまで人の予想を超えて、官能のコミュニケーションを観客と取り結ぶものか、、、。菊地凛子の口からも、トラン監督から微に入り細に入り演技指導が行われたことが伝えられているが、そうした映画製作の現場で交わされた熱く執拗な魂の交感による修正作業の積み重ねが、作品の完成度を地道に高めたに違いない。

キズキを自殺に追いやったのは自分だったという"責任感"を心の中に大きく抱え込んで、自分自身が"抜け殻"のようになってしまった直子のブラックホール的な負の存在感は、言う事は何となく一人前だが実体はふわふわと所在のないワタナベを吸い寄せ、あるともないとも言い切れない"責任感"をワタナベに背負わせてしまう。自分を苛む"責任感"を決定的な"喪失"を通して内部に抱えてしまった直子と、直子の抱える"責任感"を巡り巡って背負ってしまったワタナベとの切ない関係に感情的に入り込むか、入り込まないかで、観客の本作に対する本質的な評価は別れるのかもしれない。

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直子との関係に逡巡しながらも、"責任"を受け入れることを決意したワタナベの前に、直子とは対照的に明るく、自らの欲望に肯定的な女性、緑が登場する。この緑を演じる新人女優水原希子、そして、強い目と凛とした佇まいが強く印象に残ったハツミを演じる初音映莉子らの女優陣が素晴らしい。雑誌のモデルをしていたという水原希子は、松山、菊地の若き実力派二人を前に、フレンチなロマンティスト丸出しのトラン監督から"そこで目をキラキラと輝かせて!"といったハイブロウな演技指導を次から次へと受けたとのことだが、画面で観る彼女は、"タナトス"な直子の対極にいる"エロス"な緑を嬉々として演じているように見える、というよりは、緑そのものに見える。この緑の魅力は、日本映画史的には、彼女が佇む部屋のミッドセンチュリーモダンのインテリアとの相乗効果で、60年代大映映画の女優以来とでも言うべき和洋折衷の美を彷彿とさせる。因みに、印象的な美術を手掛けたのは、トラン監督のデビュー作品以来、『ノルウェイの森』の前まで全作品で主演を努めてきたあの女優イェンケ・リュゲルヌ(今まではトラン・ヌー・イェン・ケーとクレジットされていた)である。彼女が手掛けた美術であれば、このセンスの良さも理解出来るというもの。

トラン監督と精鋭スタッフ陣が創り上げた、1960年代の日本を幻視した美術全般、選び抜いたロケーションの数々(砥峰高原の緑と冬の雪に覆われた高原、日本海の荒波が寄せる海岸等々)での四季を捉えた撮影、時折挿入される蜘蛛や水気を帯びた植物のトラン監督らしいクローズアップ、小津よりも、溝口を想起させる構図の"雨の降る庭"が見える緑の部屋、北欧的とも言うべきインテリアとファッションといった映画ならではの"快楽"がひしめく本作の中でも、登場人物を中心としたプライベートで親密な描写とは対照的に挿入される上記のロケーションで撮影された数々の"神の視点"的風景描写は、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(07)で我々の度肝を抜いたジョン・グリーンウッドが作ったオーケストレーションと相俟って、トラン監督作品の中でも随一のスケール感を感じさせる優れた映像音響表現に結実している。

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ところで、本作を作る上でトラン監督が参照したのがベルナルド・ベルトルッチ監督の『ドリーマーズ』(03)であったという。『ドリーマーズ』は、いわゆるフランスの"68年革命"の最中、時代の空気に逆らって、男二人女一人の三人組がインモラルなセックスに明け暮れるという退嬰的な青春物語であると同時に、トリュフォーを想起させる登場人物をジャン=ピエール・レオーが演じていたり、美術館の中を3人組が駆け抜ける、ゴダールの『はなればなれに』(64)へのあからさまなオマージュのシーンがあったりする、ヌーヴェルヴァーグへの親愛の情に満ちた成就しなかった"革命"へのレクイエムのような映画であった。村上春樹の原作小説にも少なからず"68年"への複雑な意識があるに違いないと思うが、映画『ノルウェイの森』も、『ドリーマーズ』以降の21世紀に作られた"68年の映画"の系譜に連なる映画としてやはり位置づけておく必要がある。その系譜には少なくとも、ソダーバーグの『チェ 28歳の革命/39歳 別れの手紙』(08)、ウリ・エデル『バーダー・マインホフ 理想の果てに』(08)、若松孝二『実録・連合赤軍』(08)、まだ日本未公開だがアサイヤスの『カルロス』といった作品が顔を並べるはずだ。その中で、『ノルウェイの森』を、ソクーロフの『チェチェンへ アレクサンドラの旅』(07)が、反"戦争"映画として"戦争映画"の系譜に列せられるのと同様に、反"革命"映画として"68年の映画"の系譜の中で先述の作品とは表裏を成す関係に位置づけることで、トラン監督がこの原作に最も世界中で"非政治化"されていくことになる土地"日本"を幻視したことの意味が明らかに見えて来るように思う。


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『ノルウェイの森』

12月11日(土)より、全国公開
 
監督・脚本:トラン・アン・ユン
撮影:李屏賓(マーク・リー・ピンビン)
音楽:ジョニー・グリーンウッド
エグゼクティブ・プロデューサー:豊島雅郎、亀山千広
プロデューサー:小川真司
アソシエイト・プロデューサー:松崎薫、池田穣
コー・エグゼクティブ・プロデューサー:マイケル・J・ワーナー、バウター・バレンドレクト
美術:イェンケ・リュゲルヌ、安宅紀史
照明:中村裕樹
録音:浦田和治
編集:マリオ・バティステル
出演:松山ケンイチ、菊地凛子、水原希子、玉山鉄二、高良健吾、霧島れいか、初音映莉子、柄本時生、糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏

© 2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース、フジテレビジョン

2010年/日本/カラー/133分/シネマスコープ/ドルビーデジタル
配給:東宝

『ノルウェイの森』
オフィシャルサイト
http://www.norway-mori.com/












































































































































































































































参照インタヴュー:
『ノルウェイの森』劇場版パンフレット
キネマ旬報2010年12月下旬号『ノルウェイの森』特集
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