『オン・ザ・ロード』

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すべての<ディーン・モリアーティ>のために
 
star.gifstar.gifstar.gifstar_half.gif 上原輝樹

ジャック・ケルアックの「路上」は、必ずしも"広く"読まれるべき小説ではないかもしれない。劇中のサル・パラダイス(サム・ライリー)よろしく、プルーストの「失われた時を求めて」を読む方が、余程汎用性の高い"読書"であるとさえ言えるかもしれない。しかし、売れた枚数は少なかったが、当時それを聴いたほとんどの若者が自らバンドを始めたといわれている、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの伝説的なバナナのアルバム(「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」)がそうであったように、後世に決定的な影響を与えた、ビート・ジェネレーションの代表作「路上」という文学作品が存在していることを世に知らしめること、その慎ましい偉業のためだけだとしても、今回の映画化は喜ばしく思える。

「路上」はいわゆる"起承転結"のある物語小説ではなく、現実の世界に上手く折り合いを着けることのできない"はみ出し者"の破天荒な青春の日々の生々しいのエピソードが延々と書き連ねられた、一種のドキュメントのようなフィクションだが、これを読んだ多くの読者がその後の人生に於いて決定的な影響を受けたといわれる、その文学作品の誕生の起源を知るという文化的度量の広さを人類が未だに持ちうるのだということ、21世紀の人類にもその程度の余裕が残されていることを確認出来るのであれば、本作のプロデューサー、フランシス・フォード・コッポラが、ゴダールに相談を持ちかけたりしながら、「路上」の映画化について数十年間に渡って頭を悩ませてきた、その甲斐もあったというものだろう。

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「路上」に散りばめられた無数のエピソードを時間軸に沿って整理し、小説「路上」が誕生(1957年)するまでの道程を描くロード・ムービー『オン・ザ・ロード』は、 "セックス、ドラッグ&ロックンロール"の"ロックンロール"や、ニコラス・レイがジェームズ・ディーン主演で撮った『理由なき反抗』(55)すら生まれる前の時代(1947〜50年)に、"セックス、ドラッグ&ジャズ"に明け暮れ、不安に苛まれながら、自分たちの生きる道を模索した、事後的に"ビート族(ビート・ジネレーション)"と呼ばれることになる若者たち(というより、ディーン・モリアーティというひとりの若者と旅人のサル・パラダイス)が過ごした、酔狂と蕩尽と灰色の日常を、映画ならではの語りの構造の中で描いている。

ケルアック本人をモデルにしたサル・パラダイス、ケルアックを"冒険の日々"に導いた風雲児ニール・キャサディをモデルにしたディーン・モリアーティ(ギャレット・ヘドランド)、ディーンの妻カミール(キルスティン・ダンスト)、ディーンの16歳の恋人メリールウ(クリステン・スチュワート)、作家ウィリアム・S・バロウズをモデルにしたオールド・ブル・リー(ヴィゴ・モーテンセン)、詩人アレン・ギンズバーグをモデルにしたカーロ・マルクス(トム・スターリッジ)といった、ケルアックが"路上"の日々に出会った実在の人物たちをモデルにした登場人物たちは、誰もが、この再構築されたフィクションの現実を生々しく生きようとしているように見える。とりわけ、メリールウを演じるクリステン・スチュワートは、ウォルター・サレス監督が、『トワイライト』シリーズ以前から目を着けていたというだけあって、実に自然に、エリック・ゴーティエが撮影した画の中に収まりながら、鮮烈な魅力を放っている。

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映画の本筋から離れるけれども、少し補足しておくと、ビート・ジェネレーションは、エルヴィス・プレスリーよりも、ジェームズ・ディーンよりも、もちろん、ビートルズやストーンズよりも早く生まれた、ポップ・カルチャーにおける最初の"反逆児"であり、圧倒的に時代に先んじていた。本作の登場人物の中でも、ケルアック、ギンズバーグ(『吠える』)、バロウズ(『裸のランチ』)は、ビート・ジェネレーションを代表する作家として知られ、後世の文学、音楽、映画の中でも、とりわけ"カウンター・カルチャー"といわれる範疇において決定的な影響を与えることになる。

ヴィゴ・モーテンセンが演じているウィリアム・S・バロウズは、ルー・リード、デヴィッド・ボウイ、パティ・スミス、リチャード・ヘル、ソフト・マシーン、ソニック・ユース、カート・コバーン、デヴィッド・クローネンバーグ、ガス・ヴァン・サントといったアーティストたちのリスペクトを集め、"NYパンクのゴッドファーザー"とも言われた大物だが、バロウズのことをここで語り始めたら、それこそキリがない。J・G・バラードから作品を賞賛されるSF小説作家であり、ホモセクシュアルであることやジャンキー(麻薬中毒者)であることをいち早く公言していた、ハーバード大学卒業の元祖インテリパンクとでもいうべきバロウズは、ウイリアム・テルごっこをしていて誤って妻を射殺してしまう等、実生活における人並みはずれたエピソードも枚挙に暇がないが、それはまた別の話になってしまう。必ずしも傑作とはいえない、クローネンバーグの『裸のランチ』は、それでも、虚実ないまぜのバロウズの危うげな像を果敢に描き、カルト的フィギュア、バロウズの意識に迫ろうとした。今となっては、オーネット・コールマンの音楽の記憶があまりにも薄いのだが、、。

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「路上」に関して言えば、その影響を公言しているものだけでも、ボブ・ディラン、ジム・モリソン、ジョン・レノン、ブルース・スプリングスティーン、ニール・ヤングといったミュージシャンたち、デニス・ホッパー、ジョニー・デップ、ジム・ジャームッシュといった映画人の顔が浮かんでくる。そして、アップル・コンピュータの創始者スティーブ・ジョブズの半生を描いた『スティーブ・ジョブズ』(13)でも描かれている通り、ジョブズはヒッピー生活時代にボブ・ディランに強く影響を受けており、カウンター・カルチャー、ヒッピー・カルチャーのDIY精神とクールネスが、後世のデジタル・カルチャー誕生のコアにあったことは見逃せない事実だろう。

もちろん、映画『オン・ザ・ロード』は、そうした文化的、社会的文脈などと全く無関係に、ひとりの、豪快に道を踏み外した男<ディーン・モリアーティ>の乱反射する生の輝きと、やがて訪れる"路上"の日々の終り、その愛しくも哀しい感情、落ちぶれてゆく、かつての王であり盟友を、慈しむでも、憐れむでもない、正に言葉で言い尽くせない複雑な感情を画面に確かに漲らせながら、瑞々しくもやさぐれた青春映画の風情を湛えている。若き日のチェ・ゲバラを描いた『モーターサイクル・ダイアリー』(04)の時と同じように、生き急いだ男の劇的な活劇としてではなく、悩みながら成長を続けるひとりの若者が過ごす、不安と喜びが交錯する日常を瑞々しく描くウォルター・サレスの映画には、実際にその時間を生きたに違いないと思われる、生身の人間の緩やかな鼓動<ビート>が豊かに息づいている。

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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.05.25

小説(路上)が出来るまでの道程を作家に即して描くというスタイルが魅力的だった。フレッド・ジンネマン監督の(ジュリア)もリリアン・ヘルマンとダシール・ハメットという作家の愛と生き方と創作の苦悩があったし、ウオーレン・ビューテイ監督の映画(レッズ)には、ルポルタージュ作家のジョン・リードのジャーナリスト魂が描かれていた。フランソワ・トリュフォー監督の代表作(突然炎のごとく)も作家志望の若者たちの葛藤でもあった。書くことと生きるということが織り成す人生ドラマには何かがある。

『オン・ザ・ロード』
原題:On the Road

8月30日(金)より、TOHOシネマズ シャンテほか、全国順次公開
 
監督:ウォルター・サレス
製作:ナタナエル・カルミッツ、シャルル・ジリベール、レベッカ・イェルダム、ロマン・コッポラ
製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ、ジョン・ウィリアムズ、ジェリー・レイダー、テッサ・ロス、アルパッド・ブッソン
原作:ジャック・ケルアック
『オン・ザ・ロード』/『路上』(河出書房新社刊)
脚本:ホセ・リベーラ
撮影:エリック・ゴーティエ
プロダクションデザイン:カルロス・コンティ
衣装デザイン:ダニー・グリッカー
編集:フランソワ・ジェディジエ
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
出演:サム・ライリー、ギャレット・ヘドランド、クリステン・スチュワート、エイミー・アダムス、トム・スターリッジ、ダニー・モーガン、アリシー・ブラガ、エリザベス・モス、キルステン・ダンスト、ヴィゴ・モーテンセン

© Gregory Smith

2012年/フランス・ブラジル/139分/カラー/シネマスコープ
配給:ブロードメディア・スタジオ

『オン・ザ・ロード』
オフィシャルサイト
http://www.ontheroad-movie.jp/
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