『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』

上原輝樹
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ハリソン・フォードが脚本に惚れ込んで低予算映画ながらも出演を快諾したという触れ込みに興味を覚えながらも、『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』という邦題のせいで、オールドスタイルの勧善懲悪的なハリウッド映画を安易に連想し危うく見逃しそうになったが、原題のCrossing Overというタイトルと、道路が複雑に交錯するLAのハイウエイを俯瞰する、原題タイトルのイメージを見事に象徴する航空写真を用いたアメリカ版DVDパッケージに惹かれ、いざ映画を観た。

『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』は、ジェームス・グレイの『アンダーカバー』をも想起させる、実に緻密に構成された骨太な社会派ヒューマン・ドラマだ。ポール・ハギスの『クラッシュ』、ポール・トーマス・アンダーソンの『パンチ・ドランク・ラブ』といったアルトマンの『ショート・カッツ』以降の、LAという土地に根ざした現代的なストーリーテリングのスタイルを持った本作は、地理的にはマイケル・マンの『コラテラル』やソダーバーグの『トラフィック』、アリアガの『あの日、欲望の大地で』といった、"人種のるつぼ"LAを描いた21世紀現代アメリカ映画の系譜に並ぶ良質な作品と言って良いだろう。アメリカ合衆国という移民の存在に依って立つ超大国の理想と矛盾が渦巻き、人々の希望と絶望を同時に生み出し続ける、祝福されると共に同時に呪われた国境の地がこの映画の舞台となっている。

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自身が南アフリカ出身のユダヤ系移民である脚本・監督のウェイン・クラマーは、メキシコ、イラン、韓国、バングラディッシュ、ナイジェリア、オーストラリア、南アフリカといった多岐に渡る出自を持つ移民の"それぞれの事情"を繊細な手付きで物語に織り込むことに成功しており、9.11以降取り締まりが厳しくなった合衆国が抱える移民問題をLAに住む人々を通してリアルに描く、という監督のねらいは充分に達成されている。そして、ストーリーに組み込まれて極めて自然に使われる音楽を通して、この地に根付こうとする文化の多様性とそれぞれの民族が育んで来た文化の豊かさがそっと映画に染み込んでくる。それは、恐らく作曲のマーク・アイシャムではなく、音楽監修としてクレジットされているブライアン・ロスと監督自身の仕事だと思うが、葬儀で誦されるイランのチャントや『アクロス・ザ・ユニバース』で一躍脚光を浴びたジム・スタージェスによって付け焼き刃のヘブライ語で諳誦されるユダヤの偽チャントが素晴らしく、厳しい現実をテーマとした本作に映画表現ならではの潤いがもたらされている。

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かの地の複雑な事情に満ちた映画を、日本に住む我々がなぜ観なければならないのか?少なくとも、ハリソン・フォードという"ハリウッド・スター"が、主演を努めなければ日本で公開されて我々の目に触れることもなかったであろう、この映画は、主に3つの視点から描かれている。1つは、繁栄を謳歌するアメリカでの安定した生活を求めて自国を離れた移民一世の目線、そして、2つ目は、合法か否かはともかく、苦労をしてかの地での生活を手に入れた親の子どもたち、移民2世の目線、彼らには親の世代が味わった苦労の実感が薄く、表向きにはそのようにプロパガンダされている通り、アメリカ的"自由"と"民主主義"を享受できるのが当然だという感覚を持っている。この視点は、この映画を観るであろう日本人の多くの観客にとって最もリアリティを感じるところに違いないが、そのプロパガンダの有効期限が切れている事は、そこで暮らしてみなければ気付かない。それ故に、バングラディッシュ出身移民2世の15歳の少女が「9.11のテロリストの心情を理解できる」と授業で自分の考えを述べただけで、当局の取り締まりを受けるというストーリーには驚きを禁じ得ないが、多かれ少なかれこれが現在の合衆国の現状なのだろう。本作の場合は、こうしたエピソードの数々が荒唐無稽な作り話でないことを"ハリソン・フォードが脚本に惚れ込んで出演している"ことで物語の信憑性を担保する方向に機能している。

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そして、3つ目の視点が、移民を受け入れるアメリカ市民の視点、これをハリソン・フォードが良心的なアメリカ市民の胸の内を代弁するかのような苦渋に満ちた表情で不法移民を取り締まる捜査官を演じている。いまや老齢を迎えた捜査官は、本来移民を取り締まるべき立場にありながら、不法移民にシンパシーを抱き、この地の人々を癒す"ヒーラー"かのように流暢なスペイン語を操り、傷ついた人々を慰めて歩く。奇しくも先月公開されたばかりのイタリア映画『ポー川のひかり』で、教条主義的なキリスト教に別れを告げ、生身の人間である"キリストさん"を描いたエルマンノ・オルミが我々のインタヴューに残した言葉が、この映画を観るべき理由を語ってくれているように思う。「もっとも美しいものは許しであり、もっとも醜いものは無関心だ。」悩めるハリソン・フォードの姿が、"キリストさん"にダブって見えるとまでは言わないが、『グラン・トリノ』で潔く十字架を模したイーストウッドの境地の2、3歩手前で"人間らしく"逡巡する"ハリウッド・スター"の厳めしい面構えに、問題に"無関心"ではいられなかったハリソン・フォードの素顔が垣間見えたような気がする、という話で終わったのでは、この映画が投げかけた問題を正視したことにはならないだろうから、蛇足ながら一言付け加えるが、我々自身の社会の問題として"無関心"と日々格闘し、声を上げて行くことでしか現状を変えることはできないという思いが、実は、つい先日の選挙で実現したばかりの今、この"関心の高さ"こそが大きな力になりうることを多くの日本人が気付いたことに幾ばくかの明るい光が見えるという気がしているのは私だけだろうか?



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『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』
原題:Crossing Over

9月19日(土)、TOHOシネマズシャンテほか全国ロードショー

監督/脚本/製作:ウェイン・クラマー
製作:フランク・マーシャル
共同製作:グレッグ・テイラー
製作総指揮:マイケル・ビューグ、ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン
撮影:ジェームズ・ウィテカー
美術:トビー・コーベット
衣装デザイン:クリスティン・M・バーク
編集:アーサー・コバーン
キャスティング:アン・マッカーシー、ジェイ・スカリー
音楽:マーク・アイシャム
音楽監修:ブライアン・ロス
出演:ハリソン・フォード、レイ・リオッタ、アシュレイ・ジャッド、ジム・スタージェス、クリフ・カーティス、サマー・ビシル、アリシー・ブラガ、アリス・イヴ、メロディ・カザエ、ジャスティン・チョン、メリク・タドロス

2008年/アメリカ/英語/カラー/スコープサイズ/1時間53分
配給:ショウゲート

写真:© 2008 The Weinstein Company, LLC All Rights Reserved.

『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』
オフィシャルサイト
http://www.seiginoyukue.jp/


ハリソン・フォード&
 ウェイン・クラマー インタヴュー
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