『ムーンライズ・キングダム』

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少年時代の輝かしくも限られた時間が、艶かしく息づく王国の物語
star.gifstar.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(01)のニューヨークがそうだったように、完璧なロケーションを見つけて、その地に想像上の世界を築き上げることを得意とするウェス・アンダーソンが、新作『ムーンライズ・キングダム』のロケ地として白羽の矢を立てたのは、全米50州の中で最も小さい州ロードアイランドだった。劇中で"Moonrise Kingdom"と独立国のように命名され、あの素晴らしい"キス"が交わされることになる入り江が実在するジェームズタウンのフォート・ウェザーリル州立公園をほぼ中心に、北はナラガンセット湾のプルーデンス島、東はニューポート、西はサウス・キングストン〜ホプキントンと、全てのロケ地がざっくりと40〜50km程度の距離に収まっている。

地図でこれらの地名を確認して、一度はこの地を訪れてみたいという危険な誘惑に駆られたのは、余りにも素晴らしいルックに収まった野外ロケーションの数々はもとより、ビル・マーレーとフランシス・マクドーマンドの不幸な結婚生活を送るビショップ夫妻が住まう魅力的な外観の家が、ジェームズタウンに実在するコナニカット・ライトという、以前灯台だった地にあることを知ったからだ。なぜ灯台に惹かれるのか、個人的には子供の頃にテレビで観た木下恵介の『喜びも悲しみも幾歳月』(57)の忘れ難い記憶が関係しているのかもしれないが、辺り一体の地理を見渡せる装置としての灯台は、その造形自体がスクリーン映えする魅惑のアイテム、そのものである。

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灯台を始めとして、本作には映画史を豊かに彩ってきた教会、手紙、 地図、テント、双眼鏡といったどこかノスタルジックなアイテムが次々に登場し、物語を駆動する。双眼鏡越しに両親の秘密を知ってしまったスージー(カーラ・ヘイワード)は、教会で行われた「ノアの洪水」の上演で孤児のサム(ジャレッド・ギルマン)と運命的な出会いを果たす。1979年、10歳の時に、ベンジャミン・ブリテンのオペラ「ノアの洪水」を自ら演じて以来、ブリテンのファンだというウェス・アンダーソンは、スージーとサムが初めて出会う場所として、当初ブリテンが素人劇として構想した「ノアの洪水」の精神をそのままに子供劇としてリクリエーションしてみせる。少年時代に受け取った感動を数十年後に召還すること、映画作家の、そんな幸福な記憶と、体験したわけではないはずの妄想の痕跡が本作の至るところに散りばめられている。

やがて、『ファンタスティック Mr.FOX』(09)から受け継いだ勇敢さを象徴するキツネの帽子を被った孤児のサムと、『ダージリン急行』(07)における親子のくびきを超越すべく自由への渇望を漲らせる家出娘スージーの12歳カップルは、『ライフ・アクアティック』(04)の探検家精神と地続きの、現実世界における闘争さながらのサバイバル術を駆使して、小さな島の森の奥へと愛の逃避行を繰り広げることになる。監督が、サム役を演じるにあたって、ジャレッド・ギルマンを少し鍛え上げるために、『アルカトラズからの脱出』(79/ドン・シーゲル)のクリント・イーストウッドを見るように伝えたという逸話も大いに頷ける、見事な逃避行ぶりである。

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サムが所属するボーイスカウトの隊長役をエドワード・ノートンが演じている。サマーキャンプという期間限定の場で子供達を取りまとめるウォード隊長は、子供たちから「隊長の本当の仕事は何なの?」と聞かれてしまう頼りない隊長だが、子供二人が失踪するという大事件に見舞われ、自らも次第に鍛え上げられてゆく。フランシス・マクドーマンド演じるビショプ夫人と公然の秘密の関係にあるシャープ警部のブルース・ウィリスは、『ダイ・ハード』(88)以前のTVドラマ『こちらブルームーン探偵社』における2枚目半の当たり役デイビッドの系譜にありつつ、それから30年を経て程良く枯れた風情を身につけた"話のわかる中年男"を好演している。一方、アンダーソン組常連のビル・マーレイは、大人びた子供たちの活気溢れる冒険譚の中で、やる気のない倦怠感を漂わせる不幸な父親としてそこに存在し、映画に奇妙な安心感を与えている。

愛の逃避行を続ける二人の存在を脅かす"福祉局員"を演じるティルダ・スウィントンは、エドワード・ホッパーの「ニューヨーク・ムービー」の中で映画館前に佇む女を思わせる鮮やかなブルーのスーツとブロンドヘアに身を包んで颯爽と登場し、他の登場人物たちを威圧しながらも、観客席に多くいるはずのティルダファンを喜ばせてくれる。ナレーター役のボブ・バラバンは、赤の厚手のウールコートに身を包み、ロードアイランドの州旗にも見られる碇の模様の手袋をはめてスクリーンに登場し、カーキスカウトのユニフォームに使われているカーキ色を基調としたアースカラーのカラーパレットにヴィヴィッドな色彩を加えている。

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もちろん、カラーパレットを豊かに彩るのは、カシア・ワリッカ=メイモンの衣装デザインだけではない。ロードアイランドの見事な景観や、スージーの愛読書(フランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」のグラフィックを模した装丁デザインの「Coping with the very Troubled Child」)をはじめとして数多登場する愛らしくも完璧な小道具やインテリアを造形するプロダクション・デザイン、それらを見事な横移動で16mm フィルムに収める名撮影監督ロバート・イエーマンの手腕が冴え渡っている。

物語という点ではイギリス映画『小さな恋のメロディ』(71/ワリス・フセイン)を想起するものの、ルックという点でいえば、アンダーソンの作品群の中でも本作ほどフランス映画の香りを色濃く漂わせているものもない。前述した鮮やかな色彩に加えて、フランソワ・アルディ、ハンク・ウィリアムスから聖歌隊、アレクサンドル・デプラの秀逸なオーケストレション、"音楽映画"と言って良い程の音楽との完璧な共犯関係が、ジャック・ドゥミの『ロシュフォールの恋人たち』(67)や『ロバと王女』(70)、アニエス・ヴァルダの『幸福』(65)といった60年代のフランス映画を思わせる。今や、パリに新しいオフィスを構え、帰化してパリ市民になったというウェス・アンダーソンが迎えた新たな局面に相応しい変化であると言えるかもしれない。

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映画のスタイルという点でもうひとつ顕著なのは、フィルム・ノワールへの参照だろう。それは、「ニューヨーク・ムービー」のブロンド女の意匠を纏ったティルダ・スウィントンが教会を訪れる終盤に明らかになる。監督自ら、タイトルの出自であることを認めているフランク・ボーゼイジの『ムーンライズ』(48)は、南部の湿地帯を舞台に絞首刑になった男の息子が歩む陰惨な人生を、デフォルメされた影や水面に反射する光を利用した表現主義的技巧を凝らして描いたフィルム・ノワールだが、ティルダ・スウィントンが教会を訪れて二人を追いつめると、スクリーンはブルーのモノトーンに支配された一連のシーンへと変調し、『ムーンライズ』で描かれた教会、嵐、森の動物たち、そして何よりも、父親との不幸な因果から自由になるべく苦闘する<精神的な父殺し=自由>という「映画」における普遍的テーマを、『ムーンライズ・キングダム』の影の主題として浮かび上がらせる。

『ムーンライズ・キングダム』における主人公サムは孤児として描かれており、具体的な父親像は提示されていない。その具体的な父親像の不在は、"父親"をある特定の類型に落ち着かせることなく、普遍的な父親像として抽象化することに成功している。つまり、全ての男子たちは父親を乗り越えることによって初めて自由になる。

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不幸な結婚をしている、知的で風変わりな夫婦の家庭に生まれた不幸な子供が過ごす、幸せな時間を描いた物語は、1965年という時代設定によって、この後、ベトナム戦争に従軍することになるのかもしれない子供たちの、少年時代の輝かしくも限られた時間が艶かしく息づく王国の物語へと鮮やかに横滑りし、自らの人生を切り拓く勇気の圧倒的な必要性をより一層声高らかに謳い上げる。


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『ムーンライズ・キングダム』
原題:MOONRISE KINGDOM

2月8日(金)より、全国ロードショー
 
監督:ウェス・アンダーソン
脚本:ウェス・アンダーソン、ロマンコッポラ
プロデューサー:ウェス・アンダーソン、スコット・r−ディン、ステーブン・レイルズ、ジェレミードーソン
製作総指揮:サム・ホフマン、マーク・ロイバル
撮影監督:ロバート・イェーマン(ASC)
プロダクション・デザイナー:アダム・ストックハウゼン
編集:アンドリュー・ワイスブラム(ASC)
音楽スーパーヴァイザー:ランドール・ポスター
音楽:アレクサンドル・デプラ
カーキ・スカウトの行進曲:マーク・マザーズボー
演奏:ピーター・ジャーヴィスと彼のドラム・コープス
衣装デザイン:カシア・ワリッカ=メイモン
共同プロデューサー:モーリー・クーパー、リラ・ヤコブ
協力プロデューサー:オクタヴィア・ペイセル
キャスティング:ダグラス・エイベル
出演:ジャレッド・ギルマン、カーラ・ヘイワード、ブルース・ウィリス、エドワード・ノートン、ビル・マーレイ、フランシス・マクドーマンド、ティルダ・スウィントン、ジェイソン・シュワルツマン、ボブ・バラバン

©2012 MOONRISE LLC. All Rights Reserved.

2012年/アメリカ/カラー/94分/PG-12
配給:ファントム・フィルム

『ムーンライズ・キングダム』
オフィシャルサイト
http://moonrisekingdom.jp/



【参考文献】
Sight & Sound
June 2012
Wes Anderson Interview
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