『ミッドナイト・イン・パリ』

上原輝樹
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『脱出』(ハワード・ホークス/44)、『欲望という名の電車』(エリア・カザン/51)、『七年目の浮気』(ビリー・ワイルダー/55)といった作品を手掛けたハリウッドのプロデューサー、チャールズ・K・フェルドマンが、当時、スタンドアップ・コメディアンだったウディ・アレンのステージを見てユーモアのセンスに惚れ込み、映画の脚本を依頼したのは、1964年のことだった。翌年、その脚本は、ピーター・セラーズ、ピーター・オトゥール、ロミー・シュナイダーという豪華スター共演の『何かいいことないか子猫チャン』(65)というコメディに結実、ウディ自身も準主役級の役柄を演じ、スクリーンデビューを果たすことになる。ウディ・アレン、29歳の頃の話だが、彼は後年、インタヴューでこの作品に触れられる度に、その時の経験が如何に最悪なものであったかを繰り返し語っている。

アレンが書き上げた脚本は、ラッシュの度に、プロデューサーのフェルドマンからダメだしをされ、修正を余儀なくされた。フェルドマンはとても社交的で魅力的な人物であることは間違いないが、悪しきハリウッドスタイルを現場に持ち込み、脚本など全く理解していなかった、自分の彼女を連れて来ては役を押し付けたり、スターを出演させるために役を追加することを強要された、書き上がった時点では満足の行くものだった脚本は、映画が仕上がる頃には無惨な代物に成り果てた、と。人付き合いや根回しで映画が出来上がっていく、こんなものは映画作りではない!と怒りと共にこの作品について振り返っている。しかし、この映画でもたったひとつ良いことがあった、それは、この作品の撮影で8ヶ月、パリに滞在することが出来たことだったと言う。

『何かいいことないか子猫チャン』の撮影で初めてパリを訪れたウディは、たちまちパリに惚れ込んだ。そのまま住み続けたかったが、当時の自分にはそこまでの気持ちのゆとりと独創性がなかった、衣装を担当した二人の女性(ミア・フォンサグリヴスとヴィッキー・ティエル)は、そのままパリに残って、人生と仕事を続けたというのに!と後悔の念を隠さない。事実、ヴィッキー・ティエルは、この後、パリでファッション・デザイナーとして大成功を収め、エリザベス・テイラーに近しい"セレブ"として知られるようになっていく。

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つまり、50年前に果たされなかった、パリに住み続けるというウディの"夢"を、フィクションの中で実現したのが本作『ミッドナイト・イン・パリ』なのだと言って差し支えないだろう。それ故に、本作は、皮肉屋のアレンらしからぬ純情さに彩られた、パリに対する一方的にロマンティックな憧れが作品全般を貫いている。彼のフィルモグラフィーの中でも最もロマンティックな作品と言っていいだろう。

ゴードン・ウィルスが捉えた美しい都会マンハッタンの表情と、ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」がマッチし、未だ荘重さが色褪せない『マンハッタン』(79)の素晴らしいオープニングシークエンスとは比べ物にならないカジュアルさで切り取られた、パリの観光ポストカード風ビジュアルで始まる本作のオープニングは、21世紀に入って次々と崩壊するに至った高層ビル群的"都会"神話の不在を逆説的に想起させ、この非建築的"軽さ"にしか、現在の都会を魅力的に描く可能性は残されていないのではないか、ということを観る者に悟らせる。リアリズムの映画において、マンハッタンのような都会が再び荘重さを取り戻すには、あと100年の歳月を必要としているのかもしれない。

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若き日のアレン自らをモデルにしたと思しき主人公、ハリウッドの脚本家ギル(オーウェン・ウィルソン)は、フィアンセのイネズ(レイチェル・マクアダムス)と共に憧れの都パリを訪れている。ギルは、ハリウッドで成功を手にしているが、業界仕事に辟易していて、秘かに小説家として身を立てたいと願っている。一方、現実主義のお嬢様イネズは、マリブでの裕福な暮らしを望んでいる。確かに、ギルはイネズの魅力的な容姿に惹かれているが、心に沸々と沸き上がる小説家への夢を捨てきれず、ギルの心を刺激する芸術の都パリにこのまま住み続けたいと思い始めていた。

そこに、イネズの男友達ポール(マイケル・シーン)が登場する。ポールは、大学で教鞭をとるインテリだが、その振る舞いには、いかんともし難いエセな気配が漂っている。こうしたキャラクターを楽しげにこき下ろす描写に、ブルックリン出身の皮肉屋ウディ・アレンの真骨頂が現れる。ポールを演じる、カメレオン俳優マイケル・シーンも実に楽しげである。とはいえ、ポールの登場を快く思っていないギルは、イネズと別行動をとるようになる。ある夜、ほろ酔い気分で深夜のパリを散策していたギルは、見知らぬ旧式のプジョーで乗り付けたグループに誘われるまま、パーティーに参加することに、、。

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パーティー会場で知り合う人々と話す内に、ギルは1920年代パリのサロンにタイムスリップしていたことに気付くのだった。そこには、スコット(『戦火の馬』(11)のトム・ヒドルストン)とゼルダ(『スコット・ピルグリム VS 邪悪な元カレ軍団』(10)のアリソン・ピル)のフィツジェラルド夫妻、ヘミングウェイ(コリー・ストール)、ガートルド・スタイン(キャッシー・ベイツ)、そして、ダリ(エイドリアン・ブロディ)、ブニュエル、マン・レイのシュールレアリスト3人組、パブロ・ピカソといった、ギルが最も憧れる芸術家たちが集う祝祭的な空間が存在していた。そして、タイムスリップした身分の人間としてあるまじきことに、当時ピカソの愛人であり、ヘミングウェイも秘かに恋心を寄せていたアドリアナ(マリオン・コティヤール)にギルは一目惚れしてしまう。果たして、憧れの20年代にタイムスリップしたギルは、時空を超越した恋を実らせることができるのか?

本作のウディ・アレンは、『メリンダとメリンダ』(04)における、悲劇と喜劇の弁証法的パラレルワールドをひとまずうっちゃって、『カメレオンマン』(83) 、『カイロの紫のバラ』(85)といった、映画内の虚構と現実が交錯するアレン得意のメタフィクションのナラティブを慣用し、大らかに現在と過去を行き来するタイムマシンを媒介に緩やかなラブファンタジーを語る。やがて、20年代パリへの絶対的憧憬は虚構のリアリティに揺さぶりをかけるだろう。何よりも作家とは、その想像力で、"世界"をではなく、自らの住まう現実を変えてしまうものである。

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しかし、アレンはその先に、もう一捻り、二捻り工夫を凝らしている。今最もフランスで旬な女優と言っていいだろう、レア・セドゥーが絡んでくる、アレンお得意の終盤のミスディレクションは、いつものアレン作品よりも悲劇的な事態を回避した分、数段爽やかなものに仕上がっており、その点が、今までよりも多くの観客を映画館に呼んでいる一つの要因になっているのかもしれない。

必要以上に深入りせず、あくまで、『それでも恋するバルセロナ』(08)的な娯楽観光映画にとどること、それが今回アレンがとった戦略であるに違いないが、出来上がった本作の魅力は、懐古趣味に終わらないバランス感覚をナラティブには導入しながらも、若き日の彼が抱いた神話的な時代のパリへの憧れ、その気持ちがあられもない、バランス感覚を欠いた素直さでフィルムに刻印されてしまった、計算外のイノセンスにあるのではないかと思う。


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Comment(3)

Posted by PineWood | 2017.01.08

BS TV のブラウン管で本編を見ました。映画館で見るのと違って日常空間で美術番組や時代劇を見ている様な気分でもあるけれど…。コールポッターの名曲が流れていつの間にかParisに、そしてマンハッタンに、映画(アニー・ホール)の思い出にと記憶が戻って行く…。恋愛での対象喪失感がペーソスとユーモラスなウッデイ・アレン映画創作の秘密見たいにも思えて来る。

Posted by PineWood | 2015.09.28

名画座のウデイ・アレン監督特集で観て三度目になった。今回もアカデミー賞に無関心だったアレン。(アニーホール)の作品賞の当日はクラリネットを吹いていたと言うから根っからのミュージシャン。時制の錯綜するタイムスリップSF は音楽や衣装などを駆使して、酒脱に語るウデイの得意とするjazzセッション♪こんなにもお洒落なマリオン・コテイヤール!併映の(マジックインムーンライト)のエマ・ストーンの瞳とともに印象的。前者が、若きアレンの自画像なら、後者は中年或は初老のアレンの恋の苦悩なのかも知れない…。夢の幻影、想い出に遊ぶ郷愁のパリと冒頭の現実のパリのドキュメントが見事に呼応している。

Posted by PineWood | 2015.06.04

シナリオ・ライターから作家への転身を望む主人公がヘミングウエイたちに会い作品を読んでもらう…という夢のようなエピソード。真夜中に見る夢は、若きウッデイ・アレンの自画像なのだろうか、作家志望者の単なる妄想なのか、世にも不思議な物語だ。(愛の讃歌)の主演女優マリオン・コテイヤールのオーラを用いてタイムトリップは時空を超越した愛情へ。それはきっと、アレン監督の最新作(マジック・イン・ムーライト)のマジシャンとの年齢差を超えた愛の奇跡に通じ合うのだろうー。人生万歳!

『ミッドナイト・イン・パリ』
英題:MIDNIGHT IN PARIS

5月26日(土)より新宿ピカデリー、丸の内ピカデリー、Bunkamuraル・シネマ、TOHOシネマズ六本木ヒルズ、品川プリンスシネマ、吉祥寺バウスシアター他、全国ロードショー!
 
監督・脚本:ウディ・アレン
製作総指揮:ハビエル・メンデス
出演:オーウェン・ウィルソン、マイケル・シーン、レイチェル・マクアダムス、マリオン・コティヤール、カーラ・ブルーニ、エイドリアン・ブロディ、キャシー・ベイツ

Photo by Roger Arpajou (C) 2011 Mediaproduccion, S.L.U., Versatil Cinema, S.L.and Gravier Productions, Inc.

2011年/スペイン、アメリカ/カラー/94分/ドルビーデジタル/アメリカンビスタサイズ
配給:ロングライド

『ミッドナイト・イン・パリ』
オフィシャルサイト
http://www.midnightinparis.jp/


参考:
「ウディ・アレンのすべて」井上一馬(河出書房新社)
「ウディ・オン・アレン」スティーグ・ビョークマン編著 大森さわこ訳(キネマ旬報社)
「ウディ・アレンの映画術」エリック・ラックス 井上一馬訳(清流出版)
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