「罪を犯したものには、犠牲者と同じ恐怖を味わわせる」との犯行声明を発し、海を原油で汚した石油王の屋敷に大量の原油を流し込んだ、環境テロリスト集団<ザ・イースト>への潜入調査を命じられた主人公のジェーン(ブリット・マーリング)は、元FBIエージェントという経歴を持つ敏腕調査員だ。ジェーンを派遣したセキュリティ調査企業<ヒラー・ブルード>は、そうしたテロ行為から企業を守る業務を請け負っている。<ヒラー・ブルード>の代表を務めるシャロン(パトリシア・クラークソン)とジェーンは、共に野心に満ちたエリート然とした佇まいで、シャロンは自らの若かりし日の面影をジェーンに見ている。シャロンのコードネームが"マザー"であることも如実に示唆しているように、ふたりを疑似母娘としてみせる意図が演出されている。
ジェーンは、<ザ・イースト>に潜入するために、各地に点在するアナーキストやフリーガン(路上の廃棄物を回収して再利用する人々)とのバックパック生活を通じて、放浪者たちの独自のネットワークに自らの体を張って入り込んで行く。この潜入プロセスは、製作・脚本を務めたブリット・マーリングと監督を務めたザル・バトマングリが、ゴミ収集箱から残飯を調達し、菜食主義の食事で暮らしたという自らのバックパック生活を通じて、自分たちの語るべきストーリーの中に徐々に形作っていったものであるという。マーリングが大学を卒業後、ゴールドマン・サックスで投資銀行アナリストとして働いた経験もあるという背景を知ると、『ザ・イースト』の物語には、野心的なビジネスの世界からインディペンデント映画の世界へ飛び込んだ、ブリット・マーリングの実人生が重なって見えてくる。
つつがなく<ザ・イースト>に潜入することに成功したジェーンは、スマートフォンを没収され、"マザー"との連絡経路を断たれるが、<ザ・イースト>のコミュニティの中で自らの存在価値を徐々に高めていく。環境テロ集団<ザ・イースト>はリーダーのベンジー(アレキサンダー・スカルスガルド)を中心に、"社会の不正義を許さない"という理念の下に集散する、ゆるやかなプロジェクトチームの趣きで、いわゆる従来のガチガチのイデオロギーで固められたテロリスト集団とは違うソフトな感覚で、とはいえ彼らの活動は全く以て"違法行為"には違いないのだが、描かれているところが興味深い。ベンジーにしても、強硬派のイジー(エレン・ペイジ)にしても、こうした活動へ至る遠因として"家族"の問題が存在していることが明確に描かれており、この主題は、冒頭で指摘したシャロンとジェーンの"疑似母娘"の関係とも共鳴して、本作が告発する"社会悪"の根源的な遠因として見出されている。
<ザ・イースト>で共に時間を過ごす内に、ジェーンが、ベンジーに異性としての魅力を感じ始めていることも描かれていくが、その顛末は、テロリスト集団が陥りがちな、「パティ・ハースト」的な血みどろの紋切り型を超える倫理観を示しており、従来の"悪の凡庸さ"を描いて終わるテロリズム映画とは一線を画す新鮮さを感じさせる。観客は、主人公ジェーンの<ザ・イースト>への潜入〜<ザ・イースト>という集団と理念の描写〜ジェーンに生じる心情的な変化、といったプロセスを通じて、ジェーンがその都度感じ取っている"感覚"を、彼女の息づかいを通じてリアルに味わい、普段接することのない現代アメリカのオルタナティブな側面に触れることになるだろう。つまり、『サリバンの旅』(41)さながらの魂のロードムービーを通じて、ジェーンの魂の成長に触れるのだ。誰もが人生の出発点に持つ、"親"との関係が間違ったものであった時、"子"ばかりがその関係を修復することの難しさ、あるいは、不可能性を、本作は描いている。その間違えた"親子関係"は、"社会"へと敷衍し、それが"社会悪"の根底にあるということ。それを承知の上で、体当たりで、しかし、戦略的に行動する主人公ジェーンであるからこそ、この映画は未来への希望を感じさせてくれる。ブリット・マーリングという新しい才能の登場を大いに祝福したい。
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