OUTSIDE IN TOKYO
Albert Serra INTERVIEW

アルベール・セラ『ルイ14世の死』インタヴュー

5. 衣装にしても、カメラにしても、装置にしても、
 確実に決まっていて初めて撮影の時間がユートピアになりマジックなものになるのです

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アルベール・セラ:撮影が終わるまで私は映像を一切見ません、だからコンポだとかモニターも置いていませんし、映像は見ないことにしています。カメラの前で起きていることも、ちょこっと聞いたり、ちょこっと見たりするだけで、完璧に見てるわけではありません。撮影はユートピアですから、細かいことを気にかけていては邪魔になってしまいます、細かいことはどうでもいいのです。信頼をしている、そこで起きていることを信じていますし、旅をしていて、サイケデリックトリップをしているわけですから。もちろん撮影に入るまでに、装置にしても、衣装にしても、カメラにしても、照明にしても、きちんと決めておきます。そうすれば撮影に入った時に本当に主要な要素にだけ集中することが出来るからです。そのためにはその周囲のことをきちんと決めておかなければなりません。きちんとそれが決まって定まっていれば自分自身が作られている映像を批判的な判断をしないという贅沢を自分に許すことが出来ます。

ルイ14世の装置を作るのに5週間かかっています。3〜4人で作ったのですがその5週間の装置作りの間中、私はずっと立ち合っていました。このようにして衣装にしても、カメラにしても、装置にしても、確実に決まっていて初めて撮影の時間がユートピアになりマジックなものになるからです。衣装作りにしても私は近くから見守っていました。私の母も、祖母も、仕立て屋でしたから、お針子でしたのでとても興味があります。撮影自体、そうしたことがしっかりと決まっていて初めて撮影がユートピアになって、退屈しないですむ。人々はそのユートピアに集中することが出来るんです。退屈をしたら別のパートナーを探そうとしたりするかもしれないし(笑)、本当に重要なことに集中出来なくなってしまいます。

OIT:全体がユートピアであるという撮影期間の中でも特別な瞬間、映画の恩寵が訪れるような瞬間があると思います。この映画の中では、例えばジャン=ピエール・レオーがカメラを凝視するショットがありましたが、それが恐らくそういう瞬間の一つではないかと思うのですが、監督はそれを見た時に、トリュフォーの『大人は判ってくれない』の最後のシーンを思い浮かべたりしたのでしょうか?

アルベール・セラ:特権的な瞬間は訪れるんですが、必ずそれは偶然訪れるもので、具体的に論理的に作り出せるものではありません。撮影現場の雰囲気をしっかりと作ること、強い信頼感を持っていること、いい雰囲気を作っていること、それでもそういった特権的な瞬間が来るか来ないかはわかりません。しかし、特権的な瞬間が訪れた時にカメラや照明の準備が出来ていないといけない、それが捉えられる状態にいつもカメラはいなければならないと思っています。『大人は判ってくれない』のラストシーンという話ですが、実は最初に私がそのことを言われたのは、カンヌでの上映の直後でした。それまで誰もそんなことは気が付きませんでした。今では当たり前になり、ほとんどグロテスクに考えられるかもしれませんけれども、編集をしていた時は、私達は編集者もプロデューサーも私達も他の問題に集中していて、あまりにも熱を込めて編集をしていましたから、『大人は判ってくれない』のことは全く考えませんでした。今ではもう当たり前のことのようにみんなが言う事実になってしまいました。私達の側は誰も気が付いていなかったと言うと不条理に聞こえるかもしれませんが本当です。

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