OUTSIDE IN TOKYO
AMOS GITAI INTERVIEW

アモス・ギタイ監督特集 アモス・ギタイ インタヴュー

3. 私は観客を信用して、自分でそれをどう消化したらいいかということを考える為の
 リサーチを続けることを期待する

1  |  2  |  3  |  4



OIT:昨日、日仏学院で監督の作品を4つ(『ヨム・ヨム』『カドッシュ』『石化した庭』『メモランダム』)拝見して、お腹一杯なのですが、凄く、凄く良い体験でした。都市三部作について伺いたいのですが、そもそもなぜ三部作なのでしょう?
AG:中近東ではあまりにも単純化されて見られてしまっているので、一つのことを様々な視点から見るということが大事だと思う。

OIT:それは亡命三部作にも言えることですか?
AG:あと教会の三部作と呼ばれている作品も。

OIT:違う視点で描くということは三面鏡の様にある意味一つのものを映し出してるということですか?
AG:はい。

OIT:それがイスラエルであるということですか?
AG:その通りです。

OIT:その一つ一つの鏡が描くところを監督の言葉で教えて頂けますか?
AG:亡命三部作に関して言えば、三面鏡構造を放り込むことで一つのテクストに対する異なった解釈というものが出てくる。この話なら何時間でも話すことができます。

OIT:では少し話してください。
AG:昨日、(東京日仏学院で)建築の話を随分しましたけれど、例えばテーブルに最低限必要な足は三本、二本だったら倒れますから。現在、文明は極端な単純化の時代に入ってしまっている。そこで多くの人に対して多くの知識を持っているかのような幻想を与えている。実際には大した知識を与えているわけではない。インターネットであるとか、Wikipediaであるとか、Googleであるとか、そういう技術的な簡単さ、そういったものが全て無知の原因を高めている、プロセスを加速させている。つまりそれは何かを飲み込んでそれを消化する必要性すら感じなくなってしまっている。離乳食みたいに。私はもっと消化するのに手間のかかる固い食べ物を与えたいと思っている。観客を信用して自分でそれをどう消化したらいいかっていうことを考える為のリサーチを続けることを観客には期待するわけです。ですから、昨日一日私と過して頂き、映画を観た体験の後でも頭の中をぐるぐる回って考え続けるような材料をあなた方に与えることができたとするならば、それは生活している中でも時々頭に思い浮かんで、ああ、こういうことだったかもしれないと再び考えるための材料になる。そうすることは、例えばこの都市三部作という映画を観た時も、観たものを自分の中で再構築することによって生まれることだと思います。そういう意味での出逢いは本当の出逢いだと思う、そういう出逢いが昨日あったんだと思います。つまりその作品の中にある何かの要素に興味を持ったのであれば、そのことを自分で活かし作業することができる。そこで三部作という構造をとることによって、より多くの複雑さの中にあなた方を招き入れることができる。

OIT:そこが監督の映画を撮る主な理由なのでしょうか?
AG:そうですね。

OIT:建築とか様々な側面を監督はお持ちですが、だけど実はそこなんじゃないかなと。そして考える要素を与える。それは例えば、パレスチナ、イスラエルの視点の転換をされたりしている。役者を入れ替えたり。それも新しい別の視点を与えるという意図ですか?
AG:私は優れた映画作家というものは、多分、自分の映画のプロジェクトを質問をするための言い訳に使うものだと思うんです。それは物語的にあるいは情報的、あるいは主題的な質問である。

OIT:監督の映画を観ていると、無理矢理食べさせられてる感じがしないんです。自分が観て考える余裕を与えてくれる。それは意識的に法則があって、その法則を見つけたご自分の中の視点のようなものがあるのですか?
AG:いいえ。

OIT:それが監督のストーリーテリングの方法ですか?
AG:はい。例えば私はジェームス・ジョイスが好きですけれど、彼はある社会を描いてるんだっていうことが分る、一方でジョイスは物語を語るということについての語りを行っている。




1  |  2  |  3  |  4